メンヘルは遠きに在りて思ふもの 詠み人知らず
学校中に設けた隠れ家はこの二年ちょっとでことごとく春香に発見されているが、数少ない未探知スポットのひとつが部室棟の端、電波研の地下室だ。
そろりと部室に入り、テーブルの下に潜りこんで床板を外し、梯子を降り、
「来るころだと思ってた」
後ろから声をかけられて転げ落ちた。
「来てたんですか、ムロさん」
身を起こしながら、声の主――電波研先々々代部長・室見夕子さんを見遣る。裸電球に照らされたムロさんのほっそりした顔が微笑み、
「校庭のスピーカーからここまで赤ちゃんの声が聞こえてきたもの」
と天井を顎で指す。そこには巧妙に偽装された通気口がある。「赤ちゃん」とは無論ベイビーではなく「白ちゃん」に代わる春香の渾名だ。僕としては前者の意味も込めたいところだが。
「今日はバイトはないんですか?」
パイプ椅子に腰を下ろしつつ問うと、
「行く途中でメンヘってきたから欠勤連絡入れてここで休んでた」
向かいのパイプ椅子に座るムロさん、だらりと力を抜いたまま答えた。再度用語解説、「メンヘる」とは彼女の数多い造語のひとつで、つまり出勤中に鬱に襲われたというわけだ。たぶん、家を出て一〇〇メートルくらいで。
「こんな暗いところにこもってたら余計メンヘりますよ」
「これくらいがちょうどいいの。わたしは闇に隠れて生きる妖怪人間だから」
ムロさんはパイプ椅子の上で体育座りになり、顔を膝にうずめる。僕は目をそらす。
「行儀悪いです。春香や由紀じゃないんだから、」
「パンツが見えるような格好するなって?」
「……しないでください」
「ふふ」
くぐもった笑い声。脳内から黒いショーツの映像を削除しつつ思う。どうして俺の周りには奇矯な女ばかりいるかなァ。