Lucasのブロマガ

世界100人村の欠陥と悲劇

2013/07/23 02:25 投稿

コメント:1

  • タグ:
  • 政治
  • 哲学
  • 世界100人村
  • Lucas
まず原文?をよんでいただきたい。
      世界には63億人の人がいます
      もしそれを100人の村に縮めると
      どうなるでしょう。
      100人のうち

      52人が女性です
      48人が男性です

      30人が子どもで
      70人が大人です
      そのうち7人がお年寄りです

      90人が異性愛者で
      10人が同性愛者です

      70人が有色人種で
      30人が白人です

      61人がアジア人です
      13人がアフリカ人
      13人が南北アメリカ人
      12人がヨーロッパ人
      あとは南太平洋地域の人です

      33人がキリスト教
      19人がイスラム教
      13人がヒンドゥー教
      6人が仏教を信じています
      5人は、木や石など、すべての自然に
      霊魂があると信じています
      24人は、ほかのさまざまな宗教を
      信じているか
      あるいはなにも信じていません

      17人は中国語をしゃべり
      9人は英語を
      8人はヒンディー語とウルドゥー語を
      6人はスペイン語を
      6人はロシア語を
      4人はアラビア語をしゃべります
      これでようやく、村人の半分です
      あとの半分は
      ベンガル語、ポルトガル語
      インドネシア語、日本語
      ドイツ語、フランス語などを
      しゃべります


      いろいろな人がいるこの村では
      あなたとは違う人を理解すること
      相手をあるがまままに受け入れること
      そしてなにより
      そういうことを知ることが
      とても大切です

      また、こんなふうにも
      考えてみてください
      村に住む人びとの100人のうち
      20人は栄養がじゅうぶんではなく
      1人は死にそうなほどです
      でも15人は太り過ぎです

      すべての富のうち
      6人が59%をもっていて
      みんなアメリカ合衆国の人です
      74人が39%を
      20人が、たったの2%を
      分けあっています

      すべてのエネルギーのうち
      20人が80%を使い
      80人が20%を分けあっています

      75人は食べ物の蓄えがあり
      雨露をしのぐところがあります
      でも、あとの25人は
      そうではありません
      17人は、きれいで安全な水を
      飲めません

      銀行に預金があり
      財布にお金があり
      家のどこかに
      小銭が転がっている人は
      いちばん豊かな
      8人のうちの1人です
      自分の車をもっている人は
      7人のうちの1人です


      村人のうち
      1人が大学教育を受け
      2人がコンピューターを
      もっています

      けれど、
      14人は文字が読めません

      もしもあなたが
      いやがらせや逮捕や拷問や
      死を恐れずに
      信仰や信条、良心に従って
      なにかをし、ものが言えるなら
      そうではない48人
より恵まれています

      もしもあなたが
      空爆や襲撃や
      地雷による殺戮や
      武装集団のレイプや拉致に
      おびえていなければ
      そうでない20人
より
      恵まれています

      1年の間に、村では
      1人が亡くなります
      でも、1年に2人
      赤ちゃんが生まれる
ので
      来年、村人は
      101人になります

      もしこのメールを読めたなら
      この瞬間、あなたの幸せは
      2倍にも3倍にもなります
      なぜならあなたには
      あなたのことを思ってこれを送った
      誰かがいるだけでなく
      文字も読めるからです

      けれどなにより
      あなたは生きているからです
      昔の人は言いました
      巡り往くもの、
      また巡り還る、と

      だからあなたは
      深ぶかと歌ってください
      のびやかに踊ってください
      心をこめて生きてください
      たとえあなたが、傷ついていても
      傷ついたことなどないかのように
      愛してください

      まずあなたが
      愛してください
      あなた自身と、人が
      この村に生きている
      ということを

      もしもたくさんのわたし・たちが
      この村を愛することを知ったなら
      まだ間にあいます
      人びとを引き裂いている非道な力から
      この村を救えます
      きっと

   て、これは最近割とよく目にする統計学を用いられたというこのたとえ話である。
まあこれに関してはネットで多くの人が議論し終えているかなとは思うが、自分なりの考えを述べてみたいと思う。
まずこのたとえ話は重大な欠陥を備えていることを理解せねばならない。端的に言うと、これはある見える部分を分かりやすくしているのと同時に、ある見える部分を隠してしまっている。あくまで地球を抽象化されたものであることを忘れてはならない。
それを踏まえたうえでだが、まずこのような村が存在できるはずがないということが分かってもらえると思う。私たちがふつう考える村は、ある一定の風土、歴史、文化、規律、習慣なんかを共有している人間の集合体で、多くの場合が互いに助け合うものである。このように富も権力も言語も宗教も全て根本から違うような人間がひとつの村を作ることは不可能なのだ。もし作ることができたとしてもこれほどまでに卑劣な村はないであろう。

   かしこのたとえ話が大国の人間が生きているだけでどれだけの犠牲が払われているか知るためには非常にわかりやすいものとなっている。経済の成長は社会を発展させたが、結局のところ経済の成長は金持ちと貧乏人を必ず作るように出来てしまっている。成長があるということは競争があるということであり、競争があるということは勝ち組と負け組をつくることになるからである。国単位でいえば、日本やアメリカやヨーロッパ諸国などの大国は勝ち組であるし、個人のレベルで言えば金持ちが勝ち組だ。そういう資本主義において負け組は働くための道具をもっている勝ち組に負け組の体(労働力)を犠牲にする形で勝ち組に貢献するという形になっているので、どれだけ小細工をしてもその根本は変わらない。つまり大国に住む者はしらずしらずの内に生きているだけで貧乏人を使い、苦しめているのだ。あなたが食べるエビのためにいくつの池が化学薬品で潰され、エビを喰うカメが死に、そしてエビそのものの数が減少したか。エビだけとっても悲惨なものだ。

   い、踊って、心をこめて生きろ、というが一体なにをこの著者?は言いたかったのか。たぶんこれが互いに違うものと理解し合うための第一段階であるという、ということなのだろう。しかし果たしてこれが本当に可能であろうか?みんなが歌や踊るような元気があるのか?みんながその歌や踊りを気に入る保証はあるのか?それが寧ろ決定的な亀裂を生んでしまわないだろうか?いやそれ以前にこの村の人間が一緒に歌って踊ることが可能か?あなたは一握りの勝ち組であることをいいことに歌って踊れるか?非常にきれいで美しいポエムをこのような形で否定したくはないのだが、これらの質問を「大丈夫だ」と言い切れる者が現れることは無いだろう。いたとしてもそれはペテン師か阿呆だと思う。もちろん努力している者はいるであろうが、それでも9割以上のここでいう「あなた」はそういう状況を無視して日々平和な毎日をのうのうと暮らしていることを考えると、努力している者が大丈夫と断言できないことにも頷ける。こういう「あなた」の人口が今減っていることは、ある意味自然な現象なのかもしれない。

するということ。
最後にこの村を、自分とその他が生きていることを愛してほしいというふうに〆られるわけだが、これほど腐った村とその人間をどうすれば愛せるのであろうか。それくらい言わなければならないほど、汚くてドス黒いものなのである。私たち日本人の考え方はハッキリ言って少数派だ。大陸で血まみれの戦いの中で生き抜いてきた人種や、植民地支配された人種、それを支配していた人種とは根本から異なる。これら全てを受け入れるなんてことはそれこそ神でさえ難しいだろう。このポエムがあまりにも綺麗なので忘れてしまうことだ。この世界は酷く醜い。そこを直視しなければならない。それでも「愛せ」という。これは非常に残酷な話だ。それでも私たちは人間であるがゆえに人を愛さずにはいられない。愛の形の違いはあれど、何人たりとして自分のためだけには生きていけないように人間は作られていると私は確信している。私は家族を愛している。そしてそれらをできるだけ守りたいとも思う。それらを守ってくれる郷土がある、歴史がある、文化がある、日本という国がある。それがいかに幸せであるかということだ。人間は愛することをやめられないが、よく知りもしないことを愛せない。だからここでいう「村」や人々を愛する必要はない。むしろ本当に愛せる人間は異常だと思う。身近なものを愛し、それらを守ってくれる歴史と郷土と文化と国を愛することが、いま自分にできることではないかと思うのである。それがゆくゆくが地球を愛するということにつながると信じて。



コメント

頭ーロック (著者)
No.1 (2013/07/23 02:31)
同意、反対意見、聞かせてください。
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事