浅瀬で仰向けになって波に揺られていた時のことだ。ひとりの男がじゃぶじゃぶと波を掻き分け歩いて海に入ってきた。思わず見てしまったのは男が火の付いた煙草を咥えていたからだ。身につけているものは水着だけで、首などに携帯灰皿を下げている様子もない。灰が当たり前のように海に落とされていく。声を掛けて注意しようとした瞬間、男が誰かの名前を呼んだ。その笑顔の先にいたのは浮き輪に掴まって波と戯れている男の子だった。おそらく男の子供なのだろう。男は息子を抱きかかえようと、短くなった吸い殻を足下の海に捨てた。そのしぐさには1ミリの躊躇もなく、まるで呼吸をするのと同じくらい自然だった。
「今、海に煙草捨てたの、子供が見てたよ」僕は言った。
「海と毒薬」
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コメント
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>>2
僕が子供の頃は大人は子供の前でも平気で吸っていたし、山手線の中でも喫煙できていました。そういう世代の人たちに時代とともに常識が変わったんだと伝えるのは難しいし、どこか可哀想だなとも思いますよね。
(著者)
>>3
まさに捨てる神あれば拾う神ありですが、捨てている人たちは拾っている人たちを見てたいていがボランティアではなく、賃金を貰ってゴミ拾いをしていると考えているのかもしれないと感じてしまいます。
(著者)
>>4
人間は煙草を吸う資格もないし、原発を使う資格もないんだろうな、と片付けられないゴミをみるたびに思いますが、喫煙している人や原発に賛成している人たちは片付けられないゴミのことをどう感じているんでしょうね。