イラストレーターの五島夕夏さんに『つきのぼうや』というロシアの絵本を紹介して貰った。海に映った月をもうひとりの自分とは気づかぬまま「友達になりたい」という願いを抱いた、孤独なお月様の話だった。そういえば子供の頃に読んだ『かがみのなかのぼうや』というイギリスの児童書も鏡に映ったもうひとりの自分とは気づかぬまま話をしている男の子の物語だった。僕らはいつ鏡の中の人間が自分自身であると認識したのだろう。そもそも「鏡」というものが前に立った者の姿を映し出すものだという真実をいつどのように知るのだろう。
「鏡の中のもうひとりの私」
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コメント
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鏡の中の人は一体誰なのでしょうか。微笑みかけたり、話しかけたり、愛らしいですね。
人はいつ、鏡に映る人は自分であると気付くのでしょうか。不思議ですね。
学生の頃、宗教の授業があったのですが、先生が、鏡に映った私の顔は本当に私の顔ですか?と問いかけをされたことがあります。人は自分で自分の顔を確認することができませんよね。では鏡に映し出されたその顔は本当に自分ですか?
確かに他人にしか私の本当の顔はわからないですよね。
(著者)
>>1
自分の本当の顔は他人にしか分からない。その通りだと思います。所詮、目というレンズが捉えたものを脳内で再生しているに過ぎないということは、鏡の中の人はもしかすると自分自身ではないのかもしれませんね。