ちょうど1年前の3月11日午後2時46分、僕は産婦人科にいた。妻が初めての診察を受けているとき、待合室の小さなテレビで追悼式典の中継を見ながら亡くなられた尊い命に手を合わせてから、宿ったばかりの新しい命に逢いにいった。命の連鎖というものを強く感じた瞬間でもあった。