寛容さを失うことは「老い」の特徴のひとつでもあるという論調が何年か前、話題になったことがあった。当時も今も様々な意見はあるだろう。ただ何かにつけて社会全体への謝罪を求める、そして自分が少しでも迷惑だと感じる他者を許容しないことがもはや当然のことになって来た「不寛容社会」が、「高齢化社会」の同義語だと言われれば納得がいく自分もいる。
「アンチエイジングとしての寛容さを」
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2017/01/25(水) 07:00 「もしかして仕事に行きたくないんじゃなくて会社に行きたくないんじゃないですか?」
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コメント
コメントを書く(著者)
>>1
寛容な人の側にいる、というのが一番かもしれないなあと最近は思ってたりします。娘もそうだし、かしこおばあちゃんもですし、妻も寛容というかのんびりしてます。
(著者)
>>2
苛々すると頭に血が昇って倒れちゃったりと、年を取ると健康面でも損するのは自分なんですよね。長生きする為にも寛容になろうと思いました。
(ID:20335514)
すごく!わかります‼︎
本当にその通り!
٩(๑`•ー•´๑)۶