今もこの日を忘れないのは、25歳だったあの朝と、この記憶が地続きであることを噛みしめる為でもあるのかもしれない。
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コメント
(著者)
>>4
多くの人が1年のうちの364日は笑顔を取り戻していてもやっぱりこの1日だけはという人が神戸には多いんじゃないかなと、この22年、神戸や大阪で出逢った方々の顔を思い浮かべながら書いてます。
未だに「忘れられない恋のうた」がフィクションなのかノンフィクションなのか分からない。
この本に出逢ったのが2011年4月。東日本大震災後、連日の報道に萎え無性に本が読みたくなった時だった。まさか、阪神淡路大震災が舞台とは知らなかった。時間をかけて読むつもりが一気に読み終えてしまった。その後まさか登場する女性と同姓同名の方と会うとは鳥肌がたった。
22年…早いのか遅いのか人それぞれだけど、忘れられない月曜日の朝だった。
(著者)
>>9
お読み頂きありがとうございます。忘れられない人ともう一度繋がる検索サイト「8251net.com」に「震災で亡くなった恋人ともう一度つながりたい」という方からのメールが届いたのは事実です。その方に届けばいいなという思いだけで書いた物語です。
(ID:29910722)
おはようございます。
毎年、色んな思いでこの日の朝を迎えているのだろうなと思います。あの日、あけてくる神戸の町並みを
ただただ見つめていたテレビの映像。
今でもはっきり覚えています。
学校でどんな話をしているのかと、子供達にきいたところ、中学校でも小学校でもその話がでなかったとのこと。
被災した人、被災しなかった人、それぞれですが、
あの日のことはしっかり話続けていたいし、思い出し話すことで後生に伝わっていくと思います。
深夜ラジオで、リクエストに答えて被災地に
歌を届けていたことが昨日のことのようです。
流れてくる歌を一緒に口ずさみながら
願いを込めていました。
忘れないことが大事ですね。