チラシの裏 ※個人の感想です

秋葉原と言う街

2013/10/18 00:13 投稿

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  • 秋葉原
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日本のポップカルチャーについて語るとき、秋葉原という街の存在を抜きにはできません。今でこそ海外観光客の一割が訪れる人気の観光地となっていますが、元々は電気の街であった秋葉原がなぜポップカルチャーの街となったのか、また彼らが秋葉原を来日の目玉としているのはなぜなのか、少し街の歴史を交えながら紹介します。

秋葉原のはじまりは、終戦後進駐軍の放出品を商う露天が現在の秋葉原駅ガード下に移転してきたことにあります。放出品のうち、無線機などに使用されていた真空管をはじめとする電子部品が、当時の学生達の手によってラジオとして組み立てられ、秋葉原で販売されるようになります。

秋葉原にあるビルの名称に”XXラジオ”などとついているのがこの名残で、その中でも最も有名なのが駅前にあるラジオ会館です。今ではマンガ書店や、世界的にも有名なフィギュアメーカーである海洋堂など、秋葉原を訪れる海外観光客の目玉的存在となっていますが、1990年代までは各電機メーカーのショールームが軒を連ねていました。

GHQによって禁止されていたアマチュア無線が解禁になると、今度は無線通信器などが秋葉原の店先に並ぶようになります。これもまたビルの名称やXX無線というように電気店の名称として現在も一部に残っています。このように、秋葉原はその時々の先端的な商品が並ぶ街として栄えていき、この後家電、オーディオ製品、パソコンといったように時代ごとに移り変わっていきました。家電の街の頃から海外でも秋葉原電気街として知られるようになり、このころ海外観光客の人気の買い物といえば電気炊飯器でした。

元々先端的なものに対する好奇心が旺盛な技術者や学生が集まる街だったのですが、マイコンの誕生によってこの傾向に拍車がかかります。マイコンというのは現在のパソコンの前身に当たるコンピュータのことで、能力はせいぜい電卓程度しかありませんでした。マイコンの心臓部がマイクロプロセッサと呼ばれる集積回路(LSI)で、まだ海の物とも山の物とも判らない電子部品でしたが、時間が比較的自由にとれる学生や大学の助教授、助手たちがとびつき、初歩的なコンピュータ=マイコンを組立て始めます。このとき彼らの活動の中心地になっていたのが、電機メーカーのショールームがひしめくラジオ会館で、特に7階にあったNECのビットインというショールームに人が集まるようになります。現在はビットインの跡地に「日本のパソコンの発祥地」という記念パネルが貼られています(脚注)。

マイコンの性能はせいぜい電卓程度しかありませんでしたが、年を経るごとに性能が加速的に向上し、1980年代には現在のパソコンに姿を変えます。このころには秋葉原で創業したソフマップなどが成長して中規模な店舗を構えるようになります。コンピュータは日進月歩で性能が向上し、標準化された部品を新しいものに取り替えることで既存のパソコンの性能を向上できるため、パソコンを趣味とする技術者や研究者、そしてその卵たちが足しげく秋葉原に通うようになります。

これら理系と呼ばれる人たちは、SFやマンガ、アニメなどを趣味とすることが多く、これらの客層を狙って新宿や渋谷、池袋などにあったマンガ書店などが秋葉原に移転してきます。渋谷にあったフィギュアメーカーの海洋堂のショールームがラジオ会館に移転し、窓際に新世紀エヴァンゲリオンの登場人物「綾波レイ」の等身大人形が姿を表したとき、秋葉原に衝撃的な出来事として話題になりました。

海洋堂の移転をきっかけに、ラジオ会館にあった電機メーカーのショールームがマンガ書店をはじめとするポップカルチャー関連の店舗に入れ替わっていき、現在ではラジオ会館はポップカルチャーの殿堂的存在になっています。

現在目抜き通りの中央通りに自社ビルを構える「とらのあな」は、雑居ビルの三階に細々と店を開いてマンガ同人誌と呼ばれるファンの作った雑誌の販売を始めます。とらのあなの成功をきっかけに他の同人誌を扱う店舗も次々に秋葉原に移転し、現在では中央通りで家電製品を売る電気店は片手で数える程に少なくなっている状況です。

【注】ラジオ会館が解体される前に書いてたものです

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