朗読短編『春の奇術師』
著:古樹佳夜
絵:花篠
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吽野:浅沼晋太郎
阿文:土田玲央
奇術師・天蛙:河西健吾
◆◆◆◆◆居酒屋◆◆◆◆◆
吽野 「は〜〜! 美味しいお酒だねぇ、阿文クン!」
吽野は勢いよくジョッキを飲み干した。
宵の口、行きつけの居酒屋は活気付いている。
阿文 「どうした先生。もう酔っ払ったのか」
吽野 「ふふふ、いやー、それがさ〜」
珍しく上機嫌な吽野に阿文は目を光らせていた。
度を越して呑んでしまっては明日の原稿が上がらない恐れがある。
そんなことなど気にもとめずに、吽野は懐に手をつっこんだ。
吽野 「この金のカエルが……」
吽野は何かを取り出そうとしていた。
ところが
店員 「お待たせしやしたー」
話を遮り、店員が料理をテーブルに並べる。
美味しそうな香ばしい香りと、湯気が立ち昇った。
阿文 「揚げ出し豆腐と焼きサバが来たぞ。美味しんだよな、これ」
興味が逸れたのか、阿文は箸でサバの身をほぐし始める。
吽野 「ねえ、ねえ、ねえ! 聞いてる!? 俺の話、聞いてる?」
阿文 「聞いてるよ。で、その像がどうしたんだ」
テーブルには、先ほど吽野の懐から出てきた
手のひらサイズの『金の蛙像』が輝いていた。
吽野 「昼間買い付けてきたんだ」
阿文 「ああ、それで不思議堂を留守にしていたのか。てっきり、編集者から逃げ回っているのかと」
吽野 「そうそう。逃げ回って……て、ちがーう!」
吽野は勢いよくテーブルを叩いた。
吽野 「お得意さんの骨董マニアの爺さんに呼び出されてたの!」
阿文 「あちち! ふーん、それで?」
阿文は気にせずサバを頬張っていた。
吽野 「金に困ったとかで、不思議堂にこいつを売りたいって言ってきたんだ」
阿文 「どれどれ」
鼻高々に話す吽野に乗せられて、阿文は像を手に取った。
阿文 「このカエルはそんなに高価なのか」
吽野 「ただの蛙じゃない。ほら、この像の後を見なよ」
阿文 「ん?」
阿文が像をひっくり返すと、後ろ足が一本しかないことに気づいた。
阿文 「これは……」
吽野 「この生き物は、青蛙神(せいあじん)っていう」
阿文 「せいあじん? なんだそれは」
吽野 「蝦蟇(がま)仙人が従えてる、ヒキガエルの霊獣さ」
阿文 「霊獣って事は、僕たちのお仲間みたいなものか」
吽野 「まあ、そうね」
阿文 「その『せいあじん』がどうかしたのか」
吽野 「ふっふっふ……実はね、この像……金運を呼び込むって噂があるんだよ!これさえあれば、原稿やら脚本やら書かなくても、不労所得でがっぽがっぽ……」
阿文 「……」
吽野 「どうしたのよ、阿文クン」
阿文 「いや、売主が金に困って売るくらいなんだから、その『金運を呼び込む』力は出鱈目なんじゃないかと……」
吽野 「……確かに!」
阿文 「だろ?」
吽野 「もしかして俺、騙された?」
阿文 「わからん」
テーブルに沈黙が訪れ、吽野はガックリ肩を落としかけた。
そこに、陽気な音楽が流れ始めた。
天蛙 「レディース&ジェントルメン! こちらにご注目を!」
客席を見渡せる店内の中央に、
黒のチャイナ服を纏った男が現れた。
観客の注目をひくと、周囲からは拍手が起こった。
吽野 「何だあいつ」
天蛙 「わたくし、流しの奇術師でプリンス天蛙(てんけい)と申します!」
阿文 「奇術……手品みたいなものか」
吽野 「カッコつけた言い方だな〜」
天蛙 「今から簡単な芸をご披露させていただきます! うまくいきましたら盛大な拍手を! そして、ちょっとのご褒美もくださいね!」
周囲からまばらな拍手と笑いが起こった。
早速、奇術師は胸元からカードやコインを取り出し、客の前で技を披露している。
客たちは杯を傾けながら、奇術が成功するたびに大盛り上がりだ。
阿文 「こんな場所に手品師が現れるとは珍しいな。もしや、店が雇ってるのか」
吽野 「んなわけないじゃん。ああいう流しのペテン師は、居酒屋に結構いるんだ。みんな酔っ払ってるから、簡単にカモられるんだよ」
その場を盛り上げるのに成功した奇術師はテーブルを回り、
小さなカゴに投げ銭をするように促していた。
天蛙 「おや、そこの旦那! わたくしの奇術にご興味がおありかな?」
聞こえよがしの悪口が聞こえたのだろうか、
天蛙と名乗った奇術師は二人のテーブルにも近寄ってきた。
吽野 「別に興味はないよ」
阿文 「僕はある!」
吽野 「おいおい、俺の話、聞いてた?」
阿文 「面白そうじゃないか。ぜひ、あなたの奇術を見せてください」
天蛙 「もちろん! 喜んで。では、こちらに座っても?」
阿文 「どうぞ」
阿文に促された天蛙は、
訝しげに頬杖をつく吽野の正面にドカリと腰掛けた。
吽野は眉のシワを一層深くし、口をへの字に曲げて威嚇した。
天蛙がじっと顔を見つめる。
はっきりとした顔立ちで、一見ハンサムにも見えるのだが、
彼の目はギョロリと大きく、口もかなり大きい。
真意の見えない軽薄そうなニタニタ笑顔が、
気味の悪さを醸し出す。
天蛙 「わたくし、どんな奇術もご覧に入れることができます。コインを消したり、鳩を出現させたり! 何でもござれですよ」
阿文 「おお! それはすごい」
吽野 「どこが? どれもオーソドックスで、面白みに欠ける手品じゃないか」
天蛙 「チッチッチ。少し違う。手品ではなく奇術」
吽野 「どっちでも同じだよ。俺は種があるものって好きじゃないんだ。興味ないね」
天蛙 「むむ。これは異なこと。……いいでしょう。旦那にはわたくしのとっときの芸をご覧に入れます」
吽野 「ふん、やってみなよ」
阿文 「先生っ」
阿文は喧嘩腰の吽野を止めようとするが、
構わず天蛙が続けた。
天蛙 「わたくし、名を天蛙(てんけい)と申しますが、実は、松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)の一番弟子でございます」
吽野 「はあ? 天一の? 嘘つくなよ」
阿文 「先生、その、しょうきょくさい、とは誰だ? 知っているのか?」
吽野は「自分もそんなに詳しくはないが」と前置きして、顎を撫でる。
吽野 「たしか、大昔に活躍した日本の奇術師だ」
天蛙 「その通り。松旭斎天一(しょうきょくさい てんいち)とは、近代奇術の祖。見せ物小屋でその腕を磨き、明治の日本を沸かせた、稀代の天才でした!彼の得意とするところは、水芸(みずげい)! かく言うわたくしも水芸が大の得意でして、ぜひこの場を借りてご披露を――」
阿文 「あ、待ってください!」
天蛙 「ん?」
阿文 「水芸をここでやられちゃうと、店中が水浸しになっちゃいますから」
天蛙 「ああ、そうか。それもそうですね」
天蛙はカラカラと大きな笑い声をあげた。
天蛙 「たしかに、水芸はここでやってはひんしゅくを買いますね」
吽野 「何か他に芸はないの?」
天蛙 「もちろんありますよ。では、何でも飲み込むマジックを披露しましょう。旦那、すぐには飲み込めないような、硬くて、重くて、拳代のものはございませんか?」
吽野 「そんなものないよ」
吽野はそっけなく答えたが、
天蛙の方はテーブルの上に目を走らせた。
そして、何を思ったか卓上の蛙像を取り上げ、言った。
天蛙 「おや、うってつけのものがあるじゃないですか。これ、お借りしても?」
吽野 「は? ちょ、それは……」
天蛙 「よいしょ」
吽野の制止も聞かず、天蛙は蛙像をひょいと掴むと、
躊躇なく大きな口に含んだ。
吽野 「ああああ!」
天蛙の喉仏が大きく上下して、
拳大の像をごくりと飲み込んでしまった。
阿文 「まさか、あんな大きな蛙像を、一飲みで!?」
天蛙 「……ごっくん。はい! どうでしょう!」
吽野 「どうでしょう、じゃないよ!!どうしてくれんだよ、俺の金運! 不労所得!」
天蛙 「あははは!」
慌てふためく吽野と阿文をよそに、
天蛙はおおらかにゲラゲラ笑っている。
天蛙 「大丈夫ですよ。これは奇術なんだから! 像は無事です。このお腹の中に!」
吽野 「今すぐ返せ! 口から出せ!」
天蛙 「まあ、待ってください。時間が必要ですよ。時間さえ経てば、すぐにあなたの手元に戻りますから」
吽野 「いつ返すんだ!」
天蛙 「2〜3日後に返しにきますよ」
吽野 「まさか下から出す気じゃ……!?」
阿文 「うげっ……」
天蛙 「それよりも、わたくしの奇術、いかがでしたか? すごいでしょう?」
吽野 「すごくない!」
天蛙 「またまた〜。目をキラキラさせて、わたくしをみていたじゃないですか!尊敬の眼差し、感じましたよ!おほん、このわたくしに飲み食いをさせてくれたら、もっと楽しい奇術をお目にかけられますよ?」
吽野 「何言ってんだ、この……」
阿文 「まんまとペテン師にしてやられたな……」
吽野 「まったくだ!」
天蛙 「ゲコゲコゲコ! さてさて、奇術もひと段落しましたし、注文させていただきますね」
天蛙は意気揚々と「すみませーん」と大声を張り上げ、
店員を呼んだ。
天蛙 「店員さん、こちらにお酒を! この、ハブってやつを!」
店員 「はーい」
吽野 「ちょ、なに頼んでんの!? そんな高い酒、しかも、ボトルごと!?」
吽野は店員を呼び止めようとしたが、もう遅かった。
阿文 「あーあ……もうこちらに持ってきているぞ、あの店員」
高価なボトルが入ったのが嬉しかったのか、
店員は小走りでカウンターからとってかえす。
店員 「お待たせしました」
吽野と天蛙が小競り合いを続けている間に、
テーブルには酒が運ばれてきていた。
天蛙 「まあまあ、旦那も一杯どうですか。みてください、この、ながーいとぐろを巻いた……って! うわあああ!」
いきなり大声を張り上げた天蛙は、
勢い余って椅子から滑り落ちていた。
吽野 「ど、どうした!?」
天蛙 「蛇だ! 蛇だー!!!」
吽野 「そりゃそうでしょ、ハブ酒だもん」
天蛙 「あひいい! ひっくり、返る!」
床を這いずっていた天蛙が悲鳴を上げたと同時に、
白い煙が立ち上る。
阿文 「うわっ!? 天蛙さんが、蝦蟇蛙に!?」
一瞬の出来事だった。
天蛙の変化が解けた真の姿は、小さな蝦蟇だった。
阿文がテーブルの下を覗き込むと、
蛙がゲコゲコと鳴いた。
吽野 「こいつ、人間に化けていやがったな」
阿文 「様子がおかしいと思ったら、怪異だったなんて」
吽野 「そんなことはどうだっていい! やい、俺の像を返せ!」
気色ばんだ吽野はテーブルの下に手を伸ばし、
蛙をむんずと掴むと蛙をぐるぐると振り回した。
阿文 「先生、そんなにしたら……」
吽野 「吐き出せ! 吐き出せー!」
吽野の中でゲコゲコと鳴いていたが、振り回された勢いで、
すっぽりと手の中から飛んでいってしまった。
吽野 「くそっ! まて、こらー!」
阿文 「ほら、逃げてしまうぞ」
蛙はテーブルの上をぴょんと跳ねて、店の外へ逃げていく。
阿文 「あーあ。店の外へ出て行ってしまったな……」
吽野 「くそっ! 道路で轢かれてぺっちゃんこになっちまえ!」
阿文 「……それにしても、どうして蝦蟇妖怪がこんなところに……」
吽野 「この青蛙神像(せいあじんぞう)のせいだな。これ、ヒキガエルの神様だし。それなりに力があるから、怪異を引き寄せたんだろう」
阿文 「なるほど……」
吽野 「あいつ、蛇に驚いて正体を表したんだな。蛙だから」
阿文 「ひっくりカエルとか言ってたぞ……」
吽野 「それより! やっぱり、あの像、掘り出しもんだったんだよ!くそ、まんまと盗まれるとは。どうして今日に限って、こんなことに……」
阿文 「あ、そうか……」
吽野 「ん?」
阿文 「今日から啓蟄(けいちつ)じゃないか」
吽野 「「啓蟄(けいちつ)……寒さが緩み、春の陽気になって、土の中から虫たちが動き出す季節、か」
阿文 「あの蝦蟇妖怪も、冬眠から覚めて、腹でも空かせてたんじゃないか」
吽野 「蛙らしく虫でも食ってりゃいいのに」
阿文 「もう春だな」
[了]
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