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第二話第一章「レストラン龍宮」

著:古樹佳夜
絵:花篠

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◆◆◆◆◆不思議堂◆◆◆◆◆

その日も、吽野は不思議堂の文机に突っ伏していた。


吽野「ああ、海の底の貝になりたい……」

阿文「また始まった。そんなに仕事に詰まっているのか?」

吽野「そうだよ〜。悪い?」

阿文「悪いさ。毎回毎回、そんな暗い顔をしていたら、幸せが逃げていくぞ」

吽野「作家の気持ちが阿文クンにわかるもんか!」

阿文「はいはい」


お茶を運んできた阿文は、文机に湯呑みを置いた。

その湯飲みから、ずずっとお茶を啜り、吽野は唸る。


吽野「あー海が見たい……。気晴らしがしたいんだよ〜」

阿文「ふむ……じゃあ観光がてら、、海辺に行って、海鮮でもつつくか」


阿文の思いつきに、吽野は目を煌めかせる。


吽野「いいね!ちょうど原稿料も入ったところだし、たまには豪華なお刺身が食べたいなぁ」

阿文「珍しい」


今度は、阿文が目を見開いた。


吽野「え? 何が?」

阿文「出無精の先生が外出に前向きになるなんて」

吽野 「行き詰まると遠出したくなるのは作家の習性だね」

阿文 「編集者曰く、そういう作家は多いらしいな。みんな現実逃避が好きなのか」

吽野「現実逃避をするから、いいものが生まれるんだ」

阿文「もっともらしいこと言って。先生も売れっ子になってから大口を叩くんだな」

吽野「ふん、余計なお世話だ。今回の食事代は、僕の原稿料だぞ」


それもそうだな、と阿文は小さく頷く。

これ以上の軽口を叩いて、吽野の機嫌を損ねてもいけないと思い直す。


阿文「そうだな。じゃあ、先生の気が変わらないうちに、予約をとろうか」

吽野「へー。もう目星の店でもあるの?」

阿文「ああ。少し前から気になるとこがあってな。先生もきっと気に入るはずだ」


阿文と吽野が出かけると察知して、猫のノワールが駆け寄ってきた。


ノワール「にゃあ!」

阿文「ノワール。お留守番になるが、美味しい魚の干物を買ってくる。許してくれるか……?」


ノワールは少し阿文を一瞥し、仕方ないとでも言いたげに、


ノワール「にゃあ!」


と一声鳴いた。


阿文「わかった。20匹だな」


阿文の問いかけに、ノワールはそうだと頷いた。

もう用は済んだと言わんばかりに、ノワールは踵を返して、

不思議堂の奥に引っ込んだ。


吽野「毛玉の言ってることがわかるの?」

阿文「もちろんだ!」


阿文は自信満々に言った。


吽野「あ、そう……。まあ、いいや。阿文クン、予約の方よろしくねー」

阿文「承知した」


◆◆◆◆◆海辺の街・夕方◆◆◆◆◆


後日。昼過ぎには不思議堂を閉めて

阿文と吽野はレストランに向かった。

今日ばかりは吽野の足取りも軽い。

これから待ち受けるご馳走のことを思えばと

自然と笑みが溢れた。

阿文に促されるまま、吽野は電車を乗り継ぎ、

見知らぬ街を早足で歩く。


吽野「ところでどんな店を予約したの? どんどん街の中心から離れてるけど」

阿文「海辺に建っている洒落たレストランだ」

吽野「ええ? てっきり日本料理の店かと思ってた」


吽野は、子供のように口を尖らせる。

海辺とは聞いていたが、予想よりも遠く、腹も減ってきていた。


阿文「少し前、店を訪れたモガさんが教えてくれたオススメの店なんだ」

吽野「モガ……ああ、あの外国かぶれね」


吽野は、帽子を被ったパンツスタイルの女性を思い浮かべた。

自分たちの着ている着物とは似ても似つかない、最新のスタイルだ。


阿文「外国かぶれなんて、お客さんにひどい言い草だな」

吽野「どんどん世の中が変わっていく。人の装いや流行も。日本らしさなんてお構いなし。なんだか忙しいなぁって思っただけさ」

阿文「彼女に予約を取ってもらったんだ、感謝した方がいいぞ」


口の悪い吽野に、阿文は苦言を呈した。

そんなことは意に介さず、吽野は言葉を続けた。


吽野「今から行く店って、そんなに予約が大変なの?」

阿文「そうらしい。店主が一人で切り盛りしていて、客は一日に一組限定。だから、コネを使わないと予約自体が難しかった」

吽野「へぇ……そうまでして、阿文クンがオススメする店か。どんな店だろう」

阿文「楽しみにしていてくれ。メニューがかなり変わっているらしい」

吽野「変わったメニュー? 海鮮なんでしょ……?」

阿文「実は、人魚の肉を使った料理をふるまってくれると、噂なんだ」

吽野「に、人魚だって!? 嘘でしょ?」

阿文「さあ、真偽の程は、定かじゃない」

吽野 「もしや、先日書庫で人魚の肉の話をしたから……」

阿文 「ああ。きっかけこそ偶然だが、あの日から人魚の肉とはどんなものか興味が湧いてしまって」

せっかく美味しいものを食べられると思っていたのに。

そんな奇妙なもので喜ぶはずもない。

吽野は思わず口をぱくぱくさせた。

ところが、阿文は好奇心からに微笑んでさえいる。

吽野とは対照的だ。

吽野は呆れて、やれやれと深くため息をついた。

完全に阿文のペースに巻き込まれてしまったようだ。


そうこう話すうちに、空はすっかり暮れてしまった。

気づけばどんどん市街地から遠ざかっている。

あたりは暗く、潮騒と風の音がやけに耳に響く。

海風は冷たく、吽野は身震いする。


吽野「崖の上に灯りが見えるよ」

阿文「あれがレストランだ」

吽野「大きな洋館だね。あんな崖の上にポツンと一軒だけ……」


吽野は足早に建物に近づいていく。


吽野「看板が見える。えー……と」

阿文「『レストラン・龍宮』」


ついに、二人は建物の前に到着した。

立派な木の扉に取り付けられた、

小洒落た鉄のドアノッカーは、獅子の形をもしている。

それを阿文は数回叩いた。

少し間を置いて、木の扉が開く。

二人を出迎えたのは、随分と背の低い男だった。


【続】

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■『不思議堂【黒い猫】~阿吽~』 連載詳細について

https://ch.nicovideo.jp/kuroineko/blomaga/ar2060929


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■本章は、2022年2月放送

浅沼晋太郎・土田玲央『不思議堂【黒い猫】』生放送の

ch会員(ミステリにゃん)限定パート内にて、

浅沼店主と土田店員が生朗読を行う予定です

ぜひ、物語と一緒にお楽しみください

(※朗読は、本章の全編ではない場合がございます)

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