今を輝く有名映画監督たちもゲーム制作には数々の失敗が!
『マン・オブ・スティール』のザック・スナイダー監督、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ監督、『ローン・レンジャー』のゴア・ヴァービンスキー監督、『ホビット』のピーター・ジャクソン監督、『トランスフォーマー』のマイケル・ベイ監督。これらの監督たちの共通項は、「今最もホットな監督」というだけではありません。
実はこの監督たちは、ゲームプロジェクトを持っていたものの、失敗した人たちでもあるんです。まずは「俺達のトトロ」こと、デル・トロ監督のゲーム制作失敗談2連発からはじめてみましょう。
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ギレルモ・デル・トロ監督の『Sundown』
2006年のE3が始まる1週間前、「ギレルモ・デル・トロ監督がTitan ProductionsとTerminal Realityとコラボして、『Sundown』という世紀末ゾンビホラーゲームを作る」なんていう話がThe Hollywood Reporterにより報じられました。
この作品の知的財産権は「元々はTerminal Realityのもの」であるものの、デル・トロ監督が「テレビと映画に関する権利」を受け取る契約だったとのことなんです。
インタビューでは、監督がストーリーテリングの未来のカタチと考える、シネマティックでインタラクティブな形のゲームになる、なんて語っていたりも。また、ゲームの開発にも深く関わる重要性があるとも語っており、「何も新しい要素のない作品には名前を貸したくないからね」とも。プロジェクトに関しては、The Hollywood Reporterがこう記しています。
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至って普通の人の日常からゲームは始まります。ところが突然全てが一変し、生き残りをかけ、脅威から身を守るために協力したり、待ち受ける困難に対して不慣れなことにも挑戦したりしなければいけません。
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デル・トロ監督は「私たちは本物の前編、中編、後編をこのゲームに、そしてそれぞれにチャプターを用意したいんです。さらに、ゲーム中の雰囲気には、とても怖いものも用意したいですね。」とも語っていました。
2006年10月に『ヘルボーイ』のゲーム版についてIGNのインタビューを受けた際には、『Sundown』の販売を考えるパブリッシャー数社と話し合いをしている、とのことでした。しかし、デル・トロ監督と『Sundown』との関係は長続きせず。インタビューのひと月後、監督はファン向けのメッセージボードに「ゾンビゲームプロジェクト『Sundown』からドロップアウトする」という投稿を行いました。理由などは詳しく述べられなかったものの、「ゲーム業界で嫌な経験」をしたそうです。
数年後、デル・トロ監督は「『Sundown』は薄気味悪いほど『Left 4 Dead』に似ていた」と語っています。
デル・トロ監督の『inSane』
2010年9月、数ヶ月前から噂の出ていたデル・トロ監督とTHQとのコラボレーションが進行中、と明らかになりました。「ラブクラフト風」とされるこの作品、THQは2010年のVGAで恐ろしげなティザーを流しました。開発社はVolition、そして発売は2013年を予定されていました。
THQのダニー・ビルソン副社長も作品アナウンスの後に、デル・トロ監督はこの作品のためにすでに6ヶ月以上働いており、「昨日おおまかなストーリーが完成した」とツイートしています。
Kotaku Japanでもこの作品が3部作の第1部として制作されていることはお伝えしましたね。第3部は2017年にリリースすることになるだろうとされ、デル・トロ監督は「ラブクラフト風」を強調するとともに、「大衆小説風の語り口で触手のバケモノが出てくる」とも語っていました。
監督は2011年8月のMTVによるインタビューで、『inSane』に関して曖昧な詳細を語っていました。監督はちょくちょく『パシフィック・リム』のセットから、イリノイ州にあるVolitionのオフィスまで足を運んでいたそうです。元々2013年発売の計画でしたが、デル・トロ監督は2014年発売の可能性も捨てていませんでした。また、この作品のラブクラフト風な面については「とても奇妙」で、「とても病んだカタチ」のものとも語っていたのです。
その後、皆から忘れ去られた『inSane』は、2012年の8月にキャンセルされ、作品の知的財産権はデル・トロ監督へと返還されることになりました。どうやらキャンセルの数ヶ月前には、イリノイのスタジオからTHQのモントリオールスタジオへと開発が移行していたようです。
しかしながら、この作品はまだ死んだわけではありません。11月にデル・トロ監督は、このプロジェクトに興味を示す「グレイトな」開発スタジオをみつけたと語っています。
ピーター・ジャクソン監督の「ヘイロー・クロニクルズ」やその他のゲーム
2006年バルセロナで開かれたX06プレスイベントで(ジャクソン監督の映画版『Halo』の話が無くなるひと月前)、マイクロソフトは新たな『Halo』作品と、完全新作ゲームでジャクソン監督とのパートナーシップを発表しています。
ジャクソン監督と彼のチームは、Bungieと共に『Halo』の新作を「共同でシナリオもデザインもプロデュースも」するとのことで、ジャクソン監督とマイクロソフトはニュージーランドを拠点とする開発会社Wingnut Interactiveを設立しました。
Bungieはそのウェブサイト上で、ジャクソン監督のプロジェクトは「ゲームプレイとストーリーテリングが、ゲーム業界がこれまで見たことのないような形で融合」する作品であり、「選ばれた」Bungieスタッフたちがすでにその作品に取り掛かっているとしていました。
マイクロソフトのゲーム部門重役のシェーン・キムさんは、GDC2007のプレスイベントでもチラリとジャクソン監督のプロジェクトに言及。キムさんによれば、ジャクソン監督のXbox 360タイトルはエピソード形式でデジタル配信されるものであり、Bungieは「デザインフェーズ」にあるとのこと。
しかし、この作品をよく知る人物が米Kotakuに教えたところによると、Wingnut Interactiveはきちんとした組織としては構成されておらず、Bungieは基本的にWETAの一部のコンセプトアーティストたちや、脚本家でプロデューサーのフィリッパ・ボウエンさん、そしてジャクソン監督と仕事をしていたんだそうです。
この情報元によれば、Bungieと監督、監督のチームとのコラボは良い感じでスタートしたそうですが、Bungieの開発者たちはすぐに「まるで別銀河の人たちと働こうとしている」と感じ始めたんだとか。Bungieチームは、WETAのスタッフの出すアイデアが『Halo』ユニバースにはしっくり来ないと考えたようです。
Bungieのフランク・オコナーさんは、2008年4月にジャクソン監督のプロジェクト(『Chronicles』という名で言及されている)にはもうBungieは関わっていないと認めています。また、Bungieは、マイクロソフトは内部開発チームを育て、ジャクソン監督の『Halo』プロジェクトをそのチームの最初の作品としようとしているとも語っており、求人広告を出しています。
Bungieの脚本家であるジョセフ・ステーテンさんは、米Kotakuにジャクソン監督のプロジェクトは『Halo』映画版プロジェクトが崩れ去った後にその推進力を失った、と語っています。最終的にジャクソン監督との『Chronicles』がダメになった後に、『ODST』を作ったとも語られており、Bungieが2009年5月に『ODST』を完成させていることからも、Bungieが『Chronicles』へ関わるのを止めたのは、遅くても2008年3月頃であったと考えられます。
2008年にはマイクロソフトは小島プロダクションのデザイナー、ライアン・ペイトンさんを引っさらい、『Chronicles』のクリエイティブディレクターとして採用します。しかし、2009年のコミコン会期中にロサンゼルス・タイムズ紙が、「(2009年1月に行われた)会社全体の予算削減の一環として」このプロジェクトを削ったとレポートしています。ジャクソン監督のマネージャーであるケン・カミンスさんが同紙に語った所によれば、完全新作タイトルについてはまだ生きているとされていますが、その後話を聞くことはありません。
マイケル・ベイ監督のFPS作品と......『サンダーキャッツ』
2007年5月、ロサンゼルス・タイムズ紙は、マイケル・ベイ監督自身もオーナーであるVFXスタジオ、Digital Domainを投資グループが購入し、「ゲームと大作映画両方を一つにする」というビジネス戦略を打ち出したと伝えています。
同紙によると、ベイ監督は「2500万ドル(約25億円)くらいの予算」で「大作映画と肩を並べるクオリティー」の「FPSゲーム」を作りたいとしているようでした。映画とゲーム両方のメディアを繋ぐとのことで、当時Digital Domainのトップだったカール・ストークさんは同社を「次世代のデジタルコンテンツスタジオにする」と意気込んでいました。
Digital Domainは「2年のスパンで4から5作品開発」したいとしており、これを可能にするために「一社、もしくは複数のゲーム会社を(2007年に)買収する」予定であるとしていましたが、これは結局実現しなかったようです。シネマティックなゲーム作品を作るためにも「Aクラスの監督たちのネットワーク」と共に制作したいとし、ベイ監督自身を始め、デビット・フィンチャー監督や、ロブ・コーエン監督をゲーム開発のリーダーとして考えていたようです。
Digital Domainは、CGアニメ映画の世界にも進出したいと考え、「ティーンエイジャーとヤングアダルト」をターゲットとした低予算の作品も作りたかったんだとか。
マイケル・ベイ監督の公式サイトの記事では、公式サイトの管理人が「しばらく前」に映画監督と会話をしたそうで、その会話中に「(ベイ監督は)ゲームの脚本を書いているところ」だと話していたとしています。
Digital Domainはゲームとアニメ製作用に少人数のスタッフを雇ったそうです。その中の一人はCVの中で、「ハリウッドでも名の知られた監督たちとゲームコンセプトや提案」を通して一緒に働いたとしています。しかしながら、プロトタイプの完成にも至らなかったようです。
ゲーム/アニメ部門のスタッフたちのエネルギーは、ワーナー・ブラザーズのための『サンダーキャッツ』のコンセプト証明へと費やされたとのこと。そして、ワーナー・ブラザーズは別の方針で行くことを決定します。結局ゲーム/アニメ部門が担当することは無くなったものの、このプロジェクトはDigital Domainが続けていくようです。
ベイ監督が制作しようとしていたゲームは、実はDigital Domainの最初のゲームプロジェクトではありません。90年代半ば、Digital Domainはニュー・メディア部門を立ち上げていました。この部門のプロジェクトは、複数のCD−ROMゲームやリリースされることのなかったプレステゲーム『Ted Shred』(『クラッシュ・バンディクー』のスピンオフでサーフィンものだった)などがあります。
2009年終わり、Digital Domainはフロリダに新たなスタジオを立ち上げることをアナウンスします。このスタジオは、ゲーム制作を目的として立ち上げられた面もあったものの、この立ち上げが2007年当時の計画と関係のあるものかどうかはわかりません。そして、このフロリダのスタジオは短命でした。ゲームではなくアニメ映画に関わっていたこのスタジオでしたが、昨年9月にDigital Domainはこれを閉鎖しています。
ジェリー・ブラッカイマー監督の「ジェリー・ブラッカイマー・ゲームズ」
2007年末、MTVのインタラクティブ部門であるMTVゲームズは、ハリウッドの大物プロデューサー/監督であるジェリー・ブラッカイマー監督とのコラボを発表します。このコラボの名は「ジェリー・ブラッカイマー・ゲームズ」とされ、MTVとのコラボながらも、ブラッカイマー監督によれば、必ずしも音楽関連の作品とはならないとのことでした
ブラッカイマー監督は、米Kotakuに入る前のスティーブン・トティーロさんに、「興味深いゲームを複数作ってみたい」、「自身のプロデューサー哲学をインタラクティブ分野でもやってみたい」と語っていました。
それから1年以上後の2009年5月、ブラッカイマー監督は、Ubisoftのパブリッシング担当上級副社長として働いていたジェイ・コーエンさんを、ブラッカイマー・ゲームズの開発担当社長として、シニアプロデューサーとしてマイクロソフトの『Halo』や『ギアーズ・オブ・ウォー』に関わったジム・ヴェーヴェルトさんを、プロダクション担当社長として雇っています。
Edgeとのインタビューでヴェーヴェルトさんは、ブラッカイマー・ゲームズは内部開発チームを持たず、外部開発チームと共に新たな作品を育てる、クリエイティブグループだと語っています。ブラッカイマー・ゲームズ重役となった2人は、MTVの資金援助が牽引力となり、実際に作品を出すことができると考えていたようです。
翌年ブラッカイマー・ゲームズのパートナーであるMTVは、大金の掛かるゲームビジネスから手を引きます。ブラッカイマー・ゲームズは当時3つの作品に関わっていました。ブラッカイマー・ゲームズと作品を制作していたスタジオのうちの1つ、Big Red Button Entertainmentは、『Ten Minute Man』という作品でコラボしていたようです。また、別のスタジオはブラッカイマー・ゲームズの「ステルスアクションシューター」に関わっていたとのこと。
ゲームビジネスから手を引いたMTVは牽引力を失い、2011年にヴェーヴェルトさんはZyangaへ行ってしまい、コーエンさんも2012年4月にブラッカイマー・ゲームズを離れました。今年初めにはブラッカイマー・フイルムズの広報が、ブラッカイマー・ゲームズの閉鎖を発表しています。
ザック・スナイダー監督のEAゲーム
2008年9月末、EAはザック・スナイダー監督の映画プロダクション会社、Cruel & Unusual Filmsと契約を結びました。スナイダー監督が「3作のEAオリジナル作品の開発」で、EAのロサンゼルススタジオとコラボするという契約です。EAはスナイダー監督の生み出すアイデアの権利を所有、リリースし、「ゲームフランチャイズを映画にする」というところまでやる気でした。
この契約時期、ちょうど経済危機が重なり、経済危機はEAでの大規模レイオフにつながって、EAロサンゼルスの人たちもレイオフされました。スナイダー監督が最後にこの契約についての話をしたのは2009年、ロサンゼルス・タイムズの記事中でのことです。
2010年にはスナイダー監督のプロダクション会社が「5ive」という名称を、ゲーム関連で使用する名称として商標登録しています。しかしながら、そこから先の展開は何も聞こえて来ません。
ゴア・ヴァービンスキー監督の『Matter』
ロサンゼルス・タイムズは2009年E3の直前に、『バイオショック』の映画版に関わっているゴア・ヴァービンスキー監督が、彼のプロダクション会社Blind Wink Productionの傘下に新たにBlind Wink Gamesを設立すると報道しました。このスタジオを率いるのは、Pandemic Studiosの『フルスペクトラムウォリアー』フランチャイズで知られるウィル・スタールさんです。
その当時、Blind Winkにはゲームのコンセプトが5つあり、そのうちひとつについてはプロトタイプを制作中でした。映画スタジオのユニバーサルとは、Blind Winkが最初にできたモノを見せるという合意を結びます。ユニバーサルは当時映画『ウォンテッド』のゲーム版を出したばかりでした。
ロサンゼルス・タイムズとのインタビューでヴァービンスキー監督は、物語の結果としてインタラクティブな行為が存在するのではなく、インタラクティブな行為の結果として物語が語られるというアプローチが重要だと語っています。監督は例として、『ギアーズ・オブ・ウォー』や『Halo』ではなく、『ポータル』の様な作品が彼のアイデアに近いとしていました。また、ほとんどのゲームコンセプトは内部で生み出されたものの、ひとつの作品のアイデアについては、エピタフレコードの設立者で、バッド・レリジョンのギタリストでもあるブレット・ガーヴィッツさんからでたものだとしています。
数年をプロトタイプに費やした後の2011年末、Blind Winkはマイクロソフトとマルチタイトル契約を結び、最初にリリースする作品は「2012年末」に出るKinect向けXBLA作品だとされていました。
Blind Winkの最初で最後のプロジェクトは、SFアクションパズル『Matter』。2013年リリースとされ、2012年のE3でのマイクロソフトプレスカンファレンスでトレーラーが公開されました。この作品に近い筋の話によれば、「『風ノ旅ビト』に色んな意味で近い」とのことで、なんでも「ナレーションなしでヒーローの活躍が描かれ」、「シンプルなストーリーがとても抽象的に語られる」という、プレイヤーの受け取り方で様々な受け取り方のできるものだったそうです。しかしこの情報元によれば、『風ノ旅ビト』との類似性はただの偶然で、抽象的でセリフのない『Matter』のコンセプトは、ヴァービンスキー監督が『風ノ旅ビト』のリリースの数年前に生み出したものだとのことです。
ゲームの主人公はトレーラーに出てくるツルツルの球で、開発者の間ではアダムと呼ばれていたそうです。ゲームプレイは「キューブ・シティー」を舞台に、アダムが周辺環境を利用したパズルを解き、ステルスしつつ進めるというもの。プレイヤーはパワーアップアイテムを使い、アダムを「一時的に飛ばしたり、重くしたり、敵を攻撃したり」させることができたそうです。
開発チームはこの作品に「ホラーな感じ」を持たせたかったそうで、E3トレーラーに出てきたキューブ・シティーには「病院的な気味悪さ」があるとのこと。プレイヤーに常に恐怖感を持たせるために、ゲームデザイナーは敵を「一時的にスタンさせたり、敵が入ってこられない所に隠れてやり過ごしたり」はできるものの、敵を倒すことはできないようにしたそうです。
「プレイヤーに対し心理的なトリックもたくさん使い」緊迫感や不安感も盛り上げる、というのも監督の意向らしく、「ゴア(・ヴァービンスキー監督)はスタンリー・キューブリック監督が『シャイニング』で緊張感を出すために使った演出をたくさん参考にしていた」そうです。
しかし、ヴァービンスキー監督が2011年秋に『ローン・レンジャー』の製作に集中するために『Matter』チームを離れた頃から、雲行きが怪しくなります。監督の代わりにBlink Wink Gamesの指揮をとることになった開発ディレクターは、かなり問題のある人物だったようです。Blind Wink Gamesのチームはたった5人で構成されており(それに「ふたつの外部スタジオ」の「5から8人くらいの人」が加わっていたよう)、この時期はBlind Winkにとっては「人が常に新たに雇われたりクビになったり」するという状況だった模様です。
開発ディレクターの元で、『Matter』の開発は大きくスケジュールから遅れ、よく方向性の見えない指示に従おうとすることで、開発チームは多くの時間とお金を失います。この時点で、開発ディレクターは、『Matter』を次世代Xboxのローンチタイトルにするとの決断を下したようです。その後数ヶ月、チームは次世代向けの『Matter』のデモに取り掛かりますが、マイクロソフトは次世代Xboxが出るよりも前に『Matter』をリリースしたかったとのこと。
マイクロソフトはE3のアナウンスから間を置かずして、『Matter』をキャンセルします。それはチームが毎月の目標を達成できなくなったその時でもありました。Blind Wink Games自体もまた解散してしまいます。
ラース・フォン・トリアー監督の『Eden』
2009年6月、デンマークの新聞Politikenが「映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『メランコリア』で知られるデンマークのラース・フォン・トリアー監督が、彼自身のアート系ホラー映画『アンチクライスト』を元にした『Eden』というゲームをPC向けに制作中で、2010年リリース予定だ」と報じました。
映画『アンチクライスト』は2009年のカンヌ映画祭で審査員から野次が飛び、観客数人が気絶するというかなりの問題作だっただけに、多くの人がこのニュースに混乱しました。映画は賞の基準から全くかけ離れているという事で、カンヌ初の「アンチ賞」が与えられています。
Politiken紙によると、『Eden』は一人称視点のホラーアドベンチャーゲームで、『アンチクライスト』の主役であるウィリアム・デフォーさんがナレーターを務め、映画が終わったところからが、ゲーム版の話は始まります。
開発は、映画のプロダクションスタジオで監督自身が数十年前に立ち上げたZentropaの、ゲーム部門となるZentropa Games。デンマークのIO Interactiveによるゲーム『ヒットマン』シリーズに脚本家として関わっていたモーテン・イヴェルセンさんが『Eden』の開発を率い、フォン・トリアー監督がゲームの最終デザインの最終決定権を持っているとのことでした。
同紙によれば、この作品では最初にプレイヤー自らの持つ恐怖に関する「一連の質問」に答えないといけないそうです。この質問への答えにより、ゲームのアクションシーンが変化するとのこと。ゲームの中には現実世界のニュース映像などが流れ、「プレイする度にユニークな経験ができる」とか。
イヴェルセンさんはメールの中で、「元々は映画と対を成す作品として考えられていました」と語っています。しかし、開発チームは最終的に『アンチクライスト』の観客はとても限定されていると考え、本来のアイデアから離れて、ユニークなストーリーでプレイするものを引きこむような作品にし、例えば『HEAVY RAIN 心の軋むとき』のようなゲームを好む層を取り込もうとしました。
イヴェルセンさんは『アンチクライスト』と『Eden』との関係を、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』と、同作から強くインスパイアされたゲーム『S.T.A.L.K.E.R.』との関係と比較しています。同じ世界や設定など、鋭いファンなら認識できる要素を詰め込みながらも、より幅広い層に受けるモノにするということです。
ゲームは『アンチクライスト』のエンディングで起きたことから生じた「法的、心理的な影響に関する短いプロローグ」で始まり、プレイヤーは「次第に解けてゆくミステリーの鍵となるヒントを集め、(映画に出てくる)キャビン周辺をアンロックしていく」んだそうです。『Eden』で上手くやるには、プレイヤーは自分の持つ恐怖に対峙し、プレイヤー自らの、そして「(ゲームの)世界のもつ暗い面を探索していく」必用があるんだとか。
イヴェルセンさんの書く所によれば、このゲームの売りどころはかなり変わっています。映画『ジョーズ』が1970年台に「ビーチホリデー」を台無しにしてくれたように、『Eden』は「森林散策」を台無しにしてくれるんだそうです。
イヴェルセンさんは幾度と無くフォン・トリアー監督と会っているようです。監督はこのゲームプロジェクトに「とても興奮していた」そうですが、監督には他にも色々優先順位の高いプロジェクトがあり、そのうちの一つが『アンチクライスト』に続く映画『メランコリア』でした。
「何作かゲームはプレイしたことがある」とイヴェルセンさんに話したという監督。『アローン・イン・ザ・ダーク』や『ハーフライフ2』、ミリタリー系シューターを遊んだことがあるとのことで、フォン・トリアー監督作品の『ドッグヴィル』と『サイレントヒル』に共通するスタイルに関して話をしたりもしたそうです。
『Eden』の準備段階が終わった後に、監督は「クリエイティブ面で全てをコントロール出来ないため」、「実際のプロダクションには全く関わりたくない」という意向を示したとイヴェルセンさんは語っています。
『Eden』は、9ヶ月のプロダクション作業後、2009年末にキャンセル。イヴェルセンさんによれば、Zentropaのメイン事業であるエンターテイメントビジネスが資金的に上手く行かず、スタジオが「スタッフの半分をレイオフ」しなければならなかったそうです。このためZentropaはインタラクティブな作品に投資するよりも本業に精を出すことに決めたとのことでした。
いやはや、映画とゲームじゃ作り方も色々勝手が違うんでしょうが、ここまでの大物監督たちが失敗しているとなると、よっぽど難しいんでしょうね。今回の紹介した作品の中に、今後陽の目を見ることができるものが出てくることを祈ります。
[via Kotaku]
(abcxyz)
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