悲しい過去を想い出させてしまったらゴメンナサイ(汗)
もしかすると、オタク人生を歩んできた方々も似た経験したかもしれませんが、この記事を書いたアナリー・ニュゥイッツ記者は、子供時代に同級生たちによるイジメでソーシャル的な地獄に生きていた、と言います。
ソレはいつものように、クラスで自分の悪口が書かれたメモが人から人へと渡され、昼休みになると大勢で自分を取り囲んで、見下すような変な質問を浴び続け、肩パンなどの攻撃や侮辱の言葉を一身に受け、夜中の3時にはイタズラ電話が鳴り、お気に入りの白いシャツにはピッツァ用ソースをぶっかけられたりと、相当ヒドい目に遭ってきたのだそうです。
ですがそうした経験が反面教師的に作用したのか、アナリー記者をマトモな人間に育成してくれた、とも言っています。と、ココで彼女から、オタクな子供だった頃いじめられて学んだ人生のレッスンを6つ、ご紹介したいと思います。
大人になった今でも応用できるコトがあるかと思いますし、以下で一緒に学んでみましょう。どうぞ。
1. 無視は侮辱であり、それはずっと続く
アナリー記者の中学生時代、彼女は疑いなく最も目立たない少女のひとりでした。大げさに言っているワケではなく、本当にそうだったと本人も自覚しています。
当時、同級生のコたちは彼女の名を面白おかしく呼び、ほとんど毎日アナリー少女を笑い者にしていました。イジメかたには様々な方法があって、イジメっ子グループは昼休みに待ちぶせして、廊下ですれ違う時にカノジョに気味の悪い表情をしてみたり、「ど~~してアンタはゲイなのよ?」、「日常がアナタを嫌っているコトを、イヤに思うかしら~~?」などという言葉で、精神的に嫌がらせをしてきたのです。袋叩きにされたり、暴力は数えるほどだったのですが、圧倒的にメンタルに訴えかける拷問が多かったそうです。
ですが、このくらいのレベルの嫌がらせであれば、コチラの反応は何パターンもあります。同じ学校に通う別のいじめられっ子は、コロンバイン事件寸前のトコロまでブチ切れてしまったそうで、体格の大きな変わり者だったその子は、イジメっ子のひとりをズタボロになるまでボコボコにブチのめしてしまったそうです。
...が、そんな勇気のないアナリー少女は、常にアンドロイドのように振る舞い、できる限りイジメっ子たちをを無視してきました。たとえ顔の目の前にヤツらが迫ってきたとしても...です。とは言え、それが毎回上手く行くワケでもないので、カノジョらの奇妙な質問には、ロボットのような超簡潔な答えで返す技も身につけました。侮辱に対してどのように受け答えをするべきか...ソレを本で学んだおかげで、実践では大変役に立ったと言います。
お気に入りだったテクニックは、侮辱の言葉の意味を逆さまにひっくり返すコト。たとえばランチの時、「アンタは自分がイケてると思ってるワケ?」という質問が来たとします。ヤツらはスグにでも笑ってやろうと、ミジメな答えを待ち構えていますが...ロボットっぽく全く同じ質問を返すと、そのコは本来イケている本人自身の説明をし始め、結果シドロモドロに(苦笑)
そしてアンドロイドの勝利! アナリー少女は侮辱されるコトを、イラっとさせる景色程度のモノで、機械的に回避出来るモノだと考えるよう学んだのです。当然ながら、そんなのはトゲがチクっと刺しても個人的に考えないのと同じように、個人的に受け取りなんかしません。
その後の人生で、侮辱の言葉を受け流す技が幾度と無く役に立ったか、とても数えきれるモノではないと言っています。ライターになるというコトは、基本的に終わりのない批評に晒され続けることです。不公平なキャラにされ、拒否られ続けます。せっかくの自信作なのに、編集部からの容赦無いボツを食らったり、文章が読者に賛同していないからと声高に叫ばれたりと、中学校にいた大勢のイジメっ子の中、自分を信じて突き進んだ経験から学んでいなければ、この業界ではやっていけません。
正直言って、子供の頃に体験したツラい思いより、今のほうが厳しい窮地に追い込まれる可能性は大いにあるのです。ライターとしてネットで攻撃されやすい今は特に...です。
2. きっと皆はアナタを笑い者にしているけど、別に大したことじゃない
アナリー少女は7年生(中1)の時、片思いの男子が学校のミュージカルの脚本を書いていたのが理由で、演劇のクラスを取りました。望んでもいないのにヒドい状況下に置かれていた中、学校の演劇で女の子の母親役という、小さいパートを貰いました(ちなみにその子は校内で目立った存在であり、イジメっ子のひとりでもあります)。
学校の集会でこの演劇が開催された時、アナリー少女はステージに登場し、3行のセリフを言うのですが...観衆のみんななスゴくつまらなさそうにしています。でもソレだけでなく、この演劇は2回の公演があったため、巨大な中学校の全生徒がこの劇を観る機会があったのです。つまり、カノジョは観衆からブーイングを受ける機会も2度あったというコトなんです。しかし悲しいかな、それを注意する教員は誰もおらず、誰も行儀の悪い生徒を制止しようともしなかったんです。
とは言え、そんなの大した問題ではありませんでした。3行文のセリフを喋って、ステージを降り、脚本を書いた(実はかなりオタクな)男の子とデートできたんですから。そんなコトはヤジを飛ばした連中も、それに自分自身ですらも考えもしなかった出来事でした。ブーイングした人たちのほとんどは、イジメっ子グループでなく、ただつまらない学校行事に付き合わされて飽き飽きしていただけのコトでした。イジメっ子たちがヤジを飛ばし始めて、楽しく一緒に乗っかったというだけで、彼らにも大したコトではなく、もちろん個人的に受け取るコトではない、それだけの話でした。
ちょっとヘンかもしれませんが、この出来事で学んだのは、中には周囲が自分を笑い者にしているという強迫観念に囚われた人もいますし、アナリー少女も現実にその恐怖に直面しました。ですがカレらが笑っていたのは、ステージに立ったカノジョであって、降りればそれはお終い。恐怖ともオサラバです。これが原因でパラノイドになったのかもしれませんが、またこのお陰で、ネットで自分の記事が叩かれても手首を切らずにやり過ごせたのだと分析しています。
ともかくはっちゃけた13歳どもに注目され、バカにされる中、舞台に立つ勇気があったアナリー少女ですが、アレは檻に入れられたサメのようにクソな体験だったとも言っています。
3.なにより友情より大事なことはない。
オタク少年/少女だった頃、本当の友達がダレなのかは、割と簡単に見分けがつきます。イジメっ子たちが近付いて来た時に、側に居てくれるような子たちです。アナリー少女は中学校で、素晴らしい友達がたくさん居ました。それはカノジョの中に、その他のオタク少年/少女たちと積極的に仲良くなろうというポリシーがあったからでもあります。
最低でもひとり友達ができると、イジメっ子たちを笑い種に出来る余裕が生まれます。マジメに考えてみると、カノジョらは普通にオツムの弱いDQNで、類友で群れているのが楽しい人種です。そう思って客観視すると、カノジョらをからかう余裕すら生まれてくるのです。
中学時代にいた友達で、いつもダルそうな目つきをした子がいました。ある日その表情を見て、イジメっ子たちが「アンタどっかおかしいワケ~~?」とおちょくってきました。
ソコでアナリー少女は「実は...そうなのよ。この子はマジでヤバい病気を持っているの。しかも感染する病気よ」と返します。友達もけっこうノリノリです。そして最後に、「この子は致命的な目のかゆみのせいで、注射を打たなければいけないのよ」と言ってやったそうです。彼女達は、ダルそうな顔マネをしてくるイジメっ子たちを、とても愉快に思うようになっていました。顔マネをするまで待って、やり始めたら指さして笑ってやるのです。
オタク友達と友情で固く結びつく事は、逆境に打ち勝つに値するという事で、その渦中にいて始めて学べた事です。ほかの人達は忠誠心と、戦いにおいてお互いの背後を護ってやる術を学ぶかもしれません。でもこれも、アナリー少女は中学で学んだコトです。
4.想像する事は痛みよりもパワフルである
アナリー記者の実体験から言って、子供が人をからかうのには波があるそうです。中学校が地獄の日々でしたが、4年生、5年生のときはソコまで最悪ではなかったと言っています。
中学では友達がいましたが、4年生では「牛の目オンナ」や「ブタ子さん」として呼ばれていました。当時、同級生のアーセラ・デ・グインちゃん、アン・マカフレイちゃん、そしてウォルター・ファーレイ君の3人が書いた、ドラゴンやヒーローやマジックが登場する小説を読んだアナリー少女は、それで益々オタク度を深めてしまいました。本やその他イロイロのお陰で、自分のアタマの中で独自のファンタジーを作り出すコトを学んだのです。
今日まで、痛みに対する信じられないほど高い抵抗力を備えたのは、ネガティヴな物事をシャット・アウトして、アタマの中をファンタジー・モードに切り替え、力強いストーリーが湧き出てくるように出来るからなんですって。
これは医者にかかったとき、特段に痛い治療を受ける時など大変役に立つだけでなく、ここ最近(または一生)世界が大きく間違っていると感じた時にも使えます。こうした妄想は、現実逃避するのに便利であり、物事を正しく位置付けることにも役立ちます。たとえ小さな問題が起こっても、正義の物語は何が正しいのか、アナタを導いてくれるのです。
5.人気のあるものを信じるな
映画や人物、ガジェットなどなど、人々が群れをなしてソレに向かって行く時、アナリー記者の防御壁は一気に高くなります。そういったモノが、いともカンタンにイジメっ子たちのシナリオに取り込まれてしまうのを見てきましたし、ポピュラーなモノがいつでも最高のモノかと言うと、そうでもありません。同じ理由で、逆にみんなが物事についてボロクソに言っていたとしても、だからと言ってソレが最悪なワケでもなかったりします。
心の中でこの教えを守っていれば、ポップ・カルチャーから距離を置くコトの助けになります。中には、脳ミソを一旦止めて、一般大衆ウケする映画を観るべきだ...と主張する人たちもいますが。たとえばアナリー記者は常に脳ミソを休めません。ポピュラーなモノがいつなんどき頭の中に入り込んでくるか、用心深くしているそうです。仮にそれが一般ウケする科学的で技術的な知識だったとして、周りは皆ソレが正しいといっていても、本当にそうなのか試してみたくなります。きっと多くの科学者だって、確証を得るために反証したくなるのと同じコトではないかと思われます。かつてオタクだったキッズだって同じように、優位な仮説を疑いたくなるのです。
流行りモノを信じないというコトは、その反面マイナーなモノに対してオープンでいられるという、良い側面もあります。往々にして、ソレらはスゴいものに化けるコトだって多々あるワケで...小さい出版社からでた小説でも、誰かが裏庭で撮った映画でも、まずはチャンスを与えてみると良いでしょう。
6.復讐なんて諦めよう
アナリー少女だって、イジメっ子グループに対して復讐を企てたコトが何度かありました。特に高校時代、コンピューター・ハッカーを目指していた連中と付き合っていた頃には、カノジョをイジメた連中に対してカンタンに単純に、しかもバレないように復讐するコトができたのです。ですがドレだけ復讐してみたって、これまで受けたヒドい仕打ちに対するイヤな想いを拭い去るコトは不可能。しかも現実的なレベルで考えて、講堂のステージでカノジョの舞台を笑った1500人ひとりずつに対して、どうやってイチイチ復讐できましょうか? そんなのは時間のムダですよね。
これまで大規模な拒絶に直面してこなかった人々は、常に復讐しようという欲望に駆られます。復讐には魅力があります。相手が2~3人ならまだしも、理不尽な物事もスケールが大きすぎると、もうやり過ごして耐え忍ぶしかないと気が付くことでしょう。
逆境はアナタを強く成長させます。サイアクの被害妄想だって切り抜けられるようになります。そしてステキな想像(妄想)であれば、暗黒時代を耐え忍ぶ助けになるんです。イジメに対して怒りのエナジーを無駄遣いするよりもオタク同士で結びつき、友達同士で楽しく過ごすほうがイイに決まっています。
イジメられた体験は、アナリー記者に一般ウケするモノを疑うことを教えてくれたのは良かったと言っています。ハリウッド発だろうがホワイトハウスだろうがフェイスブックだろうが、ノーベル賞だろうが、みんながイイねと言うから、ソレがホントに良いものとは限らないんです。
という、アナリー記者の身につまされるような子供時代の体験記事でしたが...誰もが大なり小なり、同級生とこうしたトラブルに遭遇した経験はあるんじゃないでしょうかね。
イジメが大きく問題視されている昨今、これら6つの回避方法が少しでも渦中にいる人たちの手助けになればと思います。
Thinkstock/Getty Images
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(岡本玄介)
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