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【小説】こうしす!第1話 「XPだけどお金がないから使い続けても問題ないよね」

2016/11/22 21:20 投稿

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アニメ 「こうしす!」第1話のノベライズ版を作ってみました。
出来たてほやほやです。(「推敲がまだ」ともいう)


※アニメ版「こうしす!」第1話(改訂2版)は以下をご覧ください。







こうしす!第1話
「XPだけどお金がないから使い続けても問題ないよね」

著:井二かける

  プロローグ

 どうせ仕事をするのなら、ソファーに転がる芋になる、といった簡単なものが良いですよね。ごろごろするだけで給料がいただける、そんな仕事に憧れて、わたしは京姫鉄道株式会社へ就職しました。ネットで流布する噂では、なんと、仕事なし残業なしで同僚なしという夢のような部署まで用意されているのだとか。さすが、準大手私鉄。素敵ですね。目指せ、|追い出し部屋《パソナルーム》!
 ま、そんなわけで、明石海峡線の開通に恩返しがしたいとか、鉄道という重要なインフラを支えることで社会に貢献したいとか、そういうのは、あくまでも面接のためだけのおべんちゃらであって、そんな気持ちは〇・一パーミルぐらいしかありません。

 ですが、入ってしまえばこちらのもの。簡単にクビになどできますまい。 
 あー、就職できて、最高っ! 
 
 ……のはずなんですけどね。
 不安だな。

 梅雨入り前の最後の陽気でしょうか。駅のホームには燦々と日差しが降り注いでいます。額にはうっすらと汗。けれども、その汗には少し冷や汗や脂汗が混じっていました。

 何が不安かって?
 何をか言わんや。

「やっぱキハ20ですよ!」
「少尉。そこは、USSシマント号ではないかね」

 ……これが、システム課の先輩方だということです。
 ちなみに、彼らが話し合っているのは、ここにやってくる車両が何かという話です。

「キハ20ですよ、絶対!」
 この御仁は|垂水《たるみ》結菜先輩です。彼女は先輩ではありますが、年下、しかも高卒入社の未成年です。『キハ命』という謎の文字列がプリントされたTシャツに、ピンクのカーディガン、そして七分丈のデニムパンツ。連邦保安官よろしく腰に社員証を下げています。いくら本社は服装自由といっても、これは自由すぎませんかね。
 そして、この言動からも分かるとおり、どうやって入社したのか首を捻るほどの鉄道ファンです。『一般社団法人 飾磨臨海鉄道』を立ち上げ、京鉄飾磨臨港線の廃線跡を引き取ったとか、飾磨港駅跡を自宅にしているとか、そんな話まで聞きます。

「ここはUSSシマントだと考えるのが論理的だ」
 対するこちらは、少佐と呼ばれている男性社員。もちろん、この方は軍人などではありません。少佐というのは社内の職制に実在する職位で、少佐は少佐なのです。そして少佐は少佐しかいません。何を言っているか分からないと思いますが、わたしも分かりません。誰か説明して下さい。
 
「キハ20!」
「USSシマント!」
 何の話でしょうか。鉄道車両と……アメリカ海軍の艦船?  

「そこは、國鉄型でしょう」
「國鉄……そのうち民営化するような公社など、惑星連邦の足元にも及ばないではないか」
 ああ、アメリカ海軍艦船ではなく、|惑星連邦《U》|宇宙《S》|艦《S》の方でしたか。
「なにー!?」
「やはり、人間は非論理的だ」
 少佐は片眉を吊り上げました。
 少佐は海外SFマニアのようです。だから、保線服を改造したらしい、ちょっとSFの制服のようにも見える服装なのですね。どうりで。
  
 ……というか、この方々、全然仕事の話をしていないのでは?

「ホーエン少尉もなんか言ってやってくれ」
 少佐の矛先はわたしにも向けられます。
「ホーエンではありません、ホウソノです、|祝園《ほうその》アカネ」
「了解だ、アカネ・ホーエン少尉」
「|祝園《ほうその》ですってば」
 イワイゾノなどと間違えられることはよくありましたが、ホーエンと間違えられるのは初めてです。というか、わざとでしょう。

「今日は、113系電車だからね。車内無線LANの試験」
 課長はタブレット端末に視線を落としたまま、会話に加わります。
 この課で唯一マトモなのがこの|山家《やまが》宏佳課長です。彼女は本社勤務だというのに常に制服を着用しているという点では変わり者ですが、他の二人に比せばどうってことはありません。わたし自身も制服を着てますしね。
 
 垂水先輩の目が輝きます。
「113系っすか! まじ、渋いチョイス! 楽しみだなぁ」
「USSシマントじゃないんですか、艦長」
「こんなところに連邦宇宙艦が入れると思う?」
「なるほど。では、タイプ15シャトルポッドなら、あるいは……」

 不安すぎます。
 この人達とうまくやっていく自信がありません。
 
 けれども、まあ配属されたばかりですし、杞憂ですよね、杞憂。
 ああいう人間でも生き残れる会社という風に考えれば決して悪いことではありません。
 そうです。あの太陽のように、永遠に輝く安泰人生が目の前に……!

『まもなく、一番のりばに列車が参ります。黄色い点字ブロックまでお下がりください。まもなく、一番のりばに列車が参ります。ご注意ください』

 その自動アナウンスの直後、わたしの希望は打ち砕かれたのです。
 ガタガタと、今にも分解してしまいそうな音を立てながら、それはやってきました。ギイイイイイと金属の摩擦音が耳を貫きます。視界に飛び込んできたのは、動く廃墟物件――錆に食い荒らされたオンボロ電車でした。そのデザインセンスも前衛的というべきか何と言うべきか。車両前面にはでっかい風邪マスクのごとく、半分を覆い隠すように黄色の鉄板が取り付けられています。赤錆が血を連想させ、まさにホラーという他ありません。やがて、その物体は、カカカカカカカカカと異音を発しながら、わたし達の前でよろよろと動きを止めました。
「ボロッ! ……なんぞこれ」
 思わず、声が漏れてしまいました。
 しかし、わたしとは対照的に、垂水先輩は嬉しそうです。
「お、113系は113系でも、サンパチ君か!」
「何です?」
「國鉄から古い電車を貰ったんだって。よく修理して動態復帰させたなー」
「へー、これが修理……」 
 苦笑ものです。せめて塗装ぐらいなんとかならなかったんでしょうか。
 ふと、脳裏を掠めたのは、新入社員研修で繰り返し語られた言葉でした。

「あー…、うちのモットーでしたね。『モッタイナイ、直せばまだまだ走れます』」

 使い続ける。動かなくなるその時まで。動かなくなれば、廃車発生品で修理する。廃車発生品が底をつけば、ドンガラだけでも再利用して新車両を製造する。
 その結果、銀色に光る新車が走る一方で、ダイヤが一度乱れれば、こんな廃墟物件がお客様を乗せて走るのです。それだけならまだしも、元電車の気動車や、元気動車の電車などという悪い冗談のようなものまで走っています。曰く、リサイクルも極めれば新車で揃えるよりは安くつくのだとか。不採算路線を抱えながらも鉄道事業が単独で黒字を実現しているという輝かしい業績の裏には、そんな涙ぐましい努力があるのです。だからこそ、人は|京姫《きょうき》鉄道を『狂気鉄道』と呼ぶのです。おまけに線路の幅も狭軌だったりしますね。どうでもいいですが。
    
  それにしても、この電車、大丈夫かなあ。ここが人生の終着駅(文字通り)になりませんよね……。
   
  山家課長が率先して一歩を踏み出します。
「良いから乗るわよ!」
「はーい」
 垂水先輩とわたしは同時にそう応じましたが、わたしの声は先輩の声よりも440ヘルツほど低いものでした。
 そして、少佐。
「ワープ二で発進!」
 はいはい。


  *
  

 六月九日。
 果てしなく広がる草原の中に、青色の鮮やかな窓枠が浮かんでいました。景色の話ではありません。パソコンの画面の中の話です。
 
「XPのサポート期限切れからもう一年と二ヶ月ですよ! 即刻、OSのアップグレードを」
 システム課のオフィスに、山家課長の切実な嘆願が響き渡ります。
 
  中舟生《なかふにゅう》CIOがシステム課の自席に座るのは、ひょっとするとわたしが配属されてから初めてのことかもしれません。CIOは広報部長を兼任しているため、システム課と役員室の他に広報課にも席があります。ここのところ専ら広報課に居着いていたらしいのですが、きっと、こんな風に山家課長に詰め寄られるのが嫌で、システム課を避けていたのでしょうね。まあ、最高情報責任者《CIO》としてそれはどうかと思いますが。

 五十代ともあろうおっちゃんが、まるで先生に叱られる小学生のように、肩をすぼめます。
「……だって、まだ使えるじゃん」
  まあ、弊社の企業風土ではそれもやむを得ないかもしれません。先日のオンボロ電車に象徴されるように、動く限り使うのが弊社のモットーですから、さもありなんです。決して新しい技術に興味がないわけではないようなのですが、動くものは使い続けるという貧乏性がはびこっています。その影響で、パソコンのOSも、古いウインドウズを使い続けているというわけです。かくいうわたしのパソコンも、配属当初はウィンドウズXPがインストールされていました。7のライセンスが余ってないというので、今は、暫定的にリナックスを使っていますが。

 少佐が課長に加勢します。
「しかし、シールドなしで戦闘するようなものでは?」
「だって、お金ないもん」
 CIOは首を埋めます。まるでトド。
 課長は語気を強めました。
「もはや限界なんです。垂水ちゃんの報告書、読んで頂きましたよね?!」
「……読んだよ。しかしな、ウィルスソフト入れとけば大丈夫だろって役員連中がな」
「……頑張って書いたのに!」
 垂水先輩は頬を膨らませて、CIOに鋭い視線を送ります。
「残念だが、役員会としての結論は『うちの技術力でなんとかする』ということだ」
 課長は肩を強ばらせ、震える手を隠しながら、声を絞り出します。
「……技術力」
「……俺が言ったんじゃないよ。そんなに怖い顔をしないでくれ」
「一人の技術者として申し上げるなら、XPのパソコンをインターネットに接続している時点で狂気の沙汰です。最低限、インターネットに接続できないように、ネットワーク構成を変更させてください」
「だめだ。その件は、労働組合がうるさいんだよ。自席からインターネットに繋がらなければ仕事に時間がかかる、労働搾取云々とな」
 まあ、アクセス履歴を見る限り動画共有サイトへのアクセスが最も多いんですけどね。
「ならば、少しずつでも良いのでOSのアップグレードを進めていくしかありませんよね?」
「……」
 CIOはしばらく沈黙します。やったか。
 しかし、この方向では分が悪いと考えたのか、別の理由を持ち出します。
「それに、OSを新しくしたら一部のシステムが動かないんだろう? ほら、IEがどうのって」
「その問題なら既に解決済です。ベンダーはサポート対象外と言っていますが、リバースプロキシでX-UA-Compatibleヘッダーを……つまりですね、サーバーの設定をちょっと変更するだけで、だいたいうまくいきます」
「でも、それでシステムトラブルが起きたら、ベンダーは責任を取ってくれないだろう」
「じゃあ、XPを使い続けてトラブルが起きたら、ベンダーが責任取ってくれるんですか?」
 CIOは完敗でした。
「……わかってるよ、そんなことは」
「では、なぜ、たった千数百万円の予算承認が下りないんですか!」
「……決定事項は変えられないんだと。お、俺だって取締役会じゃ下っ端なんだから。ま、がんばってくれ」
 CIOはぶっきらぼうに手を振りながら、そそくさと部屋を出て行ってしまいました。失望と沈黙に包まれるシステム課。こういう大人にだけはなりたくないです。
 
 
  
  はあ、何も起こらなければ良いんですけどね。

 そのとき、一本の電話が入りました。
「はい、システム課、祝園です」
 わたしが言い終わる前に、電話の向こうで泣きわめく声が聞こえてきます。
『うわーん、アカネちゃーん』
 ……起きました。
  なにか、本格的に、残念なことが。


  *


 わたしはため息交じりに広報課に向かいました。
 あの電話の主は英賀保芽依――わたしの同期です。不本意ながら、彼女のことは入社式の時から知っています。もしノーベル・トラブルメーカー賞があったならば、彼女は確実に受賞できることでしょう。彼女の周りではことあるごとに大事件が巻き起こります。入社式では、わたしの安泰な人生設計を完全に葬り去るほどの事件もありました。今回こそは、とばっちりを受ける前に、とっとと片付けてしまいましょう。
  
 広報課はお隣さんとはいっても、システム課とは規模からして違います。人数も三倍、部屋の広さも三倍。CIOを数に入れても五名しかいないシステム課に比べれば雲泥の差です。机やキャビネット類は同じねずみ色の無骨なものを使用しているはずなのに、広報課のほうが断然お洒落な雰囲気が漂っています。ところどころにアクセントカラーとなる鮮やかな暖色系の小物類が配置されているからでしょうね。

 そんなオフィスの隅に人だかりができていました。どうやらトラブルは本当のようですね。その中心に英賀保がいることを確認したわたしは、ため息をついて、そこに向かいました。
 彼女は、わたしに気付くなり即座に無実を訴えます。
「アカネちゃん! わたし、何もしてないよ!」
「そういうことを言う人に限って何かをしているか、本当に対策も何もしていないかのどちらかです」
「ええ!? ちゃんとウイルスソフト入れたよ」
 彼女が言わんとすることはウイルス対策ソフトなのでしょうが、本当にウイルスを入れてしまっているのだから冗談ではありません。
 もっとも、現時点でそれをコンピューターウイルスと呼ぶのは少々不正確かもしれません。コンピューターウイルスの最大の特徴は他のプログラムに寄生することです。同じような機能を持っていても、宿主を必要としないものは厳密にはウイルスとは呼ばず、ワームと呼びます。悪意のあるソフトウェアには、ウイルス、ワームの他に、スパイウェア、アドウェアなど様々な種類があるため、それらをすべてひっくるめて『マルウェア』と呼ぶのが無難です。このあたり、かつて通産省が告示したウイルスの定義によって用語が混乱してしまっているような気がしますね。
「英賀保さん、ちょっと退いてくださいね」
 わたしは彼女の椅子を奪い、パソコンの画面を確認しました。
 草原に青い窓――もちろん彼女のパソコンもXPです。
 エラーを示す×マークが画面のあちこちに現れ、ファイルのアイコンまでもが×マークになっています。こんなあからさまな症状が出るとは、今時珍しいタイプのマルウェアですね……。
  と、感心している場合ではありません。とにもかくにもまずは隔離です。わたしはパソコンのLANケーブルを引き抜きました。
 
  わたしは他のパソコンも確認して、同様の症状が発生していないことを確認しました。潜伏の可能性も考え、念のため広報課のネットワークを社内LANから隔離します。
「とりあえず、初期対応は完了しました」
『さすが、早いわね』
「事情聴取、しておきます」
 電話で課長への報告を終えると、わたしは満面の笑みで英賀保に向き直ります。
「では、英賀保さん? 詳しく話を聞かせてください」


  * 

「報告して!」

 山家課長は皆の前に立つと、ドンと音を立てて両手を机に置きました。
 課長の背後にはホワイトボード。簡略化したネットワーク図とインシデントの時系列の経緯が記入されています。

 それは、予想外の事態でした。
 そうです、わたしは見落としていたのです。あの派手なマルウエアは、時間稼ぎのためのただの目くらまし。他のパソコンにもマルウエアが感染していたとみるのが正解でしょう。既に感染は全社規模に広がってました。

「ウィルス感染報告が殺到してます!」
 垂水先輩の報告に、少佐が補足します。
「広報課、営業課、国際課……本社ではここ以外全部です!」

 ホワイトボードのネットワーク図に、紫色のマグネットが配置されていきます。それが感染の印。初動対応として、既にネットワークが切断された箇所が赤色の×印で記入されていきます。もはやフロア丸ごと切断されている箇所も多く、実際に目にすると割と絶望的な感じがよくわかりますよね。可視化大事。 
  
「原因は?」
「広報課の人です」
 わたしが英賀保に尋問して聞き出した内容を報告します。
「『ウイルスに感染している』という偽のWEB広告を信じ込んで、偽ウイルス対策ソフトを入れてしまったそうです。まぁそれ自体がウイルスだったようですが」

――貴様のコンピューターはウィルスに感染しています

「まさか、あれを真に受ける人がいるとは……」
 少佐は机に肘を突き立て、両手を口の前で組んでいます。いつになく渋い表情で。
 垂水先輩は首を傾げます。
「これだけ広がっているのに、なんでウチの課では感染していないんでしょう?」
「OSが7とリナックスだからでは?」
 と、わたし。
 すると、少佐はデータベース上で感染した端末のリストを台帳と突き合わせ、インストールされているOSをリストアップします。
「確かに、やられてるのはXPだけのようです」

 課長は眉間を押さえます。
「……なるほど。XPを狙ったウィルス……。でも『万全』の対策はしていたはずよ」 
「新種のウィルスみたいです。ウィルス対策ソフトも歯が立ちません」
「ユーザーに管理者権限は与えていないし、ホワイトリスト型のセキュリティソフトも使っていたはずなのに」
 課長はため息をつきます。
  ホワイトリスト型のセキュリティソフトとは、予めホワイトリストに登録されているソフト以外は実行できないようにする仕組みの対策ソフトです。マルウエアはホワイトリストに登録されていませんから、実行すらできません。さらに弊社が採用しているセキュリティ対策ソフトはソフトウェアの動作を監視しますから、 仮に実行されても異常動作が検出されれば動作がブロックされます。ですから、感染のリスクは極めて低いといって差し支えないでしょう。
  
  ところが、このマルウェアは、その制限を易々とくぐり抜けてしまったのです。わたしは安全性を確保した上で、仮想マシンの中で英賀保芽依が閲覧してしまったという悪意のあるWEBサイトを開きました。ウィルスの感染過程とその挙動を確かめるためです。  
  おお、すごい。      
「これ、XPの脆弱性を突いて管理者権限を奪い取るタイプですね」
 『イソストール』のクリックと同時に、管理者権限でWEBブラウザが立ち上がりました。瞬く間に、セキュリティ対策ソフトは無効化されてしまいます。そして、感染。ここまでセキュリティ対策ソフトがほぼ反応しません。
 
 まず、攻撃の突破口に使われたのは、WEBブラウザとスクリプトエンジンの脆弱性のようです。そして巧みにセキュリティソフトの監視をくぐり抜け、管理者権限を奪取。謎のデバイスドライバがロードされ、直後にセキュリティ対策ソフトの動作が完全に停止してしまいました。わたしはデバイスドライバとか開発した経験がないので断言はできませんが、ここまでやってしまうとは、犯人は結構専門的な知識をお持ちなのかもしれませんね。


 あまつさえ、こいつにはネットワーク上で自己複製する機能があります。同様にXPの脆弱性を使って侵入し、管理者権限を奪取し、感染させる。こうして全社規模で感染が拡大してしまった、と。

「こうなっては、どんな対策も無意味です」

 ということですね。

 しかも、弊社が採用するのと同じセキュリティ対策ソフトで、何度も試行錯誤を繰り返したとものと推測されます。
 ちなみに、弊社がそのセキュリティ対策ソフトを導入していることは、そのソフトのメーカーのWEBサイトに導入事例として掲載されているため、公知の事実となっています。仮にこれが標的型攻撃だとすれば、事例掲載による割引と引き替えに弊社は大きなリスクを背負ってしまったということになります。


「少佐君。パッチは?」
「出てません」
「当然ですね。サポート期限が切れてるんですから」

 そして、それは犯人にとってはサポート期限が切れてから一年間、十分な準備期間があったということを意味します。
 ちなみに、攻撃に使われたであろう数々の脆弱性は、何ヶ月も前に明らかになっていたもので、XPよりも後のバージョンでは既にアップデートが提供されています。実際、最新のアップデートが適用されたウィンドウズ7では感染が確認されていないのはそういうこともあるのでしょう。

「はあ……社内LANはXPの巣窟よ」
 課長は腕を組み、ホワイトボードを絶望に満ちた眼差しを向けました。
「仕方ない。社内LAN全体を基幹ネットワークから隔離しましょう」

 それは社内の事務的な業務を完全にストップさせるということを意味していました。

 とはいっても全部署のパソコンが感染しているわけですから、今更です。新たな感染のリスク、二次災害のリスク、情報漏洩のリスク、種々のリスクを考えると、選択肢は他にありません。まあ、列車運行管理システムはネットワークが異なるため影響を受けないでしょうけどね。

「少佐君?」
「五分でやります」
「一分でやって」
「アイアイサー」


  *

 忌々しくも、電話のベルが鳴りました。

「はい、システム課、祝園です」
『運用です。何かサーバーの負荷が異常に高いんですよ』

 わたしが報告するやいなや、課長の顔は見る見る青ざめていきます。システム課に一瞬の静寂が訪れました。

「えっ!?サーバーまで感染したの!?」
「みたいです」

 まだ状況証拠しかありませんが、感染したサーバーのOSバージョンがXPと同世代のServer 2003であることからして、その疑いは濃厚です。

「確かに、今月のアップデート、まだでした」
 と、垂水先輩は力なく報告します。
 確かにServer 2003は今日の時点でサポート期限内です。けれども、アップデートしていなければ、結局の所、サポート期限切れのOSを使い続けるのと同じことです。

「うっかりしてたわ。困ったわね……」

 困ったわね、ではないです。これは明らかにシステム課のミスでした。とはいえ、まあ、ここまで感染が拡大してしまった状態で、サーバーを守りきるのは難しいことです。時間の問題ではあったことでしょう。

 電話が鳴ります。少佐が受話器を取りました。
「はいシステム課。え……ネット配信」
 さすがにこのタイミングでこの連絡は、悪い予感しかしません。
「今度は何!」
 さすがの課長も焦りを隠せません。少佐の背後から画面を覗き込みます。
「これは……!」
 二人は言葉を失います。
 わたしも自席を立ち、少佐のパソコンの画面を覗き込みました。垂水先輩もそれに続きます。それは、ネットのライブストリーミング配信でした。映像は京鉄姫路駅のようです。その発車標の電光掲示板には、正気とは思えない文字列が……。

← 超中央特快   13:20 喜多方ラーメン
← 寝台特急    13:10 惑星大アンドロメダ
← 喜多方ラーメン 13:15 冥王星
wwwwww オマエらやり過ぎだろwwww 

「ハッカーの悪戯?」

 垂水先輩も開いた口がふさがりません。
 面白いことになってきました。なるほど、旅客案内システムのデータの一部は業務系ネットワーク内で作成していますから、このような所業も比較的簡単にできてしまうというわけです。さすがハッカー殿、お目が高い。

 おそらくですが、今回のサイバー攻撃は、信用毀損を狙ったものなのでしょう。そして、遠隔操作でリアルタイムに攻撃を仕掛けている。あるいは別々の目的を持った集団によるものかもしれません。

 ふと我に返った課長は、焦燥しきった様子で少佐に尋ねました。
「CTCサーバーは無事!?もし乗っ取られたら信号機が」
「大丈夫です!古すぎて影響を受けていません」

 監視用カメラからの映像には、画面に昭和90年と表示されているのが見えました。

「20世紀の技術と思われます。興味深い」

 少佐が報告を終えると、システム課は一時和やかなムードに包まれました。そうでした、列車運行管理システムは30年選手でした。PC98シリーズのコンピューターで動作するMS-DOSプログラム――まあ、生ける産業遺産ですよ。さすがにこれはハッカー殿も想定外でしょう。
 まあ、想定外というだけで、すなわちそれが安全であるというわけではありません。少なくともDoS攻撃のような力業の前には無力です。一応は情報系・業務系ネットワークと、運行管理系ネットワークとは、ネットワークレベルで分かれています。しかし、二つのネットワークはレイヤ3スイッチで接続されています。ファイヤウォールが途中にあるとはいえ、サーバー用の基幹LANに侵入されてしまった以上、何をされてしまうか分からないというのが現状です。

 ホワイトボードには既に切断された通信経路が記されていました。これ以上切断できるところは見つかりません。

「でも、これが遠隔操作ウィルスを使った人為的な攻撃だとしたら……」

 課長は一瞬考え込んだ後、一つの決断を下しました。

「……インターネットから切断しましょう」
「!?」

驚きました。この会社に、そんな決断ができる人がいるとは。少佐も驚きを隠しきれません。

「外向けのWEBサーバーもですか?」
「そう。ウィルスがハッカーの指示を受け取れないようにするの」

弊社の場合、WEBサーバーは自社内にありますから、インターネットへの接続を完全に切断すれば、顧客向けのWEBサイトも提供できなくなります。

「最終手段、ですか」

と、垂水先輩。
会社の面目は丸つぶれですが、やむを得ないでしょう。外部に予備のWEBサーバーを用意していない時点で、全然リスクマネジメントができていないってことですね。きょうび小規模私鉄でもこんなとこあらへんわ。

「垂水ちゃん、配線図探して。祝園ちゃん、広報課とCIOに連絡。切断は私達が。さあ、急ぐわよ」

課長は少佐の隣に立ち、操作を指示します。
その時、CIOが扉を開きました。

「だめだ!」

開口一番、そう叫びます。

私がCIOに連絡してから僅か数秒後のことでした。まるでスタンバっていたかのような迅速さですね。

「CIO!」

課長は抗議の眼差しを向けますが、CIOは頑として譲りません。

「大損害じゃないか! 予約サイトがダウンしたら」
「しかし今は緊急時です。個人情報漏洩!列車事故!何が起こるかわからない!」
「他の役員が何と言うか……。無理だ。WEBサイトは落とさない。維持しつつハッカーを締め出す」
「そもそも!今回のケースでは、XPをアップグレードしていたら初期段階で防御できたんです。これ以上、過ちを重ねるおつもりですか?」

おやおやまあまあ……。この期に及んでこれですか。

「あっ」

その時、わたしは気付いてしまいました。サーバーの監視モニターの中に、CPU負荷が100パーセントになっているサーバーがあることに。すぐさまログを確認すると、大量の認証試行と失敗が記録されていました。間違いありません、これはサーバーに不正にログインしようという攻撃です。

「データベースサーバーが攻撃されています!」

しかも、これは乗車券類の販売データを分析するためのデータベースサーバーです。中には定期券の情報も含まれています。個人情報満載ってやつですね。

正直パスワードもそんなに複雑なパスワードではありませんから、もしかすると辞書型攻撃やリスト型攻撃でもすぐに突破できてしまうかもしれません。

わたしの報告が、課長の耳に届いたのでしょう。課長は焦りを隠さず、CIOに必死に訴えかけます。

「もう時間がないんです!」
「無理な物はむーり」
「少佐君、ファイヤウォールで締め出せない?」
「ファイヤウォール、反応しません……。通信を妨害されています」
「CIO!」

まったく、話になりませんね。
あのサーバーにはわたしの個人情報も入っています。こんな会社は滅びて当然ですが、わたしの個人情報をばらまかれては困ります。

わたしは今どうするべきか。心は既に決まっていました。

  *

 三階の廊下には、ガタンゴトンと電車の音が響いていました。この真上には大将軍駅のホームがあります。 本社ビルは特徴的な構造となっており、ビルの三・四階を真横に貫くようにして線路と駅があるのです。ですから、電車が走れば、レールジョイントを車輪が通過する音が響きます。

 ですが、今聞こえている音が、去りゆく電車の音なのか、わたしの心臓の音なのか、今のわたしには判然としませんでした。

 わたしがやろうとしていることは、規則をいくつか曲げなければ正当化できません。普通に解釈すれば、就業規則第56条第3項第2号の懲戒免職事由に該当します。まさか、入社4ヶ月目にして、追い出し部屋の夢を叶えることなくクビになろうとは。分厚いチューブファイルを、ぎゅっと抱きしめます。ええ、分かってます。ただの気休めですよ。

 ただ、弊社の運転取扱基準規程第2条第1項第1号にはこうあります。

ーー 安全の確保は、輸送の生命である。

 ちなみに、その次にはこうあります。

ーー 規程の遵守は、安全の基礎である。

 ああ、やっぱ正当化するのは無理っぽいですね。良い弁護士探さなきゃ。


『サーバー室』の室名札を一瞥し、わたしはIDカードをカードリーダーに押し当てました。

 ピピッと音が鳴り、モーター音とともに電気錠が解錠します。引き戸を開くと、冷たい風がわたしの頬を撫でました。ここから先はサーバー室。真っ白な光の中にわたしは一歩踏み入れました。

 運用課の方がわたしに気付きました。

「あ、システムの新人さん?」
「はい、祝園です。ウィルスの件で、緊急作業です」
「ああ、ご苦労様」

 これだけでご納得いただけたようで、内心ほっとしました。さすがにここで課長の名前を出すのは気が引けますからね。

「では、すみません」

 ここは、冷静に、冷静に。

「のわっ!」
 免震床の段差に足を引っ掛け、すっ転んでしまいました。

 いてててて……。

 運用課の方に見られてしまったでしょうか。後ろを振り返る勇気はちょっとありません。

 チューブファイルの資料を読みながら奥へと進みます。垂水先輩が作成したというこの資料は、とてもわかりやすく記述が整理されています。驚きました。あの人、ただの鉄ヲタではなかったんですね。そのおかげで、特に迷うことなく、基幹ルーターのラックに到着しました。

「基幹ルーター、基幹ルーター…… VRRP構成で……っと」
「OpenFlowのコントローラーっと」

 何という変態構成。OpenFlowみたいな最新機器にお金を使うぐらいなら、パソコンを買い換えなさいと思うのはわたしだけでしょうか。いや、これも動く限り使い潰す文化だからこそ、いざ壊れたときには最新鋭過ぎる機器を導入して技術の陳腐化に抗うのでしょうね。
 LANケーブルを指で辿り、引っこ抜かねばならないケーブルを特定していきます。

 と、構内PHSが鳴りました。
「はい祝園」
『な、なにをしてるんだ』
 それは、CIOの狼狽した声でした。
「これからインターネットへの接続を完全に切断する作業を行います」
『ば、馬鹿、やめろ!』
「これは時間の問題です。一台でも侵入を許した時点でアウトなんですよ。今となっては後の祭り。それで、もし個人情報が流出したら誰が責任を?」
「あなたの恐れているお偉方の面々ですか?」
『俺とシステム課に決まっているだろ!』
「そういうことです。どのみち同じではー?」
『君だけの責任にされるぞ? とにかく、今すぐやめなさい!』
「お偉方の皆さんにお伝え下さい。『モッタイナイ、その判断が、命取り☆』」

 プチっ、プチっ、プチっ。
 気持ちの良い音とともに引き抜かれたLANケーブル達は、わたしの手の中でぷらりとうなだれました。

「インターネット接続を落としました☆」
『ぐあー後で絞られる……モルサァ』

 こうして、最悪の事態を免れたのです。まさに、突破される寸前でした。
 正しくアップデートを適用していた新しいOSのPCやサーバーだけが無事だったという事実は、役員を説得する材料になったようです。ようやくOS入替の予算が下りました。ま、わたし達は、その作業で徹夜続きになりましたけどね……。いやはや、何と言うべきか。


  *

 あ、最後に1つだけ良い事がありました。社長賞ゲットです。懲戒解雇まっしぐらのところを、なんとあのCIOが庇ってくれたらしいのです。ビックリですね。これはボーナス増額コース、期待できるのでは?
「みんなにお知らせがあるんだけど……」
 課長が切り出しました。
 これはボーナス増額が来たか。

 しかし課長は笑顔を浮かべながらもどこか申し訳なさそうです。
「今回の費用で、全社員ボーナスが3割カットされるみたい……」

「えーっ!?」
「えーっ!?」
 わたしと垂水先輩は同時に叫びました。

「シャカ、壁が崩れ落ちた……」
 少佐はぽつりとつぶやき、肩を落としました。

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