ヴァリューZラビリンスのロマサガ     (春雨の螺旋ver.)(∩。・o・。)っ.゚☆。'♥

ブラックこってり全部のせ。黒の世界にシロ・キイロ、群雄割拠の戦国時代。

2014/01/30 23:59 投稿

  • タグ:
  • ニガー
  • HIPHOP
  • J-RAP
  • 亜墨利加

今回は、前回学んだ【ユニオンジャックには黒がない。ギルロイ先生的なEXILEの考察】からさらにバックトゥーザフューチャーして、POPに広く浅くつい最近までを鳥瞰してみたいと思う。そもそも主が情報を貯めたら溜めっぱなしで整理しないと学習できないので、便宜的に行う事にしている。




主の謎のポエム

現代ブラックカルチャービジネスの道を作った90年代の黒い歴史。まだ山川出版の歴史本には記述がないようなジャンルだけれど、、、モハメドアリもマイケルジャクソンすらまだないのなら、よっぽど古い歴史で偏ってるなだな。まあ、いまだに音楽の時間に中世時代の音楽オンリーの教育がまかり通ってるとしたら、そんなのは音”楽”じゃなくて、音”学”だぜって、中二なら当然思うわけで。 モダンがあってクラシックがある。クラシックがあってモダンがある。必要条件、十分条件みたいだけど、相互依存関係で両方の幅が必要なんだけど、結局現場ではそもそも先生の裁量に余裕ないって声も聞こえてきそうだし、子供は子供でピアノなんかよりDSでもやってた方が楽しいだろうしって、脱線ひどすぎるので、話しを戻そう。

アミスタッドからアンクルトムさらに時代を経てマルコムXキング牧師あたりまでは学校の歴史の教科書という便利だけど堅苦しく閉じた世界に存在してて、それは表面的でつまらない歴史のお勉強だったなあ。所詮10代青少年の受験教育プログラムの一環みたいなもんだから、暗記すりゃよくて面白くなくてもいいんだろうけど。 でも、今になって判るのはそれが後から山椒のように効いてくるというか、今いる自分と世界とがフワーって繋がってくる感覚を得るからこれがまた面白い。というか、不思議な感覚だけどちゃんと使えるようになるんだよなあ、道具として。

ただし、面白い部分ってのを味わうやり方は、お母さんも先生も教科書も教えてくれない。手掛かりや道筋を示せても、コタエは自分のみで感得することしかできない。伝えることはできても、自分と全く同じ感覚の人はこの世には一人もいないから、相手にキレイに完璧なトレースというかコピペすることはできないんだね。それだからいいんだけど。だからムリに分ってもらおうとしなくてもいいし、分らないからダメだということもなくて、自分で夢中になっている間に、きっと色々勝手に変化するはずだから、あまり気にしない。

教科書の続きというかその先は現在進行形で各自が自由に切り取って学習するもんなんだ、誰も教えてくれない。というより、その人も今現在起こってる事がよくわからいんだよね。それはミンナの池上先生だって一緒なんだよ。現実ってのはグチャグチャに混ざり合ってるから。エントロピーって小賢しい屁理屈でなんとなく説明はできるけど。

だから、オトナになるってのは君自身が様々なメディアやソースから情報の断片を取捨選択し教科書を作る側になるってことなんだ。ミネルバのフクロウを飼育しているのは紛れもなく自分自身なんだと、ようやくオトナになると気付いてくるんだよなあ。黄昏だね。//Q.E.D. ポエム終了。





まず、以下の2つの出来事をアタマにチェキラしておくことをおススメする。
96年9月 2パックが射殺される。
続いてビギーも97年3月、何者かに襲撃され死亡した。
彼は24年間の生涯に終止符をうち伝説となりました。



サランラップ
語源

もとは擬音語で、トントン、コツコツ、といった物音を意味する。心霊現象のひとつであるラップ現象(ラップ音)はこの意味である。

俗語としてはさまざまな意味に転じたが、黒人英語では「おしゃべり」や「会話」の意味し、そこから「喋るような」という意味に広がった。

歴史

誕生の場は196070年代アメリカニューヨークでみられたブロック・パーティーだと言われるが、古くはアフリカン・グリオ文盲者に口伝で歴史や詩を伝える者達)にそのルーツが見られ、マルコムXキング牧師といった政治的指導者のスピーチも大きく影響を与えている。モハメド・アリのインタビューなどで見られた言葉遊びによって、より広まったといわれる。レゲエにおけるトースティングにも影響を受けていると考えられており、トースティングがレコードに収録されているインストゥルメンタルに乗せて行うように、DJがプレイするブレイクビーツに乗せて行ったのが初期のラップの形だと考えられている。あらかじめ用意した歌詞(リリック)ではなく、即興で歌詞を作り、歌詞とライムの技術を競うフリースタイルもある。

また「ラップする者」を意味するラッパー(rapper)は1979年シュガーヒル・ギャングシングル「ラッパーズ・デライト(Rapper's Delight)」のヒット以降に広まった呼称で、人によってはこの呼び名を嫌がり、特にオールド・スクール世代や一部の日本人の「ラップする者」はRun-D.M.C.が名付けたMC(master of ceremony)という名称を好んで使う。ヒップホップ発祥のアメリカでは、ニュー・スクール世代には「ラッパー」という呼称も最近は普通に使われる。日本でも若い世代には定着しており、自分のことを「ラッパー」と言う者が増えてきている。

ラップミュージックにとって皮肉なことは、アメリカで最初に実績をあげたラップミュージックは1981年に白人ロックバンドブロンディによってリリースされた「ラプチュア(Rapture)」であり、ラップの語源がRapture(ラプチュア)と混同されることが本国アメリカにおいて多々あることである。


下記に紹介する商品は売上やイベント等収入から推定年収がミリオンダラーベイビーである(後半は日本円で言えばビリオネアクラスです。)だろうという比較的有名な人物です。ビルボードチャートではなく、経済雑誌のフォーブスというランキングでも常連だったりします。米国なので資本主義とショービズの本場ですから、ある程度どのくらい稼いでいるのかというのでランキングはしがちなのも世の常です。そこに特に良い悪いはありませんので。そもそも彼らは基本的には雇われパラッパラッパーとかじゃんけんで選抜とかではなく、自分で事務所を経営したり、プロデュース等も行い、自活が基本とされている業界なので、ビジネスにはかなりシビアだったりするせいか、結構見た目より真面目というか、硬派なハードコアだったりするので、そういう意味では言葉(ライム)や思想(ヴァイブス)が過激だったりします。メッセージ性の圧の強さに加え、RAPの特性上マシンガンのように乱射↓してくるリリックのフローを追うだけでも大変です。あと実際の銃の携帯を認めている国の文化なので、背後には御注意ください。

↓1:58すぎから乱射始まります.(参考までに)



誰かが助けてくれる社会ではなく、自分の身は自分で守らなければならない。だから憲法上、自衛つまり銃で武装することさえ認めますし、社会そのものは自分達で作っていくもの開拓していくという野心も強いです。俗にいうスピリッツです。ドラッグ売ろうが、パクられようが、メイクマネーしていかないとストリートという荒野では生きられない。それがハスラーという残された希望的マインドで、持たざる者の過酷な現実の中から生まれた美学なんでしょう。

またそのルーツにあるのが、リバティというものだという強いソウルがバックにあります。だから現代社会において先進国で唯一といっていいほど医療保険という社会扶助がないお国柄なのです。自由という概念はフリーダムもありますが、これは自然的な概念で、彼らの信念というのはリバティの方です。だからそれを指向する人をリバタリアンと言います。それは歴史を見れば明らかです。古くは独立を勝ち取るということであり、奴隷からの解放という文脈なのです、だから米語的には自由を”独立”とか”解放”と意訳すると、夏目漱石先生的解答となります(ちなみにこの2つはキリスト関係以外で亜墨利加では最大の祝日です、自分の国の祝日と比較してみると明確です、「いったい”何を”祝う日なのか」と)。”天は自ら扶くる者を助く” 大和国にはない発想なので、ここらへんを理解すると、ちゃんみおスペシャル並に濃いめの味付けトッピングが楽しめます。








ウィズ・カリファ
黒と黄色のための郷土愛を唄う26歳

同じく「黒と黄」のチームカラーをもつ阪神タイガースと大阪を愛する日本のアーティスト、SHINGO★西成とBOXER KID(MIGHTY JAM ROCK)とコラボレーションをする


キャメロン・ジブリル・トーマズ
Cameron Jibril Thomaz1987年9月8日 - )はウィズ・カリファWiz Khalifa)の芸名で知られるアメリカ合衆国ラッパーである。ペンシルベニア州ピッツバーグを拠点に活動している。2006年デビューアルバムShow and Prove』を発表し、2007年ワーナー・ブラザーズ契約した。2008年ユーロダンスに影響を受けたシングル「Say Yeah」を発表し、アーバンラジオでのエアプレイを獲得。Rhythmic Top 40Hot Rap Songsでチャート入りした[1]2009年11月にワーナー・ブラザーズとの契約を解消して、2枚目のアルバム『Deal or No Deal』を発表。2010年4月ダウンロードミックステープKush & Orange Juice」を発表後、アトランティック・レコードを契約を結ぶ[2]。アトランティック移籍後初のシングルブラック・アンド・イエロー」がBillboard Hot 100で首位を獲得。2011年3月29日にメジャー初アルバム『ローリング・ペイパーズ』を発表[3]

2012年12月4日には、2ndアルバム『O.N.I.F.C.』を発表。







パスター・トロイ
名前から判るサウス生え抜きの歴史教師36歳


パスター・トロイ
(Pastor Troy) とは、アメリカ合衆国のラッパーである。ジョージア州, オーガスタ出身で、本名は"ミカウ・レバー・トロイ"。
1977年11月18日に、南部のジョージア州,オーガスタで生まれた。一時は、歴史の教師を目指していたが[1]、1999年のデビューアルバム『We Ready (I Declare War)』リリース以降はラップ活動に専念する様になる。そんな彼が一気に脚光を浴びるようになったのは、2002年にリリースした6thアルバム『Universal Soldier』であり、全米ビルボード200にて13位を記録[2]。続く7thアルバム『By Any Means Necessary』も、全米30位へと送り込んでいる。これ以降、サザン・ラップを代表するラッパーの一人として、大きな注目を浴びるようになっている










T.I.
ビーフに巻き込まれがちな南部の王様兼俳優兼CEO 33歳

T.I.
(T.I.、ティーアイ、本名:クリフォード・ジョセフ・ハリス・Jr. 1980年9月25日 - )はアメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のラッパー作詞家俳優音楽プロデューサーエグゼクティブプロデューサーである。グランド・ハッスル・レコード最高経営責任者でもある。[1]T.I.P.というオルター・エゴを自分の曲の中で演じることがある。ファンの間では、名前の「T.I.P.」は「Ten Inch Playa」の略だと言われている。[2]

自身のことを『キング・オブ・ザ・サウス(南部の王)』と呼ぶことで有名。また、ラッパーファレル・ウィリアムスには、『サウスのジェイ・Z』と才能を称えられたことがある。










グッチ・メイン
ポップクイーンマライアとも絡まる武闘派ゴリラ33歳

グッチ・メイン (Gucci Mane) とは、アメリカ合衆国 アリゾナ州, バーミンガム出身のラッパーである。代表曲は2005年発表の"Icy"など。2009年発表のアルバム「State Vs Radric Davis 」は、全米アルバムチャートにて初登場10位を記録している。

アリゾナ州バーミングハムで生まれ、その後アトランタへ移住。その後、本格的にラッパーを志すようになり、14歳の時点で既にレコーディングを行っていた。 2005年には、インディーズのBig Cat Recordsからデビューアルバム「Trap House」をリリース。しかし、同アルバムからヤング・ジージーをフィーチャリングしたヒット曲「"Icy"」の利権を巡り、ヤング・ジージーと対立。お互いにディス・トラックをリリースする事態に。その後も、事態は収拾せずに、遂にはヤング・ジージーの仲間が彼の自宅に押しかけ脅迫、それに対して彼が発砲する事件が発生。結果的に1人を殺害したとして逮捕されてしまうが、2006年に証拠不十分で起訴は取り下げとなっている。







テック・ナイン
カンザスから遣って来たただの変人
アイアムサイコ
42歳


アーロン・ドンテーズ・イェイツ (Aaron Dontez Yates、1971年11月8日 -) は、アメリカ合衆国, カンザスシティ出身のラッパーである。テック・ナイン (Tech N9ne)の名で、ラップ活動を行っている。現在は、自身のレーベル"ストレンジ・ミュージック"を持っている。

1971年生まれ。幼い頃からラップ活動を行う様になり、1991年には「Black Mafia」という名のラップグループを結成している。その後も、アンダーグランド界で地道に活動を行い、1999年にアルバム『The Calm Before the Storm』で正式にデビュー。








UGK

泥臭さサウスのベテラン40歳。相方死亡で日本のダブル状態。

UGK
(ユージーケー)は、アメリカ合衆国テキサス州ポートアーサーにて結成されたラップデュオである。「サザン・ラップ」の先駆者として知られており、アメリカ南部のヒップホップシーンをリードした。1992年に大手から最初のアルバム「Too Hard to Swallow」を発売した。2007年にピンプ・Cの死亡で活動停止。

バン・B(Bun B)
本名:バーナード・フリーマン(Bernard Freeman)
これまでに、2枚のソロアルバムをリリースしている。

ピンプ・C(Pimp C)
本名:チャド・バトラー(Chad Butler)
2007年に33歳で急逝。死因は睡眠障害とコデインの大量摂取によるオーバードースとされている。

the Underground Kingz略してUGKを名乗るPimp CとBun Bの2人組みグループ。「サウス」という言葉が一般化するはるか以前、80年代末には"Banned"をリリースしていた超ベテラン。彼らの人気が高まる時期に大きな注目を集めていたウエストコーストのギャングスタ・ラップと歌詞の内容、トピックなどは共通したハードコアなものだが、そのサウンドはより泥臭い、南部の空気をにじませるもので、Geto Boysらと並んで同地域の先駆者的存在となった。Pimp Cは現在は死去しているためBun Bはソロで活動中。










ウータン・クラン
NYブルックリンのカミソリ・リッザ44歳が率いるカンフー集団


ウータン・クラン
(Wu-Tang Clan)は、アメリカのヒップホップグループ。1992年頃にRZAの実質的な主導の下でメンバーが集結し結成された。「ウータン」という名前はカンフー映画からとられた。1993年にデビュー作『燃えよウータン』"Enter the Wu-Tang (36 Chambers)" を発表。幅広い支持を獲得することに成功し、同作は現在もヒップホップの名盤の一つに数えられている。

その後メンバーのソロ活動が活発化し、グループとしての活動は行われなかったが、5年の空白を経て1997年にセカンドアルバムを発表。グループの健在をシーンにアピールした。 再びソロ活動の期間をはさんだ後、2000年2001年と連続してアルバムを発表。2004年にはオール・ダーティ・バスタードが急死する悲劇があったが、それを乗り越えて2007年には新作を発表した。

RZA
GZA
メソッド・マン
レイクウォン
ゴーストフェイス・キラ
インスペクター・デック
U-ゴッド
マスタ・キラ
カパドンナ
オール・ダーティー・バスタード

RZA
RZAリッザ、本名 ロバート・ディグス(Robert Diggs)、1969年7月5日 - )は、ニューヨーク州 ブルックリン区 ブラウンズヴィル出身のヒップホップアーティストプロデューサーラッパー俳優



名前は、本名の頭文字と、「カミソリ」を意味する「Razor」をもじったもので、曲中では「レザ」と発音されることが多い(ときに「Razor Sharp」と自称する)。ウータン・クランの事実上のリーダーであり、またグレイブディガズの一員でもある。

ほとんどすべてのウータン・クランのアルバム、メンバーたちのソロ活動、さらにグループと関係するアーティストたちの作品のプロデュースも手がけてきた。ボビー・デジタル名義の2枚のアルバムを含め、ソロアルバムでの成功も収めた他、いくつかの映画音楽も手がけてきた。彼の音楽性は、常に進化してきている。また、早回しにされたソウル音楽のサンプリングの使用、カニエ・ウエストジャスト・ブレイズなどの人気プロデューサーに影響を与えたこと、非常に高音で活用される弦楽器音、アバンギャルド的な音楽性、アンダーグランド・ヒップホップ界のアーティストたちの創造性を刺激してきた実験的な手法など、ヒップホップに革新をもたらしてきた。ウータン・クランの特徴的な音作りは、彼の手でなされてきたと言ってよい存在である。マーシャルアーツ映画を愛好し、創作活動の面で映画からは大きな影響を受けている。彼にとっての特別な作品としては『五毒拳』、『少林寺三十六房[1]、『獣兵衛忍風帖』、『北斗の拳[2]等のカンフー映画アニメがあり、そのことから、映画関係者から仕事を依頼されることも多い。これまで映画関連で携わった仕事は音楽製作に留まらず出演や監督にまで及ぶ。







ファーイースト・ムーヴメント
LA原産日韓中の極東ミックスにフィリピンDJをバナナトッピング
イエローモンキーを逆手に取って逆利用できた好例。32歳の黄色いキモカッコよさをクレイジーに抽出。まさにファッキンシットなイエローマジックオーケストラ。


ファーイースト・ムーヴメントとはアメリカ合衆国のヒップホップユニット。ファーイーストとは英語で極東のこと。

その名の通り元々のメンバーは日中韓の血を継ぐアメリカ人3人だったが、本拠としていた場所はロサンゼルスコリアタウンである。アメリカ合衆国でのインディーズ時代、エイベックスが日本での販売を請け負っていた時期もあった。後にフィリピン系アメリカ人がメンバーに加わり4人組となる。2010年にユニバーサルミュージックから全米メジャーデビュー。アルバム「Free Wired」からの楽曲「Like a G6」はBillboard Hot 100で1位を獲得した[1]

ケヴ・ニッシュ
プログレス
Jスプリフ
DJヴァーマン







50セント
絵に描いたようなギャングスタ育ちのハッスルマッチョ、まあとにかく年がら年中上半身薄着の大将38歳。

(50 Cent[1]読み:フィフティーセント、本名:Curtis James Jackson III(カーティス・ジェームズ・ジャクソン三世)、1975年7月6日 - )はアメリカ合衆国ヒップホップMC俳優企業家エグゼクティブプロデューサー、プロボクシングプロモーターである。ソロMCとしても活動するが、Gユニットの一員でもある。ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区ジャマイカ地区出身。左利き

50セントというMCネームは、1980年代にニューヨークのブルックリン界隈で30人あまりを殺害し、たった50セントでさえも奪ったとされる実在のギャング、ケルビン “50セント” マーティン(Kelvin "50 Cent" Martin)に由来する。

母親はドラッグディーラーで、彼を15歳の時に生んだ後、彼が8歳の時に何者かに殺害された。父親はおらず、その後は祖父母に育てられた。12歳の時に麻薬売買を始め、ドラッグディーラーとして名を馳せた。1996年、友人の紹介によりRun-D.M.C.ジャム・マスター・ジェイ主催のレーベルJMJと契約し、ラップの基礎を学ぶ(それまで50セントは小節の数え方や、コーラスの作り方などを知らなかった)。


実際にドラッグディーラーとして生き延びていた10代、牢に収監されるよりRapに傾倒することを選んだ彼の人生は、Run DMCのJam Master Jayにその才覚を見出され、Track Mastersに出会ったところから加速度を増す。







M&M
妄想的人格障害スキルから繰り出される説明不要のホワイトチョコレート41歳すっかり中年。50セントと並んで極貧からの成り上がりの黒と白。全世界でアルバム1億枚売った男。

Eminem
(エミネム、本名:マーシャル・ブルース・マザーズ3世Marshall Bruce Mathers III1972年10月17日 - )は、アメリカ合衆国ヒップホップMCプロデューサー俳優。身長173cm。

自身は「スリム・シェイディ(Slim Shady)」という道化師の別人格が存在するとし、スリムあるいはシェイディという名前が歌詞にも頻繁に登場する。エミネムというステージネームは、本名のイニシャル「M&M」を早口にしたら「Eminem」になったというものが由来とされる。エミネムの別人格であるスリム・シェイディのコンセプトを思いついた1997年以前から自身をエミネムと名乗っており、初期にM&Mの名で活動していた。

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第83位。

MTVが選ぶ「史上最も偉大な10人のMC」ランキングでは、KRS・ワンラキムなどが並ぶ中、堂々の9位に選ばれた。又MTVが選ぶ2010年の「最もホットなMC」ランキングでは、昨年の圏外から堂々の1位に選ばれた。[1]

アルバムトータルセールス1億枚。 史上最も売れたヒップホップ歌手・ラッパーであり、2000年代の10年間に世界で最もアルバムが売れたアーティストである。

アメリカ合衆国ミズーリ州セントジョセフ生まれ。曽曽祖母は、1870年代にアメリカに渡ったスコットランドからの移民[2]。その他ウェールズイングランドドイツスイスポーランドルクセンブルク人の祖先をもつと推測されている[3]。幼い頃から極貧の環境に育ち、12歳の時までカンザスシティデトロイトを母親と共に2、3ヶ月ごとに転々と過ごす。友達もできず、仲間外れにされ、いじめられ、自殺未遂も経験する。悪環境の中、自然とアフリカ系アメリカ人層やヒップホップに親しむようになる。14歳ごろから本格的にMCとして活動しはじめ、黒人優位のヒップホップ界において、白人ながらいくつものMCバトル・コンテストに挑戦する。

1996年に自主制作アルバム『インフィニット(infinite)』をリリース。ナズAZの影響を受けたこの作品はあまり注目されずに終わる。












フロー・ライダー

名前からして、これ以上ないマイアミ感。全然名前にひねりがない。50セント先輩に劣らず彼も上半身は服着ない派ガチムチ教。まあ、フロリダだし暖かいからいいよね。デヴューから徐々に肉付きが良くなってる気がするけど、トレーニングかプロテインかステロイドかなにかはわからないけど、どんどん体格がクマさんみたいになっていくね。


フロー・ライダー
(本名:Tramar Dillard 1979年12月16日 - )は、アメリカ合衆国のラッパー[2]。芸名のフロー・ライダーは、Flo Rida(フロリダ/フロー・リダ)と書いてフロー・ライダーと読ませている[3]



-2006年: メジャーデビュー前

10代の頃、同郷のラップ・グループツー・ライヴ・クルーのツアーに同行[4][5]。メジャー・レーベルからは相手にされず、音楽以外の多くの職を転々とした時期もあった。しかしその後、トリック・ダディリック・ロスなどのミックステープに参加し[6]、2006年にはDJキャレドのアルバム『最強伝説〜ウィ・ザ・ベスト〜』にも客演で参加[7]。時を同じくして、アトランティック・レコード傘下のレコード・レーベルポー・ボーイ・エンタテイメントと契約した[6]

2007年: 今夜はロウ☆ロウ☆ロウ

2007年9月、映画『ステップアップ2:ザ・ストリート』のサウンドトラックに参加。そこに収録されたシングル"今夜はロウ☆ロウ☆ロウ(Low feat. T-Pain)"が、10週連続でビルボード総合シングルチャート(Billboard Hot 100)第1位と新人としては異例の大記録を打ち立てる。さらにこの曲は、2008年のビルボード年間シングルチャート第1位[8]、2000年代(2000-2009)の総シングルチャートで第3位を記録している






蟹江敬三
ラッパーとしては、珍しくaka名義での活動ではなく本名をつかう。また、アートに関する造詣も深くインテリMCとして社会派的な発言をする影響力もあり、メディアから危険視されている模様。実際に、出演番組などで政治的発言することで物議を醸す、また色々と発言でトラブルを起こしているというのはしょっちゅう海外サイトかなんかでみる。ブッシュの時もあれだったけど、オバマさんからもjackass(あの中二め)と言われてて、結構wwだった。あとはいつも外出する時はデカパイの奥さんと一緒にパパラッチされてるみたいでげす。



カニエ・ウェスト
Kanye West、本名:Kanye Omari West、1977年6月8日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタ出身のヒップホップMC音楽プロデューサー


シカゴの美大に通いながら音楽活動を始める。2001年にプロデューサーとしてロッカフェラ・レコードと契約を結ぶ。その後プロデュース業が忙しくなり大学を中退(後にアルバムのタイトルになる→『The College Dropout』)。2002年10月23日、レコーディング後、スタジオから自宅へ帰る途中に居眠り運転で交通事故に遭う(口の中にワイヤーを入れなくてはならない程の大怪我を負う。後に、アルバム収録曲タイトルになる→「Through the wire」)。事故後クリスチャンになり、神によって助けられたとコメントしている。

2004年ロッカフェラ・レコード(Roc-a-Fella Records)より1stアルバム『The College Dropout』をリリース。これがビルボード最高2位を記録するヒットとなる。この年、LIVE 8に出演し、2005年の米タイム誌「今日最も影響力の強い100人」の一人に選定された。

47回グラミー賞ではアーティスト、ソングライター、プロデューサーとして合計10のノミネーションを得て、3部門を受賞[1]

2005年8月2日にアメリカ南部をハリケーン・カトリーナが襲った際、「ブッシュ大統領は、黒人のことは何も考えていない[2]」とジョージ・ブッシュアメリカ合衆国大統領を非難するコメントをNBCの生放送中に発表した。そのコメントが全米で物議を醸す[3]。また、この映像はNHKのニュースでも取り上げられた[4]ジェイ・Zは「俺はカニエ・ウェストを100%支持する。これがアメリカだ。誰でも自分の言いたいことを発言することができる。俺たちは発言の自由をもっているんだ」と発言した[5]

おススメ中2PV↓★★★










ア・トライブ・コールド・クエスト


気取らない思想的なコンシャスヒップホップの先駆け。
いわゆるチルアウトな感じで若干オサレです。



ア・トライブ・コールド・クエスト
A Tribe Called Quest)は、アメリカヒップホップグループ。1988年に結成され、5枚のアルバムを発表した後、1998年に解散。デ・ラ・ソウルと並んでネイティブ・タン(Native Tongues)の中核グループのひとつであった。その後、2006年に再結成され現在も活動中。


Qティップ
ファイフ・ドーグ
アリ・シャヒード
ジェロビ・ホワイト

ジャズの要素を絡めた作品になっている。一部の批評家からは「踊れないアルバム」などと酷評されたが、3枚目のシングル「Can I KIck It?」がナイキのCMに使われたことから、徐々に人気が高まる。

続く、1991年の『The Low End Theory』は、ジャズ・ベーシストのロン・カーターを迎えて制作され、さらにジャズに影響されたサウンドを展開した。「Jazz (We've Got)」などの曲を含む本作は、前作から一転して評論家の賛辞を受け、商業的にも成功した。『ローリング・ストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』に於いて、153位にランクイン。

Qティップ


キューティップ (Q-Tip) とは、アメリカ合衆国,ニューヨーク出身のラッパーである。本名はジョナサン・デイヴィス。伝説的ラップグループ"ア・トライブ・コールド・クエスト"のメンバーであり、彼自身もソロアルバムを定期的にリリースしている。ソロアルバムとしての最大のヒット作は、1999年発表の『Amplified』であり、全米でゴールドディスクを獲得している[1]。鼻にかかった様な独特な声が、非常に特徴的。


ボサノバかってくらい雨降りの午後にお茶でもしながら聞きたいね。







ピート・ロック

業界のクラシック、大物から師事される大物。
どれだけ元ネタとして使われたかは計り知れない。


ピート・ロック(本名 ピーター・フィリップス 英語:Peter Phillips, 1970年6月21日-)は、アメリカブロンクス出身のヒップホップ DJプロデューサーラッパーである。
1990年代初頭に、ピート・ロック&CLスムースの1人として、頭角をあらわしてきた。コンビ解消後も、彼は活躍を続け、大衆向けの活動とは言えないにせよ、世界的な名声を博している。
彼は、ヒップホップがジャズの要素を取り入れていく際、ステッツァソニックア・トライブ・コールド・クエストギャング・スターなどと共に、大きな役割を果たした。ヒップホップの歴史の中で、最も偉大なるプロデュ-サーに数えられる共に、DJプレミアRZAと共に、1990年代の東海岸ヒップホップを支えてきた人物として言及されることも多い。彼はヘビーDのいとこでもある。

ピート・ロックは10代の頃からマーリー・マールラジオ番組(WBLSが放送していた"In Control With Marley Marl")に出演するなど、早い段階から音楽の才能を開花させていた。そんな彼は1991年、21歳のとき、二歳年上の友人Corey Penn (後のC.L. Smooth) と共に、レコード会社の Elektra と契約を結ぶ。その後、二人はデュオの名前を Pete Rock & C.L. Smooth と改め、デビューアルバムから成功を収め続け、ヒップホップの歴史に伝説を残した。

ピート・ロックは、特にそのソウル色の濃いトラックが日本や海外でも人気が高く、ヒップホップ最高のプロデューサーとしてピート・ロックの名を挙げる人も多い。







リル・ジョン

この人が出てくると、全部この人に持ってかれるクランクミュージックを流行らせた張本人。そんな独特のシャウトがたまらない。ついでに学生時代の昆虫みたいなノビタ君と今のギャップがたまらない。


リル・ジョンLil Jon、Jonathan Mortimer Smith、1971年1月27日生)[1][2]プロデューサーラッパーアメリカ合衆国アトランタ出身。

マイアミベースを中心として、2000年代アメリカ南部のヒップホップの主流となったいわゆるクランク・ミュージックのパイオニア。「Yeah」,「What's」,「Let's Go」,「OK」など勢いある掛声とロックミュージックをサンプリングするスタイルでブレイク。








DJキャレド
パレスチナ型のブラックムスリム、ただしブラックミュージックはすごくもともと宗教と親縁なため、別に普通のことではある。ただ普通ではないのはニキミナに公開告白を何度もしてオレは諦めないという熱いストーカー信念を持ち続けていること。そのため、自分のアレンジによく招待するようなので、目指せ小室哲哉で頑張ってほしい。


DJキャレドDJ Khaled1975年11月26日 - )はアメリカ合衆国DJである。イスラム教徒で、本名はカリッド・カリッド、パレスチナ系アメリカ人である。主に音楽プロデューサーとして有名で、代表的な作品はFabolousの「Real Talk」、ファット・ジョーの「Me, Myself, & I」、リック・ロスの「Port of Miami」等。2006年6月には、初となる自身のアルバム「Listennn…Album」でデビューし、ビルボードアルバムチャートにて初登場12位を記録している。

その他の活動も積極的に行っており、2003年からマイアミで放送されている「TakeOver」という名のヒップホップ系音楽のラジオ番組のパーソナリティーや、人気ラッパーFat Joeが在籍している「Terror Squad(1992~)」という名のラップグループの一員としても有名である。







スリー・6・マフィア

オカルト系悪趣味サウンドの先駆者、でも、まさかの日本人の大好きなアカデミー賞受賞しちゃった悪魔崇拝系テネシーサウンド。


スリー・6・マフィアThree Six Mafia)はアメリカ合衆国のヒップホップグループ。主にメンフィスを拠点に活動している。サウスのN.W.Aとも称される過激な歌詞が特徴の1つ。94年に設立した彼らのレーベル、ヒプノタイズ・マインズ(Hypnotize Minds)は二度自主制作の映画「チョイセズ(Choices)」を出しており、ディスコグラフィーの2つのChoicesはそのサウンド・トラックにあたる。ウィリー・ハッチの楽曲をサンプリングすることが多い。

DJポール
ジューシー・J
1991年にDJポール(DJ Paul),ジューシー・J(Jucy J),ロード・インファマス(Lord Infamous)によって結成される。程なくして、クープスタ・ニカ、ギャングスタ・ブー、クランチー・ブラックが加入(3人とも現在は脱退)。名前の由来は獣の数字とされる666からきていて90年代の彼らのリリックの内容は悪魔崇拝的なものから激しい暴力表現が含まれている。作るトラックも大半がホラー映画等からのサンプリングであり暗くて奇妙な物ばかりであった。知名度がローカルからメジャーに拡大した際に、「名前の由来は最初グループを結成した時は3人で始まり6人で終わったからだ。」とJuicy Jが言い直している。徐々にその傾向は後退、現在ではクラブ向けの楽曲が多い。2005年にハッスル&フロウの主題歌「イッツ・ハード・アウト・ヒア・フォア・ア・ピンプ(It's Hard Out Here for a Pimp)」でアフリカ系アメリカングループとして初めてアカデミー賞を受賞した






リル・ウェイン
11歳の時から一線でやってっから、若手だけどベテランなんだよオレ様は。パリスヒルトンともムショ仲間だz。


リル・ウェイン
Lil Wayne 本名: Dwayne Michael Carter, Jr ドウェイン・マイケル・カーター・ジュニア1982年9月27日 - )は、アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオーリンズ出身のラッパー。11歳にしてキャッシュマネー・レコードと契約。1997年、14歳でホットボーイズ(2001年に活動を休止)の一員としてラッパーのキャリアをスタート。現在もキャッシュマネーレコード所属。1999年のソロデビュー以後数々のミックステープ、客演で活躍。「生きている中で最高のラッパー」を自称。Lil Weezy/ウィージーの愛称でも呼ばれる[1]

11歳の時キャッシュマネーレコードのオーナー、バードマン、兄スリムと出会う。留守電に自分のラップを何度も残したのがきっかけでキャッシュマネーレコードと11歳の時に契約する。アメリカではアルバム以上に注目されるのが毎年彼がリリースする無料のミックステープである。

2008年には、シングル「ロリポップ」が全米総合シングルチャートBillboard Hot 100で1位を獲得。同年リリースのスタジオ・アルバム『カーターIII』は全米で300万枚以上を売り上げる大ヒットとなり、アルバムはRIAAよりトリプル・プラチナムに認定された[2]。2009年の第51回グラミー賞では、8部門でノミネートを受け、最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンス賞、最優秀ラップ・ソング賞、最優秀ラップ・アルバム賞、最優秀ラップコラボレーション賞の4部門を受賞[3]。アルバム『Rebirth』は発売初週17万6千枚を売り上げ、ビルボードアルバムチャート200では2位で初登場となった[4]。」


このPVみて、1分50秒過ぎのFAN対応が流石にプロだなと思った。
一般人の模範にはならないけど、スターというかキャラクターってのは、
こうでなきゃいけないと思う。光と影はあると思うけど・・・







と、やっとここから本番後半の大物編と思って纏めていたら、どうも文字数制限にかかってしまったみたいなので、続きは日をまたいで来月にでも、ボリュームがね、ちょっとハイカロリーだからね。次回↓は帝王編です。資産価値にして小室哲哉×1000くらいのヴォリュームです。計算したところ、彼らだけで十分、小国一個以上の規模があります。





続き

コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事