のっくだうん99のアレ

ガッチャマンクラウズとフリーの関係

2013/10/06 14:14 投稿

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ガッチャマンクラウズについて言いたいことは山ほどあって、中盤で某所にレビュー投下したりしてたんですけど、最終回まで観終わってやっぱりもう少し踏み込まなアカンやろなぁと。そう思ってるわけです。

で、どうにかして面白おかしくできないかとちょこちょこ書いては消して、書いては消してをしてたんですけど、気合い入れるとなまじ好きなもんですからドンドン書く要素が増えて収拾つかないんですよ。で、今回は"面白おかしく書いてやるんだ!"みたいな意気込みは捨てて、もっと肩の力抜いて、フワ~っとやってみようかなと。

ふわっと言うとガッチャマンクラウズはネット上の無償文化が現実へも反映された世界を描いているといった視点で書いていきます。ありふれた視点かもしれませんが…



無償の文化


これから書くお話なんですけど、一つネタ元になってる本がありましてですね、



クリス・アンダーソンっていうワイアード誌の元編集長(当時は編集長)の書いた本なんですけど、これがネタ元っていえばネタ元です。翻訳版の初版が確か2009年の本だったと思うんですけど、2013年現在でもこの本のコンセプトというか、エッセンスは十分通用すると思います。今はkindleでも配信されていて、スマホやタブレットなんかでもわりと気軽に読めるので興味のある方は是非、kindleなら半額ですよ(ステマ)。

ネット文化というのは俗に言うムーアの法則と言いましょうか、コンピューターの演算能力と通信速度の向上に正比例する形で発展してきているわけです。情報が供給過多になり市場がベルトライン競争を繰り広げた結果、インターネット上で提供されるサービスの価格は限界費用まで落ち込み、その多くが無償で提供される世界となりました。これは(若干私見も含みますが)2009年当時のネット社会に対する著者の認識です。

そして2013年現在においては、そこにスマートフォンという情報端末が登場します。スマートフォンの登場前、ネット社会とはMacbookだのlenovoだのvaioだのといったコンピューターへの物理的なアクセス権を持っている人間だけの世界でした。しかしながらスマートフォンの登場により、老若男女問わずより多くの人がネット社会における無償消費の世界に足を踏み入れたと言っても過言ではないと思われます。

更にそういったネット社会への依存度を高めたのがSNSの存在です。遠方の友人とコンタクトを取る際、或いは何等かのアナウンスをする場合、facebookやtwitter、Lineに代表されるSNSを使用する傾向が、特に若年層に於いては主流なのではないでしょうか。個人間での通話やメールによるやりとりは依然存在しますが、よりフランクなコミュニケーション手段としてSNSの存在は台頭してきていると思います。

つまるところ、インターネットを介した(クラウド化された)サービスは我々の生活の一部、社会を構成する要素となってきているのです。昔は"ネットをやるぞ"という意気込みと共にコンピューターを起動するのが一般的でしたが、我々は日々の生活の中で半ば無意識にネット社会と触れ合うという状況まできていると考えます。

例を挙げましょう。都内在住の私がどこぞのイベントへ赴く際、まずgmailを使って予約をし、当日は乗り換え検索アプリで最寄の駅まで行き、会場まではgooglemapでのナビゲーションを受けます。そしてイベントの感想をFaceBookなりTwitterに書き込むのです。そしてこれらのツールは全て無償で提供されています。

かなり極端な例ですが、この記事を読んでいる方にも似たような経験があると思います。そのくらいネット文化は我々の生活に浸透してきているのです。

意思決定の変化について


ここで少し無償であることの意味を考えてみます。正確には何らかの形でサービスに対しコストを支払っているとはいえ、我々がその恩恵を受けるのに通貨を支払う必要はありません。これが意味するところは"心理的取引コスト"がゼロに近いということです。先に挙げた本から引用しますと。
ジョージ・ワシントン大学で経済学を教えるニック・サボは、その旗に「心理的取引コスト」というふさわしい名前をつけた。…(中略)…人間は生来、怠け者なので、できるだけ物事を考えたくない。だから、私たちは考えずにすむものを選びやすいのだ。
という理屈です。実際は「社会領域」における意思決定によりエクスキューズがつくのですが、ともあれ、我々はそのサービスが無償であることにより、普段コンビニでお菓子を買うよりも容易くネットサービスを利用します。それが無償であるが故に、まず利用してから善し悪しを判断するのです

そして、スマートフォンとSNSによる相乗効果により、現実生活においても意思決定におけるパラダイムシフトが起こっているのではないか?こうした観点の下で物語を作ったのがガッチャマンクラウズです。(やっと名前が出てきたw)

無償の意思決定は現実へと波及する


ガッチャマンクラウズ本編において、この世界観が明確に提示されるのは3話だと思います。雪印集団食中毒事件をベースとしたと思われるこのエピソードは、作品内におけるSNS(GALAX)を通じて危険な生乳が流通していると知った人々が、それによる被害を防ぐため、少々乱暴で手粗な"食中毒阻止活動"を開始します。

それが正しい行いでありつつもGALAXを通した内部リークや人々の過激な振る舞いに我々は危うさを見出しますが、私自身はその危うさの正体が何であるのか、この時点では判断できませんでした。それは人々の行動に善意や悪意といった道徳的規範を見出そうとしていたからです。しかし最終話まで話を追った結果、その見方は全然見当違いであったと悟ります。おそらく全話見た人には自明でしょうが、この作品に登場する人々は"やりたいか、やりたくないか"で行動する人々なんです

これは先に挙げたネットサービスと同じで、彼等は現実の意思決定に際しても心理的取引コストが限りなくゼロに近いのです。ですから、"食中毒を未然に防ごう"と誰かが旗を振った時、彼等はとりあえず乗っかってみて、面白かったから続けたというだけの話なんですね。結果的には善行なんですけど、当事者にはそれが"善行か悪行か"なんて認識はこれっぽっちも無いんです。

物語後半でベルク・カッツェに扇動された人々がネオ・ハンドレッズなる集団を名乗り破壊活動に勤しみますが、何故扇動されちゃったかと言いますと、やってみたかったからなんか乗っかってみて、面白かったという理由に尽きるんですね。そこでも当事者に善悪の観点なんてちっとも無いんですよ、面白いことにw。

その人々の純粋さ故にO.D.なんかは「愛すべきこの星の人々」的な台詞を言っちゃうんですね、うろ憶えですけど。「子供みたいで素敵ね」と、そう言いたいわけです



私以外にも似たような視点から、より洗練された文章で感想を書いている方も絶対いらっしゃると思います。何と言いますか、我々の生きている社会はこういう方向に変わっているのかもしれないねみたいな部分がこのアニメの大きな魅力なんじゃないかなと思いますね。こんなに丁寧に描いたのはどういった媒体であれそんなに無いんじゃないかなぁと思います。だからこそこんな場末でも語りたくなると。

ということでニコニコさんにおかれましては速やかに日テレの話の分かる方々と協議してBD発売前に一挙放送でもしていただけないでしょうか?関東ローカルネットで視聴者も少なかったですし、とても好きなアニメですのでやっぱりコメント付きでみんなで見てみたいな~と思うんですよ(これが言いたかった)。



今回のエントリの反省会↓
http://ch.nicovideo.jp/knockdown99/blomaga/ar362828

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