あなたの考え、書いてみませんか。――交響パブリック

隔週メールマガジン【交響パブリック】第10号

2014/04/29 19:00 投稿

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こんばんは、今宵も新月がやってきました。交響パブリックの時間です。
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【目次】
1.お知らせ
2.車の購入(非口ユキオ)
3.鉛色の空(桜井青洲)
4.ノーマーク 第8話(Kaerucar)
5.「なぜ腐女子はBL(ボーイズラブ)を好み鑑賞するのか」という題目について、自己体験に基づく考察(カリヲ)
6.ユニークなジョークもあるよ(datto_man)
7.液体になって布団に染み込みたい(前川否負)
8.親愛なるジョージ・ワシントンへ(伏見景雲)
9.奥付
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1.お知らせ

Kaerucar氏が【交響パブリック】のテーマソングを作ってくださいました!
どうもありがとうございます。


・【交響パブリック】表紙に掲載する写真や絵・イラストも募集しています。
・A4縦に掲載するので向きは横、サイズは長辺が580pixel以上、ファイル形式はpsd等、通常使用される形式ならば問いません。タイトルを添えて最下に記したメールから送ってください。お待ちしております。
広告文に限っては、読みやすさを考慮しこちらで改変する場合があります

引き続き参加していただける方を募集しております。
(次回は5月15日の満月です。投稿フォームが便利です。)

以上


2.車の購入 / 非口ユキオ(第6回)

先日、車を購入した。
97年式のミニクーパーである。非常に古い車だ。
単純に年式が古いこともそうだが、設計が1960年からほぼ変わっていないという生きた化石のような車である。今どきの日本車と比較すると驚く点が多い。第一にパワステ(ハンドル操作の倍力装置)とパワーウインドウ(自動の窓開閉装置)が無い。ドアのキーロックが手動。車内が狭く、トランクが申し訳程度にしかないため荷物が乗らない。メンテナンスフリーとは程遠く、常にどこからともなく異音がする。エンジン始動直後には暖機運転が必要で、エンジンオイルは3000kmに一度交換する。エンジン音が異様にうるさく、車内でのおしゃべりは基本的に大声を張らなくてはならないし、真夏のドライブでエンジン冷却水の温度が上がりすぎると、オーバーヒートでエンジンが停止する。また、イギリス製の車なので燃料はハイオクである。(燃費は比ぶべくもない)

なぜこの車を買ったのか?
それは車を買うという行為そもそもの理由から説明する必要がある。

私が住むアパートは、ある程度交通の便が良い。駅から近く(徒歩5分)、近郊の大都市まで30分程度であり、大型のショッピングモールも徒歩圏内にある。また、近隣には車を既に持っている友人がいる為、大型の家具を買うなどであれば、荷運びを頼むことが出来るのだ。
そして、車を購入するということは、車そのものの費用もそうだが、維持するために必要な費用も多い。たとえば車検、重量税等の税金、任意保険料、ガソリン代、各種オイル代、車が汚れれば洗車費用、走ればいつかはタイヤ交換費用、冬に走るならスタッドレスタイヤ代、もちろん、不具合が出れば修理費用も必要だ。これら維持費用の月額平均は3万円〜5万円程度であるだろう。

以上のことから、はっきり言ってわたしには交通手段としての車を買う必要性がない。とんでもなく無駄な買い物になるからだ。車を買うくらいなら、移動をすべてタクシーにした方がどう考えても安い。買おうとすれば、私の中の理性が叫ぶ、「バカなことはやめろ!」

ではなぜ、車を買ったのか?(それも、古くて、燃費が悪く、故障も多く、使い勝手の悪い97年式のミニクーパーを)
理由は単純だ、この車が好きで、欲しかったから。あと、女の子にモテそうだったから。
はっきり言って、こんなのは理性的ではない。得られる対価に対して投資金額としては大きすぎるし、いつ壊れるとも知れない旧型車はリスクも大きい(せめて国産車にすればよかった・・・)
自分でも、「バカなことをしたな」という自覚はある。いつも論理的に物事を考える事を習慣として生きてきたのだ、ある意味、車の購入は自己の否定である。
だが、自己を否定してこの車を買って、私は人生の余裕を得た気がする。この余裕は、「余り」という意味ではなく、息つく暇のようなものだ。理性的で、論理的な人生は自己の正当化という意味では満足する事が出来る生き方だが、はっきり言って選択肢は少なく、窮屈な気持ちも生まれる。
たまには自己を否定する行動をとることで、生きる上での選択肢が広がり、考え方に多様性がうまれ、寛容な気持ちを持つことが出来る。

無駄で、非論理的な行動も、いつかは役に立つことがあるだろう。


非口ユキオ (アラズグチ ユキオ)


3.鉛色の空 / 桜井青洲(第10回)

薄暗い空の下。僕は小奇麗な船に乗っている。どこの海かはわからない。潮風のニオイも温度も感じない。船が動いている気配も無い。歩いている感触も息している感じもしない。船内では職場のKさんが薄暗い空のような表情でテーブルに並ぶ高級な料理を食べている。見栄えは良いのに表情から全く味がしないのが伺えるようだった。「そっか、明日から知らない土地で生活するだっけ。」そんなことを思い出す。財布も携帯電話も使用禁止。外部とのコンタクト、もちろん家族とも会えない。誰かがそんなことをいっていた。そんな生活が続く。

どうしてこうなったのかはわからない。だけども決定しているのは理解している。明日からの生活をどこか受け入れている自分がいる。急に歩く動作に感触を覚える。暴力的な真っ赤な絨毯と木目のナチュラルな光沢がかかった塗装。自分に不釣合いな船内に場違いを感じるとともに誰かの最後情けを受けているような気分になる。

Kさんの横にはTさん、Wさん、Hさん、Yさん、Mさんと知ってるいる顔が並ぶ。知っている顔なのに見慣れない表情。全員が薄暗い。そらそうか、この先に不安を覚えているに違いない。周りが不安な表情をしていることに妙な安心感を覚える。「煙草でも飲みに行きましょうよ。」と誘っても誰もが不景気な笑みで返すだけ。「寂れた人形館に来たような気分」「塗装の剥がれた掘削機」「公園に暮らす老婆」なかなかいい例えが思い浮かばないもんだなと無味無臭の煙草の煙と思考は薄暗い空と混ざる。

いつ帰るのか、どこへ行くのか、冷静になるとわからないことが多すぎる。どうやってここへきたのか、荷物は持ってきたのか、誰が決めたのか。どんどん不安になる。そういえば、気が付かなかったけど船に乗っている人ってみんな妻子持ちだ。どうしてそこに僕がいるのだろうか。どうして僕はここにいるのだろうか。指先近くまで燃えている煙草をデッキの手摺で消し。みんなところへ戻る途中。Kさんが手摺に足をかけ海へ落ちてゆく。成人男性の体とは思えないほど軽く緩やかに。慌てふためきKさんのことを知らせるべく、みんなのところ戻るが誰もいない。始めから誰もいなかったかのようにテーブルがキレイになっている。なにがなんだかわからない。不安と恐怖が限界に達している。再び外へ出ようと走るがまたしても感触がないこと気が付く。きっと外にはもう出れないかもしれないと余計に不安を思う。走って走って走り続ける。なぜだかわからないけど涙がたくさん出てくる。急に家族に会いたくなった。もう少しで誕生日なんだけどな。根拠もなくもう少しで外に出れそうだと思った瞬間。耳元で男性の声でうっすらと。


「全員、必要ない人間なんだよ。」


僕は走るのをやめた。人が海に飛び込む音が5回ほど聞こえた。




という夢を最近みましてね。夢に詳しい方は解析してほしいものです。
あと、ここ2週間くらい毎日悪夢をみるのですが、これはなんか良いことが起こりうる前兆かなにかですかね?朝は憂鬱で食もすすみませんヨ。
良いこととしては当方、希望は小さく「良い夢で目覚め落ち着いて、おいしい朝食を優雅に食べる。」

夢も味噌汁もさめないように楽しみたいっス。

(桜井青洲)


4.ノーマーク 第8話 / Kaerucar (第8回)

※登場人物の紹介
※サキ(主人公):チビな小3男子、魔女の弟子。訳あって喋らない。
※シノ(ヒロイン):小4女子、福岡県出身。
※カワセミ:魔女。魔術師の家系の長(おさ)。
※カモメ:カワセミの世話人をする女。

夕飯の後はシノと縁側へ移動して、徐々に暗くなる空の下で、池の前の洗濯物を眺めていた。
訳あって二人とも全裸だ。服は目の前の洗濯物である。
この屋敷には電気が来ていない。蛍光灯もテレビも冷蔵庫も洗濯機もない。だから日が暮れる前に風呂に入り夕飯を食べる。

振り返って家の中を見ると、何もない。今夜寝るであろう座敷には蚊帳が張ってあり、中に敷き布団とシーツとタオルケットと枕が2個あるだけだ。
静かな夏の夜、海辺の鄙びた集落で、全裸の男女が二人・・・、する事は一つしかない。

「明日の朝、ラジオ体操に行くんでしょ。一緒に連れてってね」

ラジオ体操の話だ。

たとえ、ウンコまみれの肛門を洗ってくれる仲でも、田舎の小学校3年生男子と都会から来た4年生女子の間にある共通の話題とはこんなものだった。
カモメはシノの着替を借りに近所へ出張っていた。(訳あって)全裸で夕飯の後片付けをしていたカワセミがそこへやって来た。

「サキ。幽霊退治に行くぞ」

顎で洗濯物の方向を促す。カワセミが示した方向を見ると、そこには蛍が静かに舞っていた。梅雨明けから7月中旬までが蛍の季節だから、もうすぐ見なくなるはずだ。

カワセミと二人濡れたままの服を物干し竿から取り外して着た。シノは興味を示しているが、流石に濡れたワンピースを着たくなさそうである。そこへカモメが戻ってきた。全裸のシノが駆け寄って持って来た着替を受け取った。どうしても出かけたいらしい。

シノが手にしたのはスクール水着だった。
カワセミが意地悪そうに笑いを堪えている。カモメは空気が読めずキョトンとしていたが、濡れた服を着た様子を見て合点したようだった。

シノがワンピースとは反対の首の方からスク水を着るのを見ていたら
「これはこっちから着るのよ」
とシノが説明を加えてくれた。サイズはちょうど良いのだが、ややくたびれていて、股間や胸がパカパカと開く。庭と縁側の段差のせいで下半身の中が見えたが・・・その時はそれがいい事なのか悪い事なのか全くわからない。

そんな感じでスク水を着たシノとカワセミと3人で出かける事になった。出かけると言っても、河口を挟んで向かいの長面(ながづら)海岸だ。
立神の水門前の砂浜で迎えの船を待って、長面へ渡る。夜7時、外は暮れ始めているがまだまだ明るい。昼間の熱気が残るバス通りに差し掛かるとカワセミが口を開いた。

「この世界には、形のない生き物も生きている」

私に向かって話しかけているのだが、既に知っていることだった。実際はシノに向けて語っていたのだ。

「人間は死ぬと、たまに幽霊になることがあるんだが、最初から幽霊と同じで生まれてくる生き物がいるんだ」

普通の人間でも死の一瞬だけ幽霊[意識だけの生き物]になるが、だいたいはすぐ消滅する。
川の中に入り、水門をくぐりながら暗い所で続ける。コンクリートの升の中でカワセミの声が響いた。

「人間は物(質)と意識で出来ているが。意識だけの生き物がいるんだ」

水門を抜けると砂浜、左を向けばその日遊んだ長塩谷で正面に、今夜の行く先、長面海岸の松原とその間から家の明かりが見える。水門の先に有る岩場にカワセミが腰を下ろした。私とシノが座るのを待ってた様に話を続ける。

「人が意識だけの状態になれば、幽霊で。元から幽霊だった奴は、妖怪とか化け物とか神様、天使、悪魔、悪霊とか憑き物とか言われている」

岩場に近づこうとするのをやる様にシノの動きが止まった。立神の砂浜に吹く風はシノが知っている風よりも冷たいのだろう。

「昔話や神話や伝説で、幽霊や妖怪や化け物なんかは、人に悪いコトをすると言われているものがある。でも、それは嘘で、[意識だけの存在]は[物体でてきて居る人間の世界]に何も影響を与えない。いいことも悪いことも全部人間の仕業だ」

立っている私の後ろでシノが私の後ろに隠れるような仕草をした。それを誘う様に、カワセミが風の中に溶かすような優しい声で言った。

「幽霊は生きている人間には、何もできないんだ」

カワセミが私の方を見る素振りをしながら、視線でシノを突き刺した。
一瞬でカワセミが座っていた岩場を中心に地面全体が小さな光で輝き出した。岩場を残して、世界が全て変わった。

蛍の光の様に空に向かって移動する小さな光は、やがて川の様に集まり空に向かって一点に集まって行く。
シノが瞳孔を開けた瞳でそれを見上げている。まるで水門の中にいるような、カワセミの声が頭の中で響く。

【それは人の意識だ、死んだ人間は小さな光になって空へ登って行く・・・そして・・・】

光の川の行き先を見ようとして、シノがそこで気絶した。
ドサっと彼女の体重が頭からのしかかって来る。元の世界に戻った風景の中から、カワセミが出て来た。ゆっくりとこっちに向かって来ながらシノを確かめていた。

昼間修復した裂け目が開かなかったのを確認出来ると、カワセミは最愛の人に向ける様な笑顔で私を見た。
これはシノが本当に治ったかどうか?のテストだった。

大人に成った時、カワセミに「あんなモノを見せて、もしシノが死んだらどうするんだ!?」と噛みついたコトがあったのだが。魔女曰く「そこで死んだら、そう言う人生だっただけだ。人が死ぬくらいでがたがた言うな。人間は誰だって死ぬんだ」と言われた。そんなコトが言いたくなるくらい危険な行為だ[あんなモノを見る行為]は。気の弱い人だとそこで死んでしまうかもしれない。

相手が気付かないウチに忍び寄り、魔術を実行するカワセミの常套手段だ。この魔女はこう言う治療をする。フェイント(あり得ない嘘を真顔でカマしたり、相手を強烈な現実の無理やり押し込んだり)で釣って、魔術は別の角度から気付かれないウチに行う。


カワセミがシノを私の頭から静かに移動して自分の背中に背負った。服はまだ乾いてないが、シノはスク水なので問題ないだろう。

風の中から近づいてくる船の音が聞こえた。カワセミは船とは関係ない方向を見たまま動かなかった。
まるでそこにある岩の一部の様に、始まった夜を受け入れていた。

(つづく)

kaerucar


※この物語はフィクションです。


5.「なぜ腐女子はBL(ボーイズラブ)を好み鑑賞するのか」という題目について、自己体験に基づく考察 / カリヲ(第3回)

こんにちわカリヲです。先日起こった実体験をもとにこの文章を上げることに至りました。
数日間頭がもやもやしているので、整理を兼ねて文章につづろうと思います。少し長ったらしいですが、どうかお付き合い頂けたらと存じます。なお、「我こそは真の腐女子である」「ガチで同性愛者である」という方にとってはお気を損ねる発言があるやもしれません。あくまで私本意の腐女子談議の茶番として受け止めて頂けますようあらかじめご了承くださいますよう、お願い申し上げます。

普段私自身はテレビも映画もろくに見ないですし、あまりコンサートや演劇を見にもいきません。本や漫画やゲームには勤しんでも男性向けジャンル、戦争もの、ファンタジーなどのものが多く、小二で少女漫画とはサヨナラバイバイしております。むしろ二次元媒体のものを摂取することの方が多いのですが、そんな私が先日生の(三次元の)芝居を観る機会がありましたありました。
音響のお手伝いで入り、一度役者さん男女との三人っきりでリハーサルがあったので私は一部始終そのお芝居を観る機会がありました。
その折に不覚にも「(この男女(役)の女の方が男で、男女じゃなくて男同士の話だったら萌えたのに、、)」と心の奥で思ってしまいました。最初は自分でも何を思っているのかよくわかりませんでしたが、その日の帰りの電車からずっとモヤモヤモヤモヤ考えており、帰って弟にも深く話を聴いてもらいました。いったい何をモヤモヤしていたのかということも謎でしたが、
「なぜ世の婦女子(腐女子)等はBLというものを好み鑑賞するのか」ということについて観点を起き、モヤモヤ解決の糸口として考えてみようと試みました。

私の体験をもとに見てみると、男女関係の芝居を目前にして、その配役を男男関係(弟いわく「なんなん関係」と読むらしい)に脳内変換してしまった。そしてその時自身の中に生まれた感情としては「三次元の男女間を見るのが恥ずかしい」といったような気持ちが少なからず芽生えたと感じる。(私自身が耐性がないというのも含め)
そしてこの時生じた問題変換とは即ち、自身の精神に対する防衛本能ではないかと仮定する。いち婦女子が男女の絡みを目前にした時にまず起こりうる脳の反応の一つとして「疑似体験」もしくは「感情移入」が考えられる。その見ている対象の女性側に女性の鑑賞者が自己を投影してしまうときに発生する感情を、どうにかごまかすもしくは揉み消す方法の一つがBLなのだと考える。その目の当たりにする対象が男男同士な場合であれば、鑑賞する女性の感情移入への度合いが自分に対して異性であるそれにかぶさる率が下がってくるのだ。
そうすることによってより対象を客観視して見ることが可能となる。何より自分自身の立場も対象より一歩置いた距離となって、客観視ができより精神も保護されるのだ。
つまり腐女子の妄想するBL脳の理由の一つとして「心の防衛手段」としての役割があり、見ているそれは自分とは違う生き物だと、対象をよりファンタジーに道化を見るような心持ちでいることができるということなのだ。逆にBLを男性が見た場合、男性にとっては絡む対象の男男は同性であり、生々しさが倍増し気持ち悪いのだと弟は語る。男性がGL(ガールズラブ)を見ることは、腐女子がBLを見ることと似ていることであろう。

しかし全ての婦女子が腐女子である訳ではない。腐女子はやはり三次元よりも二次元に強くベクトルを置く人間の方が多いという傾向は強い。何故ならその多くは二次元が対象のBLであり、リアルのBLを求める腐女子は少ない。あくまで腐女子にとってのBLの多くは非現実でありファンタジーなのだ。大概は二次元作中に意中の男性キャラクターを見つけ、その相手役として男性を持ってくるのだ。理由はいかほどもあるが、もし鑑賞側が女性だとしたらば意中の男性キャラを自分と同性である女性のキャラクターに奪われたくないということから、同性に取られるぐらいなら異性同士で絡ませる!という意中のキャラクターの貞操保護の為の防衛なのかもしれない。大概女性は行為そのものよりもシュチュエーション
を楽しむものであり、行為はうやむやにしてもさほど気にしないケースは多い。やはり精神的な面での関係を大切にしたい場合の方が多いと察する。(誰が誰を好きだとか)
人類学においても、女性は子どもを育てたり周りの関係を大切にしてコミュニケーションをとっていく為に男性と比べると感情的であり、相手の感情を読み解く能力も高いと言われている。その場合に自己の感情を防衛する為に生まれたジャンルがBLなのかもしれない。
ここでは実際の同性愛行為については深くは語らないでおく。今回はあくまで腐女子にとってのBL観であるからだ。BLはファンタジーなのでそれとこれとは別の話だ。

私自身はどちらかというとBLそのものよりも、BLを愛でる腐女子を見ている方が「BL+腐女子=ネタ(笑)」として面白可笑しく見られる。私にとってはBL自体よりも腐女子を見ている方がよっぽど面白いのだ。

今回はヒョンとしたことから頭を整理する為に長々と書いてしまったが、要するに私自身がお芝居とはいえ三次元の男女の関係に対して免疫がない事が元であったのではと考える。
故に三次元を許容できず、二次制作としてファンタジー化させ、心が逃げてしまったのだろう。
しばらく周りの人間観察を凝らし、シェイクスピアでも読んで研究しうるべきなのかもしれない。
家の本棚でホコリをかぶっているハムレットでも引っ張り出してこようかと思う今日この頃。


(この文章はブログの転載によるものです。)

はじめまして、つたない作家を営んでおりますカリヲと申します。私的な文章の他制作などもちょこちょこしております。よろしければサイト等にごアクセス頂きお目通り頂けましたらと存じます。
HP:http://qariwo.jimdo.com
Twitter:@qariwo 、作品アカウント@taturou62 、@caliwOX
ブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/kario4970


6.ユニークなジョークもあるよ / datto_man(第4回)

例えば、インターネットをしててよく見かけるのが、

「wwwww」

という、フレーズなんだけど、これは何かに対して笑っている時に使うものじゃないですか。
(笑)の「わらい」が省略されて最初の「w」だけが残ったという説もあれば、
「w」がそもそも笑っている人の口元のようだからという説もあるし、
ピラミッドはそもそも墓なんかじゃないという説もあります。

インターネット上の文字媒体で人間の感情をどのように表現するのか?というのは
永遠のテーマなのです。
「テメー、ふざけんなよ」このセリフを笑って肩パンしながら言えば、受け取る側も
冗談だなと簡単に分かるのですが、メールという文章だけの世界でこのセリフを
使ってしまうと、場合によっては「本当に怒らせてしまったのでは?」と
正しく感情の疎通が取れないことがあります。

「テメー、ふざけんなよ。わしゃオードリー・ヘップバーンか!」このぐらいまでしないと、
文字だけで冗談を冗談だと相手に伝えることは難しいものです。


そもそも、文字という限られた中で、相手に自分の感情を正確に伝えろとは贅沢な注文です。
どうすれば「笑ってる感じ」を演出することができるか?先人達は頭をひねって考えました。

手塚治虫は、何も音がしないという効果音「シーン」を発明したことで知られていますが、
それと同じくらい困難なことです。かぐや姫が貴族に課した条件並みの無理難題に立ち向かい、長い年月をかけて、ようやくたどり着いた答えが「wwwww」なのです。

現代の僕達はそれに甘んじて、何の疑問もなく「wwwww」を使っているわけだけど、
はた、と立ち止まって考えてみる。
果たして、それでいいのか?笑い声が、そんなんでいいのか?


どうしてそう思うのかというと、この前、踊るさんま御殿を観ている時に
「笑い声がデカい奴ほど、場の中心にいる」ということに気付いたんですよ。

明石家さんまの笑い声なんかその最たるものですが、彼は「アァー!アァー!」というハイトーンで笑うじゃないですか。あの笑い声を聴くだけで何故かこっちも笑ってしまう。
引き笑いの引き寄せ笑いですよね。

笑い声が面白いのは一つの才能です。なぜなら人の笑い声は兄弟でも全く違うものだから。
笑い声は個性の象徴なのです。

世界中探しても、自分と同じ笑い声の人はいないのです。
「だはははー教壇に立っておしっこするじょー ジョジョー」と笑う人もいれば、
「クックック・・・最初の遊びの段階で止めておけばよかったものを・・・」と嗤う人もいるし、
「フン、藤木くん、君はいつだって卑怯だよ」と哂う人もいる。

人の数だけ笑いがあるというのに、簡単に「wwwww」だけで統一していいのでしょうか。
「w」の数が、笑いの大きさを表してる、なんてシレーっと言っていいんでしょうか。

「wwwww」ってのは、車のクラクションと同じなんですよ。
老若男女、誰が押しても、いつ押しても、同じ音、同じ大きさでクラクションは鳴るわけでしょ。違うのは押す長さだけであって、あとはみんな同じ。それと「wwwww」は変わらないんです。

笑い声が、車のクラクションと同じわけがない。そうなんです。そこにみんな気付くべきです。笑い声は人の個性。しかしながら、インターネット上では「wwwww」という無機質なクラクションでしか笑いを表現できていない。ここに重大な問題があります。

僕が提唱したいのは、あらかじめ自分の笑い方を文章に興しておいて、ここで笑うぞ!という時に、コピペする方法なのです。これで、笑い方がクラクション化されることは無くなるのです!



ある日のインターネットの風景


「俺は今日も今日とて電車に乗っていたわけだ」

「うん」

「満員電車だったからモミクチャにされてたんだけど、構わずハンバーガー食べ続けてたらさ」

「うん、モミクチャの満員電車でハンバーガー食べてちゃダメだね」

「電車の揺れでハンバーガーのソースがサラリーマンのスーツに付いちゃったんだよ アァー!アァー!」

「ほら言わんこっちゃない イヒヒッヒヒハハン!」

「さすがにやばいと思ってさ アァー!アァー!
分からないように手でしっかり拭いておいたけど、べったり股間に跡が残ってたわ アァー!アァー!」

「ていうかサラリーマンの股間を触ってんじゃねーよ! イヒヒッヒヒハハン!
絶対お前ホモだと思われただろ!」

「アァー!アァー! アァー!アァー!」





なんか違う。


datto_man


7.液体になって布団に染み込みたい / 前川否負(第9回)

何故こんな人間になってしまったのか。
最近は布団に入ってこんな事ばかり考えてしまいます。

だいたい布団に横たわっていると一日が終わります。
やりたい事はたくさんあるんです。
読んでない本もありますし、クリアしていないゲームもあります。
なんだったら作曲のようなクリエイティブな事をするのも良いかもしれません。
そもそも転職のための志望動機文も書かなければならないのに。

でも結局布団で横たわり続けるんです。
恐るべき意志薄弱っぷりです。

用事のない休日は掃除や洗濯等の必要最低限の家事しかしていません。
一人暮らしを始めた頃頑張っていた料理もしなくなり、今では専ら冷凍食品ばかり。
家事は何の才能もない人間に与えられた最後の砦であるというのに。
取り柄がなくても家事ができれば誰かのためになることができる。
人として必要としてもらえるって話なんですけどね。
かといって今のご時世、家事だけが出来たってどうしようもないです。
こんな人間を養ってくれる女性がいるわけないので専業主夫にもなれません。

とりわけ取り柄がないのも問題ですね。
人より若干優れているとすれば身長と記憶力くらいです。
しかし、身長は何の役にも立ってないですし、記憶力についてはむしろ無かった方が良かったです。
なまじ記憶力が良いせいで自ら思考することを放棄してしまいました。
それに嫌なことをいつまでも覚えていて、頻繁に思い出してしまうのも限界です。
記憶にタグ付けがされていて、それに関する事を考えると連鎖的に出てくる感じです。
もうそうなったらひたすら悲しみつづけるしかありません。

なんでこんな事になってしまったのか、
きっと僕が何かに全力で臨んだことがないからでしょう。
小学生の頃やっていた水泳も剣道もピアノも途中で投げ出しました。
中学校の頃入っていた吹奏楽部も適当にこなしていただけです。
コンクールの結果発表で周りがみんな泣いている時に、僕一人だけニヤニヤしていたのを覚えています。
受験も推薦で受かってしまったため特に苦もなくパスしました。
学生の頃のテストも進級さえできれば良かったので友人のノートを借りて適当に勉強。
バンドも組んでいましたが、基礎練が嫌いな僕はやる曲だけ適当にさらってやり遂げた気でいました。おかげで今でも糞下手糞です。
就活も適当に待遇の良さそうな所を受けたら学校ブランドのおかげで合格。
入社後は同期の中で一番楽な部署に配属されましたが、勤務地が糞だったためウダウダ言って適当にこなしてます。

全力で臨まない理由はわかっています。
僕は昔からプライドが高い上に自分に甘いので、自分のかっこ悪い所を見せたくなかったんですね。
徒競走を本気で走ってもどうせ1番になれないので、手を抜いてヘラヘラしているような感じです。
もう今となっては頑張り方すらわかりません。怠け癖が染みついてしまったのでしょう。
今現在プライドは砕け散りましたが、意味もなく人を見下すスタンスは砕けてないので状況はむしろ悪化したように思えます。

現在は会社を辞めて司書の資格を取ろうとしていますが、そんなものとったって何も変わらないでしょう。
こんな筈じゃありませんでした。
両親に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
ピーターパン・シンドロームとかアダルトチルドレンなんて洒落た言い方がありますが、このままじゃただのわがままなおっさんになってしまいます。


もう…なるしかない…

そう…


""""アイドルマスター""""に!!!!!!

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前川否負(まえかわいなふ)


8.親愛なるジョージ・ワシントンへ / 伏見景雲(第10回)

「予定のないゴールデンウィークほど無駄なものはない」。かつての偉い人が言いました。たとえ仕事で大型連休がとれなくても、あとで振替休日で予定が入っているほうが遥かにマシです。尤も最近ではそもそも休日が無いなんて話も聞きますが。とにかく予定のないGWはGWではない!という世間の風潮に煽られて、僕もGWには予定を入れることにしたのです。

しかしGWは毎年同じ日数ではなく今年はすこし間隔があく日取となっているので、前半部分は何も予定がないという僕は、外を歩くと世間様に後ろ指をさされることを想像すると怖くて外に出られないのです。

外を歩いている時点で用事は用事ですが、オシャレするわけでも荷物を持っているわけでもない、ブラブラと住宅街を歩いている姿はひまつぶしの散歩でしかないと世間様には分かってしまうのです。ちゃんと街角には「指をさして笑う係」が居て、行く先々で僕を笑うに違いない。

大型連休は年にそうあるものではなく、しかも季節まで考慮するとやはり此度の連休がゴールデンなのは真実のようです。「予定がないのが予定、それがゴールデンウィーク・エクスペリエンス」なんて開き直ってしまうくらいの情熱があれば許されるのでしょうが、予定がないことをそこまで堂々とひけらかせるほど僕は人間が出来てもいません。

そうはいっても時間は待ってはくれません。恥じている間にもゴールデンウィークは過ぎていってしまうものなのです。予定がないことについてどう弁明しようか考えているうちに金曜の夜、土曜日という初動を部屋で過ごし、丸ごとインターネッツに時間を費やしてしまいました。さながら「動かざること山の如し」を体現したかのように画面を見て過ごしていました。ごめんなさい。

しかし逆に考えると、「大山鳴動して鼠一匹」などという諺もあるように、GWだからとはしゃいで不慣れなレジャーや運転、遠出、原稿執筆などしていては鼠一匹程度の成果しか現れないかもしれません。それならばいっそ余計なCO2を排出せずに日常と変わらぬ平穏を生きてゆくほうがよほど大事なことなのではないでしょうか。

繁忙期ということでチケットは値段が高く、高速道路は渋滞し、街中や観光地は混雑しているに違いない。そこでさらに見物料だとか飲食代だとかを払い、あまつさえショッピングと称して大型連休に関係のない服飾品等に浪費してしまうんです。

でも逆の見方をすれば日常生活圏という砦に籠城としている我々にとっては、いまこれ以上ないほどの安寧を手に入れているというわけです。

それに予定がないといっても昨日は犬の散歩という名目で出歩いたので嘲笑されるようなことはなかったし、今朝は町内会の清掃に自主的に参加したので「あ、こいつ予定ないんだな」とは思われても反乱分子とは思われてないはずなんです。なにかしでかした時にもカメラ前で「こんなことするような人では…朝の清掃にも参加してくれてましたし」って証言してくれるでしょう。そしたら卒業文集がどこかから流出して「やっぱりそういう奴だったんだな」って世間に叩かれるんですけど。捕まらないようにしないと。
なにかしでかすのは前提なんですね。

しかし世間の目を気にするしないは兎も角として、せっかくの大型連休にディスプレイと友達というのも虚しい気持ちになるというのは事実です。そこで僕は思い出したのです。かつて偉い人は言いました。「予定がないならケーキを食べればいいじゃない」。そう、聡明なる読者諸氏ならお分かりかと思いますが、ここでいうケーキとは温泉のこと。僕は思いつきで温泉に行くことにしたのです。

温泉は良いものです。ケーキも好きですが、もし浸かるならケーキより温泉というくらい温泉が好きです。一人で行くもよし、家族で行くもよし、友人と行くもよし、見ず知らずの他人と行くもよし(気まずい)、怨恨を抱いた人や確執相手と行くもよし(湯けむり事件)。近場で手軽にリフレッシュもいいし、遠方へドライブや電車旅を兼ねていくのもそれはそれでリフレッシュになります。温泉はどこをとってもおいしいケーキのようなものなのです。

ところで温泉は日本ばかりのものではありません。英語ではHot spring、まさにそのまま温泉と訳せるように、海外でも温泉というのはリフレッシュで使われるし、好きな人も多いようです。
一方で外国では日本ほど温泉が身近な存在というわけでもなく、ゆえに「日本人の温泉好きは異常」という見方もあるようです。しかしこれは半分間違いで、日本は火山島嶼で単純に温泉が多く、物理的に身近という理由が大きいようです。

「日本人が温泉大好き」の半分は正解です。多いゆえに古くから温泉が身近であったし、湯治の旅などといった歴史もあり、行楽地としての温泉旅館は独自の発展を遂げています。風流を感じさせる日本式露天風呂なんてのは、やはり日本にしかないものだそうです。

僕もケーキ好きとして地方によって景色の違う、あるいは四季を感じる日本式露天風呂が好きです。海岸では浜の匂い、山では新緑の匂い、北国では雪景色が見られるなどという温泉ごとのキャラクターも楽しみの一つであるわけです。

これは温泉が多いとか身近とかではなく、単純に日本だからこそ味わうことの出来る温泉というわけで、アメリカの温泉とか訳わからないくらい殺伐としてますよ。大体の場合は岩場で、人の手が入ったら入ったでコンクリートですもの。
"温泉好き"という意味では日本も外国も変わらない「好き」なのでしょうが、日本の場合だと"湯に浸かる"ことだけが目的なのではなく、また大衆浴場としての役割が好きなのでもなく、温泉に付随した自然を堪能することも含めての"温泉好き"なんだろうと思います。

そうして突発的でありながらも温泉という胸を張れる予定を得た僕は、颯爽とバイクに跨り風になるのだった。

予定がない人も、出歩けば後ろ指さされる人も、捕まったら叩かれそうな人も、人間関係に嫌気が差している人も、会社に隕石が落ちてくればいいのにと常日頃から思っている人も、原稿が行き詰まっている人も、温泉は平等に接してくれます。浸かればすべての罪が洗い流され、神が許してくれるのです。迷える子羊よ、温泉に行きましょう。

伏見景雲


9.奥付

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