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夏のせせらぎ

2017/07/26 17:27 投稿

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  • きむそん
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 こんな奇怪なタイトルから始まることに、冒頭から謝ることを許していただきたい。そして久々の投稿に少し気合を入れてしまって、終始叙述的になるであろうことにもこの場を借りて、謝っておこうと思う。本来「せせらぎ」というワードは川や池といった水の声として使われることが多いし、皆さんも耳にすることが多いだろう。最近では山のせせらぎなどと言った、少し連想させるような造語もあるくらいだ。私自身正しく日本語を使うことができないので、造語という観点はむしろウェルカムではあるが、日本語にうるさい人だと「山のせせらぎ」なんて言うと、おそらく怒られ、説教が始まるだろう。


 では、なぜこの度「夏」というワードに対し「せせらぎ」を組み合わせてしまったのか。一つは連想にある。先ほども述べたように「せせらぎ」には川と言った水にまつわる言語である。しかしそんなありきたりな日本語におそらく聞き飽きた、そのようにも感じてしまうのだ。ここで私が言う「せせらぎ」とは、「声」もしくは「流れ」だと捉える。そのことで水だけでなく自然に、あるいは季節にも応用できるかもしれない、そんな妄想が捗るのだ。「山のせせらぎ」日本語という観点から間違っているが、私の観点からでは「山」に入ると、風が吹き、木々が揺れ、さんさんと輝く太陽ですらまばらに光を差し込んでくる。もしくは、木々は静かに、鳥のさえずりがそう思う人もいるかもしれない。私はその一連の流れを「せせらぎ」だと解釈してみたいのである。「山のこえ」なんじゃないか!という人もいるだろう。もしくはもっといい表現があるのかもしれない。だが私はこれをせせらぎということで、どこか優しく、どこか力強く、読む人に考えさせられる言葉だと思っている。


 話を戻すが、夏のせせらぎという造語を解釈するとしたらどうなるのか。というよりも私がどういう意味で使ったのか、と言った方が正しいかもしれないが。「夏」という言葉の中には広く連想させることがある。暑いのような気温もそうだし、プールや夏祭りといった行楽のようなアクティブな要素を強く感じるかもしれない。そんな中でも日陰で風を感じる時もあれば、部屋の中で涼しく過ごす人もいるだろう。そのように人々が過ごす中で、特に夏というのは儚くも切ない思い出を多く私は感じるのである。その全てが私にとってが、「声」であり、「流れ」なのである。私のいう「夏のせせらぎ」とは、暑いという中にどこか涼しく流れている時間だと解釈してみた。そうしてみると「せせらぎ」という言葉も「夏」にどこかしっくりくるように見える。


 

 造語、というものには賛否両論あるだろう。もしかしたら否定的な人方が多いかもしれない。私も日本語を正しく使わない人をあまり好まない。ただこういう解釈があるとまた日本語は面白く見えるのではないのかな?という一つの解釈だと思ってみなさんも楽しんでいただければいいと思う。


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