いつか君だけの優しい世界。

本との出合い。今の自分と見比べて。

2016/01/23 20:02 投稿

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どんなとき本を読むだろう。
どこで、と置き換えてもいい。
読書感想文を書かねばならないなら、自宅の机に向かいイスに座りとなるかもしれない。
また、課題を提出するために専門書を読み、メモをとりながらということもあろう。
本を読むのが家でだけである必要はない。
図書館でもいいし、喫茶店でもいい。
今の季節は厳しいけれど、日向ぼっこよろしく公園のベンチでもいい。
いずれにしても、本が近くにある日常に慣れないと、敢えて」持っていくことになる。
本を持ち歩くことが身近でない、あるいは、身軽でない気がする。

当然のことながら、本には厚みがあり、幅があって、重みがある。
その分だけ、明らかにそこに「それ」として本が物質的に存在している。
手に持って出れば、文字通り手がふさがった状態になる。
鞄に入れて持ち出すとなると、本を読むことが目的になる。
手をふさぐ「お荷物」を携え、場所を求めて出かける。
こういう合理的でないことを楽しみにできるのが、趣味ということかもしれない。

しかしながら、読む場所が決まっていて、特にお荷物と感じないことだってある。
さらに、合理的に時間を有効活用することにだってなる。
それが、バスや電車での通勤・通学時間。
座席に身を預け、目的地まで運ばれていくしかしようがない時間を使う。
他の乗客の挙動が気になりそうだが、かえって読むことに集中できるから不思議だ。
さほど長い時間電車に揺られるわけではない私でも、思いのほか読み進められる。
こうして本読み習慣がついている私にとって、今回紹介する本は親近感があり手に取った本。


酒井忠康著『鞄に入れた本の話』(みすず書房)
はじめに断っておくと、誰にでもオススメというわけではない。
理由は2点。
まず、値段がお高めで3400円+税である。
2点目として、美術に関するエッセイであること。
美術・芸術作家たちが書いた本を、著者が読んだところを書いた本である。
例えば、高村光太郎、棟方志功、岡本太郎、岡倉天心、土門拳等々。
前提となる作家を知っていて、その作品を思い描けるとより一層楽しめる内容。
誰にでもオススメではないが、美術・芸術・哲学等に興味のある方には是非すすめたい。

さて、著者は美術館の館長を務めている。
自宅から職場までの通勤時間が2時間ほど。
行き帰りで4時間となれば、1、2冊本が読めてしまうという。
まえがきにこうある。
詩集や句集、箴言集や『論語』といった、要するにどこからでも読めるものであった。(中略)『論語』との出会いは、わたしにとって受験勉強以来のことだった。けれども『論語』を手にして、連想にあそぶこともあった。「子曰、知者楽水、仁者楽山」などはその一つ。(中略)もうずいぶん前のことだが、あるところで「賢者は海を愛す/聖者は山を愛す」と書かれた小説家・開高健の色紙を見たことがあった。典拠は知らない。おそらく、独創であろうと思うが、『論語』の「知者」を「賢者」、「仁者」を「聖者」とむすびつけて解釈すれば、さしずめ、この『オーパ!』の小説家は「賢者」の部類に属するのではないかと思ったりした。
ここに読むべきところがすでにあると感じた。
物語ではなく、どこからでも読める」ことが大事なのだと。
区切りごとに読んでは思いを巡らせる。
物語を中断するのは、先が気になってあまりよろしくない。
さらには、知識があることで出会いに気付くことができ、解釈できるということ。
論語を知らずとも、「賢者は海を愛す/聖者は山を愛す」を目にして好しと思えればよし。
そう思わないのもまた好しではある。
けれども、開高健も知っていたんだろうなと、つながる感覚を楽しむのもよしではないか。
まえがきの他の部分を抜粋して引用すると、本の読み方、楽しみ方が伝わってくる。
本との予期せぬ出会いがもたらしてくれた「御蔭」のひとかけらといっていいだろう。
この部分であるとか、
まるで数珠つなぎで鞄に入れることになった。
この部分は共感するところしきりである。
さらに、
小型のスケッチブックを鞄に入れるようになった。(中略)メモ帳はいわゆる覚え書の類なら何でも記すというふうにつかっている。
私は、メモ帳を記入するのに使わず、小さく切って小栞を作って目印に本に挟む。
流れのポイントになる部分や、知らない言葉の部分とで微妙に差し込む量に変化をつける。
1度きりで止めず、次読むときに確認できる工夫。
この本との出合いの意味。
それは、共感を持つことができる本との付き合い方をする人との出会いでもあったと感じる。

私が抱いたこの共感を、著者は文中で次の引用をして述べる。
「私にとって本を読むことと世界を旅することとは別々のものではない。私は本の中を歩きまわって旅をし、世界を本のように読みたいと思うのだ」と、海野弘氏は『海野弘 本を旅する』(ポプラ社、2006年)の「はじめに」で書いているが、歩きまわる領域や旅の仕方は違うけれども、本との付き合いを顧みると、どこか似たような印象をわたしも刻んでいる。
今、この記事の筆者である私が読んだ本について書いている。
その本の中には、著者が既に読んだ本のことが書いてある。
著者が引用した文の筆者と、著者と、私との類似点を確認できる。
1冊の本と向き合い、自分に起こる読書体験として、これはある種の醍醐味かもしれない。

本の正しい読み方などないだろう。
自分のスタイル」を身に着けるのも楽しみの1つ。
そのためのヒントがこれまで引用した部分にみえるかと思う。
本文の紹介がないが、2点言えることがある。
1点目、この本を読み終え、加藤尚武著『「かたち」の哲学』(岩波現代文庫)を購入した。
2点目、ここまで記事を書いてきて、引用したのがまえがきだけでこの分量になった。
美術館館長が書物から美と通じ、美を語る。
教養とは何か、素養とは何か。
何を見て、何を知るのか。
作品と作家との関係性や人物像をみごとにとらえている。
これらのことから推し測り、手に取ってみるか決めてもらえればと思う。

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