礼讃

礼讃・第3回「女王蟻」③

2014/06/16 13:00 投稿

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 母は、真由ちゃんのお母さんと一緒にキッチンに立ち、ディナーの準備をしている。ガスオーブンでは、フタのない箱型の山形食パンと渦巻きに成形したバターロールパンを焼いている。ガスコンロでは、昨日父が作ったコンソメスープに玉ねぎと白いんげん豆と大麦を入れてコトコト煮込んでいる。

 北海道産の蕎麦粉で作った生地をクレープ用の浅い鉄のフライパンで薄く焼いてガレットを作るのはいつも私の役目だった。真由ちゃん母娘と私の母は、車エビに衣を付けている。私はガレットを焼きながら、エビが流れて行く作業を楽しく眺めていた。妹は茹で卵の殻を?いている。固茹で卵はタルタルソース用で、半熟卵はアスパラガスに添えるものだ。

二人の父と弟はリビングのソファで男三人寛いでいる様子だ。三年前の嫌煙活動をものともせず、父はパイプを吸い続けている。真由ちゃんのお父さんも、父に負けない愛煙家のようだ。二人のくゆらせた紫煙で弟がぼやけて見える。

母がテーブルにお皿を並べ始めた。真由ちゃんのお母さんが夫に預けていた腕時計を細い手首にはめた。それは、幼心にもとてもセクシーな仕草に見えた。

「ショパールですね。素敵な時計だ」

父は腕時計にも詳しかった。

「おい、花菜、真由ちゃんのお父さんの時計を見せて貰いなさい。ヴァシュロン・コンスタンタンという一七五五年創業のスイス最古の時計メーカーだ。本物をよく見て目を養いなさい」

 父は、美術品を鑑賞するような真剣な眼差しで、真由ちゃんのお父さんの腕に巻かれた時計を見た。

「優美さの中に緊張感が張り詰めたようなトノーフォルムがヴァシュロン・デザインなんだよ。放射線状にデフォルメされたアラビア数字、可動式のラグ、時針と分針の長さの比率、針の形、ケース径とストラップ幅の比率をよく見るんだ。現代の腕時計ケースの基本モデルの原形なんだ」

 私は、アールデコ調のローマンインデックス、プラチナのケースに黒いアリゲーター・ストラップ、そして、独特のクラシシズムに心を奪われた。

 父は、私が物心ついたときから同じ腕時計をはめている。パティック フィリップのシンプルなデザインのものだ。私は幼い頃から、「時計とチョコレートはスイスに限る」と聞かされて育ってきた。でも、私がいちばん大好きな男性である母方の祖父は、セイコーのステンレス・スチールの腕時計を愛用していたので、日本製だって良いじゃないかという思いはあった。

 

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