アルバイト「店長、ラス半1軒入りました~」

僕「おし、じゃあ次、本走行きたいやつは挙手!」

全員挙手――

僕「おーし。全員1枚づつ牌を引け!一番数字の大きかったヤツが本走な!」

当時勤めていた雀荘は「打ちたがり」が多く、このような方法で本走順を決めていた。この頃は店長という立場でありながら、率先して牌を引いてましたね(笑)

1年目、お客様がまだ少なかったこともあり、打荘数は月550Gオーバー。
2年目以降の打荘数は、月平均500G弱、年間だと5500G強といったところ。

月に22日出勤だったので大体この程度。飽きにくい僕でも3年、4年経つと次第にマンネリ感を覚えるようになった。「倦怠期」それを感じるようになるまで、およそ20000Gくらいの打荘数を要したということだ。

レスポンスの早さを鍛え、うまくアジャストできてからは成績がとても安定した。
しかし東風戦で常時1列目から積極的に仕掛け、仕掛けないときは早いリーチ。

そして光速のベタオリだ。
毎度毎度これを繰り返すと、お客様もさぞつまらないだろうな・・・

そう、例えて
いうなら今の自分が鳳東を打っていてつまらないと思うような感覚――

お店の責任者として このままでいいのだろうか?」
1プレイヤーとして 「あくまで利の追求の手段」 

それぞれの立場で、それぞれの葛藤を抱きながら
次第に麻雀に対するモチベーションも薄れていくようになったのだった。



きっかけは2007年、とある麻雀プロ
主催の研究会に参加したときのことだった。

鈴木たろう(後の雀王)
村上淳  (後の最高位)
尾崎公太 (最年少最高位戴冠) 

半荘終了後に1局ずつ検証する対局形式の研究会。当時僕はAリーグ1年生だった。
圧倒的に前評判の高い3人相手の麻雀。特に萎縮することは無かったのが――

鈴木たろう「何ていうか―― 木原さんは手役というものを知らなすぎるね」

そう、その場において僕の麻雀は明らかに異質だった。
打点、手役に重きを置く3人に対し、ひたすら先手を追求するといったような――

その時はたろうの言葉もあまり気に留めていなかった。むしろそんなすっとろい麻雀、スピードで封殺してやんよ!」くらいに思っていたような気がする。

それは普通の反応だと思う。お店の成績も、リーグ戦も結果を残してきた。このまま
やれる手応えも十分あった。たった1日で築いてきたものを覆すことなど出来やしない。

「井の中の蛙」とはよく言ったものだ。
麻雀を打つステージは無数に有り、そのステージの数だけ「勝ち組」は存在する。

その「勝ち組」だけを集めたようなステージでは
また新たな「勝ち組」と新たな「負け組」が生まれるのだ。

「麻雀プロ」だって「天鳳」だって「雀荘」だって数あるステージの一つに過ぎない。

その中でもAリーグや鳳凰卓のように「負け組」をふるいにかけた特別なステージにおいては、何か麻雀の質が違うのかもしれないな――



少しはそんなことも思ったが、その事があってからも店では相変わらずだったし、リーグ戦も相変わらずだった。ただ長い間ずっと葛藤し続けていたのも事実。

「やってみよう!」と思ったのは、それから1年以上も後のことだ。更なる進化を求めてといったな高尚な理由ではない。ただ倦怠期解消のために変化を求めただけだった。

そのついでにお客さんに対するイメージアップになればいい。
リーグ戦も採譜されているのだから、恰好いい牌譜が残ればそれもまたいいか。

少し不純な動機だったかもしれない。
でも動機なんてどうでもいいじゃないか。

うまくいっていたものを捨てるのにも抵抗があった。
でも今が不満なら、捨てなきゃ何も始まらないじゃないか。

鈴木なら、どう考えたか――
村上なら、どう打ったか――
尾崎なら、どう狙ったか――

そんなことを考えながら、今までよりも1歩半は遅く
今までよりも2ランクは打点を狙う、といったようなイメージで。

最初の頃のように、こっ酷く負けるものだと思っていた。しかしこれが意外なことに、あまり負けなかったのだ。その理由はおそらく基礎能力の向上にある。

左利きがいきなり「右が基本だから」といって簡単に右に直せないように
基本というのは何度も何度も積み重ねることによって身に付くものだと思う。

最初の試行錯誤の際、本当に強い人の模倣を何度も何度もしながらいつの間にか身に付いた基礎能力、その土台があったからこそ大崩れしなかったのだと思う。

本当に基礎は大事だ。見合っていたら押し、見合わなかったらオリ。
しっかりとした土台なくして上達など絶対にありえない。

退屈しのぎに始めた麻雀の変化。それがたまたまうまくいったことによって、
完全に倦怠期だったお店での麻雀がまた楽しくなってきたのだ。

Aリーグも1~2年目は今まで通りだったが、3年目以降は毎年バランスを変えて挑むように意識した。そのようにしても大崩れしないという自信もできたから。

結果が伴ってきたのは5年目、初めて決定戦に手が届くところまで来て、今1歩及ばなかった。その惜しかった5年目のバランスを更に変えて挑んだ6年目――

初めて決定戦に進出した。
そして天鳳では――


続く