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テニス全米オープン錦織・チリッチ選手から学ぶ「競走馬の強さとチャンピオン」に関する考察

2014/09/11 18:33 投稿

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テニスの世界で、先日行われた「全米オープン男子シングルス決勝」に進出した錦織圭選手は、

クロアチアのマリン・チリッチ選手に、0-3のストレート負けを喫しました。

世界ランキング1桁の強豪を次々と撃破し、日本男子96年ぶりの4強進出。

準決勝では、世界ランキング1位のジョコビッチ選手を倒し、日本人初のグランドスラム決勝進出。

ここまではとんでもない偉業の連発でした。

しかし、決勝の相手は、世界ランキング16位と、錦織選手から見て格下の相手であり、

過去の対戦成績も、5勝2敗と勝ち越している戦績の相手。

にも関わらず、錦織選手は大会優勝の栄光を「ストレート負け」で逃してしまいます。

無論、準優勝だからといって、錦織選手の偉業が偉業でなくなることはないのですけれども、

多くの日本人が、この結果に対して、素直に受け入れがたい、あるひとつの感想を抱いたのも、また事実でしょう。

それは、

「なぜ、格上相手の強豪を撃破してきた錦織選手が、いとも呆気なく、格下と見られる相手に完敗したのか」

という点です。

私は、テニスのことは詳しくないので、テニスの側からこの疑問点を考えることはできませんが、

競馬の側から、この疑問について考察していくと、勝負事に対する、1つの結論が浮かんできます。

それは、

「強いことと、チャンピオンになることは、別物である」

という結論です。

競走馬の世界は、階級社会です。

ピラミッド型の階級社会と言って良いでしょう。

加えて「1着」という結果で階級の結果が成立している、非常に特殊な世界です。

競馬は1着にならないと、昇級できないからです。例外は「重賞で2着になること」のみです。

ここで、競馬の賞金について説明します。

競馬の獲得賞金には、本賞金収得賞金という、重要な2種類の賞金計算があります。

1~5着に入着した際に得られる「本賞金」と、

レースごとに出走手当等の付加的に得られる「付加賞金」

これらの合計賞金を、獲得賞金といいます。

一方、階級の各クラスで1着になることにより、本賞金の半額が加算されていくものを、「収得賞金」といいます。

基本、レース1着馬にしか加算されない収得賞金ですが、

前述したように、重賞レースのみ、2着馬にも本賞金の半額が加算されます。

獲得賞金=本賞金+付加賞金=実際に手にする賞金

収得賞金=本賞金半額の加算賞金=階級を決定づける概念としての賞金

競馬は、競走能力がいくら総合的に高くても、1着にならないと、クラスが変動しない勝ち抜け制度なのです。

これは、我々人間世界を日常的にみても、非常に特殊な制度だと思います。

たとえば、高校や大学の受験制度は、一定の得点以上を獲得すれば、合格者になります。得点が1番ではなく、10番でも100番でも、

基準点以上をマークすれば合格になる制度、と言えるでしょう。

繰り返しになりますが、競馬は1着になることを常に要求する世界であり、2着では要求を「重賞以外」では満たせないルールによって成立しています。

言い換えれば「1が特殊な世界」であり、「1によって全てが決定される世界」と言い換えることができます。

競馬は「1の世界」である、と結論づけてもいいでしょう。

そして、競馬の序列というのは、

強くなければ1着になれないことが多いと推測されますが、強ければ必ず1着になれるというものでもない、とも言えます。

そして、強くなることと、1着になることは、必ずしも合致しないと言えます。

競走馬には、色々な「強さ」を見せる馬がいます。

たとえば、「着を崩さない強さ」を持つ馬です。

総合的に能力水準が高く、欠点が少ないような、非常にまとまっているタイプの馬は、着を崩さない能力に秀でている、と言えます。

この「まとまっている強さ」を持つ馬の代表例を思い浮かべると、

私は真っ先にブラックホークが出てきます。





ブラックホークの戦績の最大の特徴は、着を崩さない所=複勝圏・掲示板圏内を外さない亊なので、獲得賞金にとりこぼしがほとんどありません。

一方で、重賞複勝圏への安定感は抜群でありながら、G1はたったの2回しか勝っていません。

ただ、ブラックホークのまとまっている強さは、錦織選手の強さとは性質が異なります。

まとまっている強さを見せる馬は、現役最後のレース、安田記念の単勝オッズを見てもわかるように、人気が過小に評価された時に勝ったりしますが、

G1という強豪が揃った相手には惜敗することが多いのです。つまり、G1戦1番人気で2着、3着になるケースが多くなります。

錦織選手は、「強豪相手に<勝利>し、格下相手に完敗」という性質の強さであり、

言い換えれば、強い相手に食らいつき、弱い相手に取りこぼす、ということができます。

錦織選手と完全一致ではありませんが、似たような競走馬の代表例をあげると、

ステイゴールドがいます。




この馬は、「強い相手に<善戦>し、弱い相手に取りこぼす」性質が極端に出た馬でした。

戦績を見るとわかるように、

トップクラスに上がった98年2月のダイヤモンドS2着以降、国内G1で6度の2着ないし3着をマークします。

強豪が集まったG1で何度もG1馬券圏内に入る一方、1着の回数が極めて少ないです。

97年9月の阿寒湖特別を勝利後、29戦後の目黒記念で勝利するまで、約3年もの年月がかかっています。G1の常連にも関わらずです。

もし、収得賞金の例外「重賞のみ2着にも加算」が無かった場合、この馬は、下手すると、ずっと準オープンクラスの馬だったかもしれないのです。

この、勝ち味に遅いが、格上相手には食らいつくステイゴールドの強さというのは、

メンタル的には精神力の強さです。また、競走能力的には、G1の激流ペースに怯まないジリ脚の強さということになります。

こういう強さを、競馬の世界では「相手なりに走る」といいます。「受け身の強さ」ともいいます。

相手が強くなっても、強豪同士が作り出すG1特有のギリギリの速い流れについていく対応力。これが、ステイゴールドにはありました。

錦織選手も、準決勝ジョコビッチ戦で見せた、第三セットのタイブレークの攻防。

錦織選手は、バックハンドが得意らしいですが、私はテニスの技術的なことはよくわかりません。

わからないなりに理解しようと、上記のような競馬的考え方をすれば、「相手なりの技術」が非常に高く、

それが活かせる局面の攻防を制して「精神的優位」に立ったのだなと、一応の理解はできます。

同時に、決勝戦では、相手なりの技術が活かせず、受け身の強さを発揮できなかったのだなと、推測できます。

競馬の話に戻すと、強い相手に食らいつき、弱い相手に取りこぼす馬がいるということは、

「強い相手に怯み、弱い相手に滅法強い性質」の馬がいるということです。

このタイプの代表例を思い浮かべるなら、

真っ先にバランスオブゲームが想起できます。




バランスオブゲームはG2を6勝もしています。しかも、毎日王冠、弥生賞、中山記念など、

制したG2は、すべて歴史のある伝統のG2戦と呼ばれているレースばかりです。

にも関わらず、バランスオブゲームのG1成績とG2成績を比較すると、

G2戦
6-3-0-3

G1戦
0-0-2-12

G1級の競走能力を持ちながら、その能力をいかんなく発揮できる舞台はG1よりもG2の、格下相手のレースだったという戦績馬なのです。

ただ、バランスオブゲームとステイゴールドの、共通する点を挙げるとすれば、これらの強さの性質はいずれも、

「相手ありきの性質」であり、受動的な性質と言えるのです。

冒頭で示した、

「強いことと、チャンピオンになることは、別物である」

これに対する回答を、これまでの流れを踏まえて出すとすれば、

「チャンピオンになるためには、能動的な強さが必要である」

ということになります。

受動的な強さとは反対の性質が、まず必要です。

全米オープンで優勝したチリッチ選手は、サーブが得意と言われています。

チリッチ選手のサーブが技術的にどれほど凄いかを、私は説明するスキルを持っていませんが、

サーブというのは、相手の球に対応する技術であるバックハンドとは異なり、

サーブは「最初から最後まで、相手に影響されることなく打つ技術」であることはわかります。

「最初から最後まで、相手に影響されることなく自分の特性を発揮する強さ」というのは、

非常にエゴイスティックな性質の強さです。「1人称の世界観」の強さ、ということになります。

この性質の強さを持った競走馬の代表例は、

やはりサイレンススズカでしょう。




サイレンススズカの強さほど、強烈にエゴイスティックな強さを持った馬は日本競馬史上いないと思います。

最初から最後まで、相手に影響されることなく自分の特性である「大逃げ」を打って、しかも信じられないことに、

そんな殺人ペースで逃げてもバテないのです。

この馬は、結果的にG1を1勝しかできませんでしたが、現役当時を知る競馬ファンの間では、

サイレンススズカを最強馬の1頭にあげる人が非常に多いです。

別な見方をすれば、これほど「精神的モロさの同居するチャンピオン」はいないでしょう。

強さの中に逃げるしかないモロさ=弱さがあり、それでもチャンピオンに君臨することは可能である。それを証明した1頭だと、私は思います。

チャンピオンについて、もう1つ指摘したいことがあります。

「チャンピオンになるためには、覚醒が必要である」

チリッチ選手が優勝し、彼の優勝について、様々な言葉で表現される場面を見ましたが、

チリッチ選手は「大会を通じて覚醒した」という言葉をあちこちで見かけました。

「覚醒したチャンピオン」の代表例をあげるとすれば、

ショウワモダンをあげてみたいです。




この馬は、2009年までは、OP特別で頭打ちの馬でした。

しかし、2010年に入り、ダート戦の根岸Sを使用されてから、まるで今までとは別馬のようにスイッチが入り、連勝して安田記念を制しました。

芝馬が、別トラックである砂のダートを使用、しかも、先行して使用した場合、そこで結果は奮わずとも、メンタル面でスイッチが入るというのは、競馬では頻繁に起こるのです。


生涯戦績を見れば、OP特別クラスで二桁着順を複数マークしているので、決して強い馬とは言えません。

この馬よりも強そうに見える戦績の、G1未勝利馬は山ほどいます。

しかし、覚醒した直後のショウワモダンはG1を制し、チャンピオンになったのです。

「強いことと、チャンピオンになることは、別物である」を非常にわかりやすく表現した戦績のG1馬です。



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