ナッキー(ケーシー高峰)の屁理屈。

日本アニメが極めた「省略の美学」の果てにあったのは「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」だった。

2015/04/25 23:31 投稿

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今更だが、私は「ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン」が好きだ。



だがこれをご存知の方ならお解りだと思うが、コメントは見事に「是」と「非」が入り乱れる反応だった。まあある意味バラついた方が健全なのかもしれないが。

その原因の一つとなっているは、恐らくこのアニメの「動かし方」の問題だろう。

アニメってのはその言葉の通り、動画なのだから動くのが当たり前ってものだ。
だが、とはいえその「動かし方」に法律なんぞ存在しない。そして特に日本はそこに「省略」という方法論を用いて独自のスタイルを確立していった。

だが、基本的にそれらは

・「動いているように見せる(見える)」
・「見せない」

といった方向性で演出されていた。

だが、上記の動画をご覧頂ければ解るが、本作では多くの所で「動かさないまま動かす」という、言葉だけ聞けば禅問答の様な事をやってのけた。

それは動画のコメントにもあるが、「紙芝居アニメ」とか「フラッシュアニメ」のような、止め絵をそのまま揺らしたりスライドさせてしまうという、まるでおっさん世代がよく遊んだキン消しやソフビや超合金の人形で格闘ごっこをやってるような気分にさせる動きだった。

そこに違和感を、中には嫌悪感すら感じた人がいたのは、「アクション」という領域においてこの紙芝居アニメ的方法論を導入したからではなかろうか。

紙芝居アニメは「鷹の爪」などを例に出すまでもなく。既に幾つか存在しており、それでも十二分に作品として評価はされている。それは乱暴に言えば「そういうアニメ」だと多くの人が納得しているからだ。つまり「動かさない面白さ」という文法が成立しているのだ。

だが今回、その文法が用いられたのは、まさかの忍者アクションである。そう、アクションなんだから動かすだろ、というのが当たり前の文法として、特にアニメ好きな方なら思っていたのだろう。しかも、アニメーション制作は「キルラキル」などで「動かす文法のプロ」と多くの人に印象づけたTRIGGERである。アニヲタならばそう思っていても無理はない筈だ。

そして目の前にやってきた現実がアレである。拒絶反応が出る人がいても、無理はないのかもしれない。

ただ、根本的な事を言ってしまえば、この作品はそもそも、「正しい」という概念を放り投げる事で成立している作品だとも言えなくはない。日本語のニュアンスからして不自然だ。(ちなみに若干ファンの間で流行っている「ワザマエ」は実際日本語にある[業前])

出演声優も当然ながら、この不自然さには気づいていた。公式ラジオ第一回(http://www.onsen.ag/program/ninja/)を聞くと、事前に貰った台本をわざわざ手直しして現場に臨んだらしい。ところが驚愕の事実、「間違っている事が正しい」(哲学)だったのだ。

日本語が間違っていようが「そういうアニメ」だと認識させてしまえば演出ってのは勝ちなのだ。んな事いったらアニメの設定や構成なんて今も昔も「あるあ…ねーよ」の巣窟だ。そんな「現実的に」(キリッ)なんて考えさせずにこれはこれでアリだと思わせる事、それこそが重要なのだ。

そしてとうとう、このアニメは「動き」すら「こういうアニメですが何か?」と見せつけてしまった。

反応を見る限り、一話では特に「ねーよ」なコメントが多かった気がする。だが慣れたのか、「一話切り」して否定派がいなくなったのか( - -)、ねーよ系のコメントが減っていた気がする。私自身も一話は「お、おう…」な印象だったが二話から「だがそれがいい」になってきた気がする。

果たしてニンジャの今後は!?ニンジャ、目が離せない、実際。

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