川上量生 公式ブログ

ジブリのノスタルジーの源泉はなにか

2015/06/13 16:34 投稿

コメント:6

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 ジブリ作品のひとつの特徴としてよく言われることに、見ていると、どこかなつかしい感じがするというものがある。
 観客に自分が昔住んでいたふるさとをなつかしむような気持ち、”郷愁”いわゆるノスタルジーを感じさせる要素が含まれているのである。
 こういうノスタルジーを感じさせる作品はジブリ以外にもあって、たとえば最近の映画では、三丁目の夕日が分かりやすい例だろう。
 いったいこの”なつかしい”という感覚はどこから来るのだろう。

 なつかしいという言葉どおりに素直に解釈すると、昔よく見ていたものを、ひさしぶりに見たときにわき起こる感情ということになるだろう。
 もうすこし補足するとしたら、なつかしいと思うには、たんに昔よく見ていただけでなく、それが好きだったものだったり、もしくは自分の楽しかった出来事や時代にリンクされた記憶であることが必要であるように見える。
 そういうなつかしいという感情を呼び起こす作品とはいったいなんなんだろうかというのが、ぼくが長年考えていた疑問だ。

 なにが不思議かって、懐かしいもなにも、ノスタルジーを感じているみなさんは、映画で描かれている世界に昔住んでいたわけじゃないだろ、ってことである。
 天空の城ラピュタの世界はそもそもファンタジーの世界だし、人間が住む町のモデルだってヨーロッパのどこかだろう。トトロの世界は、まだ舞台が日本だけど、けっしてリアルな昔の日本というわけじゃない。三丁目の夕日にしたって、実際の昭和の描かれている時代を体験しているのは、たぶん、60代以上だろうけど、どうも、それより若い世代の観客もノスタルジーを感じているようだ。
 みんないったいなにを見て懐かしいと感じているのだろう。

 ジブリの作品は観客の原風景を描いている。そういう説明もある。つまり子供の頃、昔みて、心の奥底に存在している風景と似ているから懐かしい、というものだ。これはある年代以上の世代の観客に対してはそれなりに説得力のある説明だ。でも、若い世代はどうだろう。30代以下は子供の頃から現代の無機質な都市生活で生きているから原風景も異なるはずである。
 これについては身も蓋もない説明があって、30代以下は子供の頃にトトロとかみて育っているから、そもそもジブリ作品がなつかしい、というものだ。
 年寄り世代はまだ開発が進む前の原風景、若い世代は昔からジブリ作品をみていたから、それぞれ懐かしいという説明は、結構、完成されているのだが、これを納得しちゃうと話が終わってしまうので、もう少し一般的な説明ができないか考えてみよう。

 ジブリ作品のノスタルジーの源泉についてよく聞く、別の説明は、コンクリートとプラスチックなど人工物に暮らしている現代人は、木でつくられた家や家具、田園風景、農耕や牧畜とよりそった牧歌的な風景など、より自然と調和した生活に戻りたいという本能があり、そういったものに懐かしさを感じる、といったかんじのものだ。
 なるほど。多少の説得力は確かにある。ある程度はあたっているのかもしれない。本能であれば、実際に自分たちが経験していない風景に懐かしさを感じるというのもありえる話かもしれない。
 でも、ちょっと御都合主義の説明にも思える。たとえば現実の世界で木造建築物である歴史あるお寺とか見て、懐かしいと思うだろうか、木製の北欧家具を好むひとは多いだろうが、懐かしいと思って買っているのだろうか。単純に人間の本能だというなら、人間の先祖のジャングルでの樹上生活や草原での狩りだって懐かしく思えそうだが、そんなひとってどれぐらい存在しているのだろう。
 古いから、より自然と調和しているからといって、そのままノスタルジーに結びつくわけではなさそうに思えるのだ。
 古さと自然以外になにが必要か。

 ノスタルジーを呼び起こすものに対するよくある指摘は、それは「古き良き時代の美化されたイメージ」であるということだ。
 単純な昔の記憶とかではなく、美化されたものである必要があるということだ。
 なるほど、「三丁目の夕日」にしたって、実際の昭和の時代を知っている人から、あんなに綺麗なもんじゃなかった、という批判はよく耳にする話だ。やっぱり昔の記憶を美化しているのである。
 美化された記憶。なるほど感覚的には分からないでもない。でも、それってどういうことだろう。なぜ美化された記憶からなるイメージに対して、人間は懐かしいと感じるのだろうか。
 ここは「コンテンツの秘密」で説明されているイケメン、美女論と同じ理屈が展開できるだろう。宮崎吾朗監督の指摘によるとイケメン、美女の顔とはもっとも特徴のない顔であり、それがゆえ、全部、同じになってしまうということである。そして「コンテンツの秘密」では、その理由を人間が人生の経験のなかで出会った顔の平均が、理想的な顔として脳のなかにイメージがつくられるからだという説明が与えられている。
 おそらくジブリ作品で描かれているノスタルジックな風景というのは、人間が人生のなかで出会って脳のなかにつくられた人間が生活する風景に関する平均的なイメージと共鳴していると解釈できるのではないだろうか。

 このモデルだと、ノスタルジーをかきたてる風景がなぜ見たことのないものなのか、なぜそれが美化されたものなのか、というふたつの疑問が同時に説明出来る。それは「コンテンツの秘密」でのイケメンや美女の説明とまったく同じである。いままで見てきたものの平均が脳のなかにモデルとしてつくられそれを美しいと感じる仕組みが脳のなかにあるからだと解釈できるのだ。
 ただ、見たことのない風景を人間が美しいと思う仕組みについては説明できても、なぜ、それがノスタルジーをかきたてるのか、なつかしいと思うかについては、まだ、ちゃんと説明できていない。
 このことについてさらに考察するにあたって、そもそもノスタルジーをかきたてる風景と共鳴する観客の心の中にあるモデルとはいったいどんな要素で構成されているかをあらためてはっきりさせる必要があるだろう。

 ジブリ作品や三丁目の夕日に対して、観客が本当はなににたいしてノスタルジーをかきたてられているのか、ひとつは美化されているイメージであるという指摘があった。
 じつは、もうひとつよく指摘されていることがあって、観客が反応しているのは風景ではなく、描かれている人間関係に対してではないかというものだ。人情の温かみ、優しさに全てが覆われている人間関係である。たとえ厳しい人がいたとしてもそのうらには絶対的な主人公に対する優しさが必ずある。そういった人間関係に対して、ノスタルジーを感じているというのだ。
 これは非常に説得力のある指摘だと思う。ただ、これも暖かい人間関係を描けば懐かしさを感じるかというと、例外のほうが多いように思うので、それだけで説明するのは難しいだろう。しかし、確かに重要な要素のひとつには違いないだろう。
 そうするとノスタルジーをかきおこす観客の心の中のイメージには美しい風景と暖かい人間関係というふたつの構成要素は少なくともあるということになる。
 そして暖かい人間関係というものも人生の中で経験した平均的な人間関係が理想の人間関係として人間の心の中につくられるという理解で大丈夫だろうか。本当か?性善説にたつなら一応、成立しそうな仮定ではある。

 美しい風景と暖かい人間関係。しかし、それでも、なつかしいという感覚はいったいなんだろう。経験してないものを懐かしく感じるのは、どこからもたらされる感覚なのだろうか。
 やはり素直に考えると「懐かしく」感じるということは、ぼくらは美しい風景と暖かい人間関係をやはり過去に経験していると考えるほかない。やはり美しい風景や暖かい人間関係はぼくらの原風景になっていなければいけないのだろう。
 しかし、世代の違い住む場所の違い、ジブリの場合は国籍の違いまでを乗り越えて、共通の原風景を与えるなんてことがどうして可能になるのだろうか。
 共通の原風景があるとしたら、それはいったいなんなのか。

 考えられる回答はひとつしかないように思う。
 美しい風景、暖かい人間関係、それはきっとまだ幼い自分が子供の視点から見た世界の姿なのだということだ。
 人間関係でいえば子供から見た大人の世界は実際よりも優しいものにうつるはずだ。大人は子供に優しくするものだし、子供は大人の隠れた悪意を理解しない。みんなの記憶で世界はもっと自分に優しかったのである。
 じゃあ、美しい風景とはなにか、それは子供から見た世界の風景である。重要なことは風景そのものがなつかしいかではなく、ありふれた風景が新鮮に見えるという感覚を再現できるかという点にある。
 これも「コンテンツの秘密」に書いてあることだが、ジブリのアニメの特徴は情報量の多さにある。映像を見て、観客が受け取る情報量が多いのだ。これはまだ世界のすべてが輝いて見える子供が見る世界の再現になっているのではないか。
 子供が見た世界の再現という観点から考えると、ぼくがもっともノスタルジーを感じるジブリアニメが天空の城ラピュタであることも説明がつく。主人公が男の子だから、もっともすんなり感情移入ができるということだろう。

 結論として、つまりジブリアニメが生み出すノスタルジーの源泉は子供から見た世界の見え方の再現を作品がおこなっているというのがぼくがたどり着いた答えになる。
 
 小さい頃を思い出して欲しい。まわりにうつるすべてのものはキラキラと輝いていて、すてきな秘密を隠しているように見えた。世界は美しかった。
 これからなにが起こるのか、きっと素敵な未来に違いない。自分はきっと愛されていて、まわりのひとたちは怖いときもあるけれど、みんないいひとだった。
 ぼくらにとって世界はもっと優しかった。


 
 
 

 
 



コメント

名無しさん
No.4 (2015/06/14 12:24)
たしかに東京のド真ん中で育ち、毎日ファミコンばかりやっていた私でも、
田舎のさびれたローカル線で、地味な女性中学生が文庫本を読んでる、
なんてシチュエーションに言い知れぬノスタルジーを感じますね。

ただここで思うのは、
人間がノスタルジーを感じた時の感情と、
理想的な環境に置かれた時の感情が、たまたま類似したものであるのではないか、
という可能性はないですかね?
理系的な考え方ですけど。
manjirou
No.6 (2015/07/08 09:01)
かわんごに
ぼくらにとって世界はもっと優しかったと書かれると
なんか無性に悲しくなる
ガタリ
No.7 (2016/02/18 22:11)
ノスタルジーって、べつに昔の風景以外でも感じるよね。
例えば、美しい未来都市を眺めるカップルの二次絵を見てもノスタルジーを感じる。
あと、私はノスタルジー系の絵を見てると不思議な多幸感に襲われるが、人によってはある種の恐怖を感じるらしい。

というわけで、私の仮説だけどノスタルジーの感覚というのは実は死への憧憬ではないかと思う。
人は「生きたい」という欲求と「死にたい」という欲求を同時に抱えているらしい。
この「死にたい」という欲求にある種の刺激を与えるのが『ノスタルジー』ではないかと推測してみる。
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