《アスカ・エンパイア》というVRMMOがある。
ソードアート・オンラインよりも少し後にサービスを開始した、和風のファンタジー世界を舞台としたタイトルであり、サービス開始以降、それなりに手堅くユーザー数を確保している。
侍や陰陽師が徒党(パーティー)を組んで妖怪退治をするゲーム――というのが当初のコンセプトだったはずだが、ザ・シードの拡散、VRMMOの世界的な拡大、数多あるタイトルとの差別化を進める過程で、その運営方針には少なからず変化が生まれた。
「……ザ・シードって、つまり誰でもVRゲームを作れるようになる便利ツールってことだよね? 私でもゲームが作れる感じ?」
女子高生の膝枕を堪能する合法ロリのOL、コヨミが発したそんな問いに、膝を提供中の戦巫女ナユタは、しばし回答に迷った。
現在のコヨミはカピバラのきぐるみに身を包んでいるが、ゲーム内でのその職業は忍(しのび)である。きぐるみは彼女にとってお気に入りのレア装備であり、VR空間ではあるが、リラックスできる部屋着に近い。
一方のナユタは紅袴に変形の白衣、耐電素材のインナーといういつもの姿だが、これはこれでそもそも動きやすさを重視した装備であり、それなりにはリラックスできている。
「ねーねー、なゆさん。なゆさんはザ・シード、使ったことあるんでしょ? どんな感じ? 私でも使えそう?」
「……そうですね……使おうと思えば……使え……るんじゃないでしょうか……?」
応じながらも、そんな疑問符を消せない。
彼女達がくつろぐ『探偵事務所』の家主が、事務仕事の傍ら、机から冷徹なツッコミを寄越した。
「すべてのツールは使う人間の技術次第だ。そして人間の技術は、当人の根気と努力と才能と知能によって磨かれるもので……要するに、飽きっぽい性分では何もできないという話になる。生真面目で勤勉なナユタならともかく、君があのツールを使いこなせるようになるとはどうしても思えない」
「あ?」
コヨミの口から少々ガラの悪い声が出たが、別に怒ってはいない。いつものじゃれ合いである。
「そいつは聞き捨てならないなー、探偵さん。コヨミちゃんの根気強さを知らないの? 私が飼ってたブラインシュリンプの3ヶ月にわたる飼育日記読む? テキストファイルで300KB超えてるよ?」
「…………微妙に現実味のある数字から深めの闇を感じるな……あまり他所(よそ)では吹聴(ふいちょう)しないように」
ワイシャツの首元にポーラータイを締め、上品なブラウンカラーのベストを着込んだ『探偵』は、わずかに肩を震わせながら机上のノートパソコンを閉じた。
このノートパソコンももちろん本物ではない。VR空間から使うための作業用端末を、利便性の観点からこの形状にしている。
雰囲気を重視するならタイプライター型だろうが、これは画面がないため作業効率が悪い。
ハードウェアの形状を用いない、中空に画面とキーボードがただ出てくるタイプのインターフェイスだと、このオフィスのレトロな雰囲気に対してサイバーすぎる。
実利と雰囲気作りのどちらを優先するかで迷った挙げ句、どっちつかずの中途半端な選択をするあたりに、この狐目の探偵『クレーヴェル』のバランス感覚と顔に似合わぬ適当さがにじみ出ていた。
――そう。
このクレーヴェルという青年は、いかにも神経質そうな優男ぶった顔をしておいて、意外とおおらかで適当なところがある。
ここ最近、現実世界において彼の部屋へと通い詰めているナユタは、そのことをよく理解していた。
だいたい一社会人にとってはどう考えてもリスク要因にしかならない「女子高生の来訪」などを安易に許容している時点で、彼の危機管理能力は二流以下である。
現在進行系でそこに付け込んでいるナユタが言えた義理ではないが、彼には危機意識がまるで足りていない。よく今まで無事でいられたものだとしみじみ思う。
年下の女子高生からそんな心配をされていることなど露ほども知らない顔で、クレーヴェルはコヨミをちらりと一瞥(いちべつ)した。
「ザ・シードというツールは、既存のゲーム製作ツールと比べれば格段に使いやすい上、その性能はまさに桁違い……もはやパンドラボックス、専門家ですら全容を把握できないレベルだ。だが、我々の大半は技術的な仕組みを知らずとも、車を運転できるし電子レンジも使える。VRMMOのフルダイブシステムも同様だ。結局、中身を知らなくても技術は使えるんだよ。その意味では、君でもザ・シードを使うことは可能だ。さて――コヨミ、君には何か、作りたいゲームがあるのかな?」
「んーーーー……ない!」
「よし。話は終わりだ」
結論は身も蓋もなかった。
探偵が席を立つ。本日の業務はそろそろ終了らしい。
彼はこの《アスカ・エンパイア》内で、「三ツ葉探偵事務所」という会社を経営している。
その実態はゲーム内の観光案内、及びゲームとのコラボ、提携を模索する各種企業向けのコンサルタントというもので、看板に偽りはあれどそこそこ忙しい。時にはゲームのエラーに関する調査業務までも舞い込む。
また、彼は現実社会でも『クローバーズ・ネットワークセキュリティ・コーポレーション』という会社の代表をしており、こちらでは主に企業相手のバーチャルオフィス提案と構築、さらには保守管理の代行などを行っている。
複数名の社員を雇う程度には繁盛しているため、社長たるクレーヴェルは安心してゲーム内で遊んでいる――わけではなく、彼はこの探偵事務所を自分好みのバーチャルオフィスに改造し、いつもここで仕事をしているというワーカホリックだった。
そしてナユタとコヨミは、暇があればこの仕事場に入り浸っている。
ログアウトしようとした探偵を、コヨミが呼び止めた。
「あ。待って待って! 今日金曜じゃん! 明日はお休みでしょ?」
「残念ながら、管理職は休日も働いていいことになっている。むしろ休日に働かせるために、安い給料で名ばかり管理職に据えるという地獄が蔓延(まんえん)した時代もあった。今でも稀に聞く話ではあるが、その意味で言うと我が社はなかなかブラックだと思う」
「社長の怠慢じゃん」
「耳が痛い」
社長はすなわちクレーヴェル本人のことであり、その本人に是正の意志がない。ならば周囲が圧力をかけるしかなく、ナユタはにっこりと微笑を湛え、クレーヴェルの逃げ道を塞いだ。
「この後、マヒロちゃんとも合流して、新規配信のクエストに挑戦する予定なんです。レアアイテムが欲しいので、探偵さんも一緒に来てください」
「……………………はい」
先日の『告白』以降、力関係が定まった。日々の餌付けも効いている。
ナユタも無理を言う気はないし、休める時には休ませたいのだが――最近の交流を経て、彼はそもそも「息抜きが下手」だという重要な事実に気づいてしまった。
新規のクエストはその息抜きとして格好の場であり、クレーヴェルもなんだかんだと言いつつ、その時間は仕事を忘れて楽しめている。
幸いにもアスカ・エンパイアでは現在、ユーザーが作成したシナリオを配信していく大規模イベント『百八の怪異』が進行中であり、新規のクエストには事欠かない。それぞれの出来不出来はあるが、製作者の熱意がダイレクトに反映されているゆえか、意外な掘り出し物もある。
「で、どのクエストに挑戦するのかな?」
クレーヴェルの問いに、コヨミがカピバラスーツの尻尾を振りながら応じる。
「えっとねー。『英国探偵奇談・まだらのねこ』っていうヤツ。だいたい2時間くらいで終わる短めのクエストで、戦闘要素はあんまりない推理モノだってさ」
探偵の目が一瞬、光を宿した。
「それはもしかして、シャーロック・ホームズのパロディか?」
推理物で『まだらの~』とくれば、真っ先に思い浮かぶのは『まだらのひも』である。
クレーヴェルが愛用しているインバネスコートと鹿撃ち帽は紛れもなくあの名探偵のコスプレであり、彼が興味を持つのは必然と言えた。
「時代考証はだいぶカオスになっていて、日本の妖怪なんかも普通に登場するようですが……舞台設定は一応、ロンドン近郊にある貴族のお屋敷らしいです」
「あー。ロンドンって言っても、漢字で『龍を呑む』って書いて龍呑市(ろんどんし)なんで、割とアスカ感はある……建物や装飾なんかは洋風ゴシックだけど、執事さんとか普通に狼男だし、展開次第で骸骨武者とか妖刀村正とか出てくるし――」
「ん? 君はもう挑戦済みなのか?」
「うん。2時間くらいでクリアできるって話だったけど、初回は五分で終わった。部屋のドア開けたらナイフが飛んできてぶっ刺さってゲームオーバー」
短めの沈黙が訪れた。
「…………………………クソゲーでは?」
「コヨミちゃんもそう思ったけど、攻略サイト覗いたら『様式美』なんだってさ。ミシシッピ川がどうとか、最初からやり直せるからなんとかなるとか……そういう突然死が多いクエストだから、デスペナルティもなし。普通に何回もリトライできるやつ」
「ミシシッピ川ってアメリカですよね? ホームズとは関係ないような……?」
「……急に嫌な予感がしてきた。やはり私はちょっと……」
探偵が怖気(おじけ)づいたところで、事務所の扉がノックの後に開いた。
「こんにちは! 遅くなってすみません。もう皆さんお揃いなんですね」
キラキラの笑顔を振りまく具足姿の少女は、兵法者のマヒロ――
現役小学生にして子役タレントとしても働く彼女は、貴重な余暇でこのゲームを純粋に楽しんでいる。
その笑顔を裏切れるような神経を、ナユタの知るクレーヴェルはもちろん持ち合わせていなかった。
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