西洋哲学史

第2回 古代西洋哲学史 ミレトス学派

2013/04/15 21:00 投稿

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 学生のための哲学史にはどれも、全てのものが水でできているといったタレスとともに哲学が始まった、と最初に述べられている。しかしながらタレスには、近代的な意味における哲学者というよりは科学者としてなのだが、敬意を抱く十分な理由があるのだ。

ミレトス

 タレスは、小アジアあるミレトスに生まれた人であった。ミレトスは繁栄している商業都市で、その人口の多くは奴隷であり、自由市民の間では貧しい人々と富裕な人々との間に、激しい階級闘争が行われていた。タレスの時代には、小アジアにおけるギリシャ人諸都市の大部分においては、同様な状態が広がっていた。

 ミレトスは、イオニアの他の商業都市と同じように、紀元前7、6世紀に重要な経済的、政治的発展を経過していた。最初は政治的権力が土地を所有する貴族階級に属していたが、それは次第に商人という富豪階級へ移っていった。次いでそれは、僭主というものに握られるに至るが、僭主が権力を獲得するのは、民主的な徒党の支持を通してであった。イオニアの海岸沿いにあるギリシャ諸都市の東方には、リュディア王国があったが、その王国はニネヴェが陥落するまでは、ギリシャの町々とは親交を結んでいた。またミレトスはエジプトとも重要な関係を持っていたが、エジプト王はギリシャ人の傭兵に依存していて、その若干の都市をギリシャとの貿易のために開いていたのである。

タレスの科学的知識

 タレスの生きていた年代に関しては、既に述べた通り、最良の証拠は、彼がある日食を予言したことが有名であった事実である。その日食は、天文学者の計算によれば、紀元前585年に起こったはずなのである。日食を予言したというのは、彼が異常な天才であったことの証明にはならない。ミレトスはリュディアと同盟していたし、リュディアはバビロニアと文化的諸関係を持っていて、バビロニアの天文学者たちは、日月食がほぼ19年を周期として起こることを発見していたのである。彼らは月食の方は、かなり完全に予測できたのだが、日食に関しては、それがある地方では見ることができても、他の場所では見れないという事実に阻まれていた。

 タレスはエジプトに旅したことがあり、その地から幾何学という科学を、ギリシャ人たちに持ち帰ったといわれている。幾何学についてエジプト人たちの知っていたことは、主として実用的なちょっとした諸規則だけであって、タレスが後代のギリシャ人たちが発見したような、演繹的証明というものに到達したと信じうる理由はない。しかし彼は、次のような方法を見出したようだ。すなわち海上の船までの距離を、陸地上の2点における観測から計算したり、ピラミッドの高さを、その影の長さから推定するという方法などである。

タレスの哲学

 アリストテレスによれば、タレスは次のように考えたという。すなわち水が、他の全てのものがそれから作られているところの根源的な実態である、と。したがってタレスは、地球が水の上に基礎を置いている、とも主張した。またアリストテレスは、タレスについて次のように書いている。タレスは、磁石が魂を持っている、なぜならそれは鉄を動かすからであるといい、さらに、全ての事物が神々に満ちている、とも言った、と。

 あらゆるものが水でできているという言明は、1つの科学的仮説と見なすべきで、決して愚かしい仮説ではない。ギリシャ人は様々な仮説を作るに当たって急性であったが、少なくともミレトス学派の人々は、自分たちの仮説を経験的に試すという慎重さがあった。彼については少ししか知られていないが、ミレトスにおける彼の後継者たちについては、ずっと多くのことが知られていて、その後継者たちの見解のいくばくかは、タレスに由来するものだと考えるのが合理的である。彼の唱えた科学も哲学も、ともに荒削りのものではあったが、それは思索と観察とを刺激するようなものではあったのだ。

アナクシマンドロスと彼の哲学

 アナクシマンドロスはミレトス学派の第2の哲人であるが、彼はタレスより遥かに興味がある。彼の生年は不確実だが、紀元前546年に64歳だったといわれている。全ての事物が単一の始原実態から派生する、と彼も主張したが、それはタレスの言ったような水ではなく、また我々の知っているほかのいかなる物質でもなかった。それは無限で永遠で、年齢のないものであり、あらゆる諸世界を包括するのだそうだ。諸世界といったのは、彼が我々の見る世界が、多くの世界の1つに過ぎないと考えたからである。始原的実態は、我々の熟知している様々な物質に変換され、またこれらの物質が相互に他のものに変換される、という。この点に関して、アナクシマンドロスは次のような重要で注目すべき発言をしている。

 事物は、自ら発生してきたところの元のものへ、もう1度帰ってゆくのが定めである。なぜならもろもろの事物は、自らの不正のために、時間の秩序付けに従って、相互に償いをして満足させあうからである。

 アナクシマンドロスが表現しようとしている思想は、次のようなものに見える。すなわち世界には火と土と水との一定量がなければならないのだが、各々の元素は常に、自らの勢力圏を拡張しようと試みる。しかしながら、常に均衡を回復させるところの1種の必然性、すなわち自然法則が存在して、たとえば火のあったところには灰、すなわち土ができる、というわけである。この正義の概念―つまり永久に定まった境界を侵さないという概念―は、ギリシャ人の最も深遠な信仰の1つであった。神々もまた、人間と同じように正義の掟に服させられるが、この至高の力それ自身は人格的ではなく、至高の神ではなかったのである。

 アナクシマンドロスは、始原的な実態が水でなく、また他のいかなる既知の元素でもあり得ない、ということを証明する議論を展開した。もし既知の元素の1つが始原的であれば、それは他の元素を征服するであろう、というのである。アリストテレスは、アナクシマンドロスが次のように言ったと述べている。すなわち、既知の諸元素は相互に対立していて、空気は冷たく、水は湿り気があり、火は熱い。したがって、これらの1つが無限であれば、残余のものは現在までに存在しなくなっているであろう、と。だから始原的実態は、この宇宙的な闘争にあって中立を保っているに違いないわけだ。

 また永久の運動というものがあって、その過程で諸世界の起源がもたらされた、と考えられた。すなわち諸世界は、ユダヤ人やキリスト教徒の神学に述べられるように創造されたのではなくて、進化してきたのだという。また動物界にも進化が考えられ、生物は湿り気のある元素から、それが太陽によって蒸発させられる間に、発生してきたという。人間は他の全ての動物と同じように、魚類を祖先とするのだが、人間が別種の動物から派生したに違いないのは、その長い幼少期からして、初めからそうであれば現在のように生き残ったはずがないからだ、というのである。

 アナクシマンドロスは、科学的好奇心に溢れた人であった。彼は地図を作った最初の人であるといわれているし、また地球が円筒のような形をしている、とも主張した。記録はまちまちなのだが、太陽は地球と同じ大きさだと言ったとか、地球の27倍の大きさだとか、28倍も大きいとか言った、などと伝えられている。

 彼が独創的な見解を示しているときには、常に彼は科学的であり合理主義的である。

アナクシメネスと彼の哲学

 ミレトスの3大哲人の最後の人であるアナクシメネスは、アナクシマンドロスとは全く同じほどには興味ある人物ではないが、若干の重要な進歩を成し遂げている。彼の生きていた時代は極めて不確かなのだが、アナクシマンドロスより後であることは確実で、紀元前494年以前に活躍したことも確かである。なぜならこの年に、イオニアの反乱を鎮圧していたペルシャ人たちによって、ミレトスも滅ぼされてしまったからである。

 アナクシメネスは、根本的な実態は空気であると言った。霊魂は空気であり、火は空気を希薄にしたものであり、空気は凝集するとまず水となり、次いでより凝集すると土になり、ついには石となるのだという。この理論は、異なれる物質間の全ての相違を、純然たる凝集の度合いというものによって量的にしてしまう長所を持っている。

 彼は地球の形を丸いテーブルのようなものだとし、空気があらゆる物を包括すると考えた。空気たる我々の霊魂が、我々をして緊密な交わりをさせるのと同じく、息と空気とは全世界を包括する。彼によれば、世界は呼吸しているかのようだ。

まとめ

 ミレトス学派は、その成果によってではなくて、成し遂げようと試みたことに関して重要性を持っている。その学派が創建されたのは、ギリシャ精神がバビロニアやエジプトと接触したからであった。ミレトスは裕福な商業都市であったが、そこで原始的な偏見や迷信が、多くの国民と交流することによって和らげられたのである。紀元前5世紀の始めに、ダリウスによって征服されてしまうまでは、イオニアがギリシャ世界における文化的に最重要の部分であった。ディオニュソスやオルフェウスに結び付けられている宗教的運動は、イオニアにほとんど及んでいなくて、その地の宗教はオリュンポスの神々に連なるものであったが、それも大真面目なものではなかったように思われる。タレス、アナクシマンドロス、アナクシメネスの様々な思弁は、科学的仮説と見なすべきものであって、擬人的に事物を見ようとする欲求や道徳的観念が不当に進入しているようなことはめったに見られないのである。彼らが提起した問題は良い問題であり、それに立ち向かった彼らの旺盛さは、次後の探求者たちに激励を与えるものであった。

 ギリシャ哲学における次の段階は、南イタリアの諸都市に関連を持ってくるのだが、それはより宗教的であり、ことによりオルフィック教的であり、ある面でより興味があり、またその成果には賞賛すべきものがあるが、その精神においては、ミレトスの哲学者たちほどには科学的ではなかった。

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