滅亡する民族の記憶について
――日本人の〝おぞましい〟固有信仰
――日本人の〝おぞましい〟固有信仰
▼〝世界政府〟否定の真意
前回vol.66で述べた検閲の問題で、柳田國男の文章が占領軍によってどのように改竄させられたかを示す有名な例が、『氏神と氏子』に関する検閲である。この本は1946年7月に靖国神社主催でおこなわれた連続講演をまとめたもので、翌1947年12月に『新国学談』の第三集として刊行された。その内容について江藤淳が「『氏神と氏子』の原型-占領軍の検閲と柳田国男-」で明らかにしたのは、元のテクストがそっくり差し替えられていることだった。
検閲はGHQ、G-2の一部局CCD(民間検閲支隊)が出版前の校正刷りの段階でおこなった。のちに『定本柳田國男集』に収録されるにあたっても『氏神と氏子』の元のテクストは復元されていない。今日一般に見ることができるのは、改竄されたあとのテクストである。江藤淳は、1947年11月に小山書店が発行した初版本の校正刷りと、定本に収録されたテクストを比較している。それによると、検閲前の柳田國男の文章は、かなり本音で明快な主張を貫いている。だが、削除後に差し替えられた文章は、遠まわしでわかりにくいものである。
前回述べたように、1950年刊行の『私の哲学』に収録されたインタビューで、柳田は〝世界政府〟を否定する発言をしていた。非常に迂遠な言い回しをしていたが、あのわかりにくさは『氏神と氏子』の改竄後の言い回しに似たところがある。ゆえに『私の哲学』のインタビューも、話し言葉ゆえの曖昧な表現というばかりではなく、検閲を経たものと思われる。だが、『氏神と氏子』と読み比べると、何が言いたかったのかが炙り出されてくる。
柳田は〝世界政府〟を否定する理由として、日本人という〝群〟は〝主権〟によって〝結合〟されると述べていた。主権がなければ結合できないというのだが、本当に言いたかったのは国家主権の問題ではなく、日本民族の特質に関わることだった。というのも、柳田は日本人の〝結合〟の由来について、『氏神と氏子』ではもっと明確に述べていたからである。そして、その部分がまさに検閲のターゲットとなり、削除を余儀なくされたのである。
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