血盟団事件と原子力利権
  ――〝雇われ愛国者〟たちの戦前と戦後


▼自民党の県議になったテロリスト

 戦前に電力会社が乗っ取られていたことを念頭に置いて、戦後の原子力政策の推移を見ると、奇怪な符合が浮かび上がる。日本の原子力発祥の地と言えば、茨城県東海村であり、それと並ぶ原子力ムラが同県大洗町だが、戦後にこの地域の原子力施設の建設をめぐる資金を動かしたのは、戦前に血盟団事件で団琢磨を暗殺したテロリスト・菱沼五郎である。

 一般に血盟団事件というのは、国家改造のために政財界の主要人物を襲ったテロ事件とされている。その動機は、特権階級のみが私腹を肥やす体制を否定するために政党政治家や財閥の首領を排除することにあったという。前回vol.52で述べたように、日本の政財界は関東大震災後の外債発行を通じてウォールストリートのモルガン商会と関係を深めていた。金解禁をめぐる政策においても、日本政府はウォールストリートの意向に沿って事を進めていた。

 この体制の打破を狙ったのが昭和初期のテロ事件ということになっている。だが、テロを起こした側もまた体制側から資金を得ていたという茶番的な背景がある。暗殺犯には憂国の心情があったとしても、その存在は本人も知らない間にウォールストリートが派遣した刺客に等しいものになっていた。とすれば、一連の事件の目的はどういうことになるか?

 血盟団事件で井上準之助を暗殺した小沼正にしても、団琢磨を暗殺した菱沼五郎にしても、単なる犯罪者として片付けられて、その後にどういう人生を歩んだかはほとんど知られていない。「そんなことは考えたこともない」という人もいるだろうし、「大臣とかを殺したなら死刑になったんじゃないの?」と思っている人もいるかもしれない。だが、小沼正も菱沼五郎も、1940年(昭和15年)の皇紀二千六百年祝典の恩赦で釈放されている。

 彼らは戦後も存命して新たな人生を歩んでいた。菱沼五郎に至っては、茨城県大洗町の小幡家の養子となって小幡五郎と名前を替え、自民党から選挙に出て当選し、茨城県の県議会議員になっている。後に議長になり、大洗町への原子力施設招致をめぐって、地元の漁業組合と自民党のパイプ役を務めた。1982年(昭和57年)には大洗町の名誉町民に選ばれている。