怪奇真夜通信Vol.14で「閉鎖されたおいらん渕」について話した。削除したのに残存していたVol.12は無事に消えたようである。したがって「Vol.12改訂版」のタイトルから「改訂版」の文字を消すことにした。
選挙が不正だという話を書いてくれと言われるが、その類いの話は2007年12月15日発行の『漫画実話ナックルズ』2月号に書いたことがある。「徹底告発!! 不正開票選挙の実態」というタイトルで、500票ずつ動かすやり方を漫画で図解し、現場の映像についても紹介した。これまでに開票所に行ったことのある人なら、多かれ少なかれ知っていることである。
他の雑誌ではできなかったし、テレビでもむろんできない。最初はやる気満々だったが、やっぱり無理という話になった。だから不正開票のビデオ映像は新宿ロフトプラスワンのイベントで流した。当然マスコミの人も事情は知っているし、野党の政治家も知っている。知っていて知らん顔もやむをえないと言うと語弊があるかもしれないが、それにも理由がある。
年配の人は知っていると思うが、選挙には昔からの慣習的なことがある。若い人は選挙を民主主義の根幹と信じて疑わないかもしれないが、実態は伝統芸能みたいなものである。儀式としてやっているにすぎない。だから初めて不正的な要素を知ってしまうと驚くかもしれないが、そもそもそういうものだという不文律を年寄りの行動から知るのもかつては青少年の通過儀礼だった。わかりやすいところだけ選挙違反で捕まえてアリバイにするのである。
果たしてそれでいいのかという議論はあり得るが、フィクションは常に現実より上位にあって、すべての現実をさらけ出した世界というのはどこにもない。民主主義というのがはなからフィクションなのだから、そのなかで絵図面を書くしかないという発想からすべては出発している。だから知っていても黙っているという状況も許容されているのである。
年配の人は知っていると思うが、選挙には昔からの慣習的なことがある。若い人は選挙を民主主義の根幹と信じて疑わないかもしれないが、実態は伝統芸能みたいなものである。儀式としてやっているにすぎない。だから初めて不正的な要素を知ってしまうと驚くかもしれないが、そもそもそういうものだという不文律を年寄りの行動から知るのもかつては青少年の通過儀礼だった。わかりやすいところだけ選挙違反で捕まえてアリバイにするのである。
果たしてそれでいいのかという議論はあり得るが、フィクションは常に現実より上位にあって、すべての現実をさらけ出した世界というのはどこにもない。民主主義というのがはなからフィクションなのだから、そのなかで絵図面を書くしかないという発想からすべては出発している。だから知っていても黙っているという状況も許容されているのである。
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