●怪談の闇を見るの巻
[孝明天皇の亡霊と原子爆弾① ~天皇と原発 その秘密⑤]
明治天皇をめぐる物語が、単なるすりかえ説を経て、さらに改定される動きがあることを本ブロマガVol.7で述べた。その背景には〝雲の上〟の世界での皇統利権争奪をめぐる暗闘があるのだが、彼らの思考回路は一貫して〝作り物語〟をバックボーンとしている。荒唐無稽であれ何であれ、彼らが信じる〝物語〟が歴史を規定する。
日本の支配層は建国当初から〝物語〟によるアイデンティティ支配を旨としてきた。多民族支配のいきさつとその暗部は建国神話のなかに隠された。百済系支配層の価値観を正史とする欺瞞をガス抜きする装置として新羅系異本である『古事記』の存在を許容した。抹殺された帝王系図の怨念は、歴代の朝廷文化人が『源氏物語』を珍重することで慰撫してきた。
明治維新も同様である。これまでは維新の功労者を正義のヒーローとして描く物語を流布することで、新政府が単なるクーデター政権にすぎないことを隠してきた。山岡荘八が描く幕末物語は、国民文学の体裁を取りながらも、真実のヒントを潜ませる工夫が施されている。が、司馬遼太郎はまったく支配層の意にかなう優れた物語の作り手として君臨した。
しかし、明治維新の暗部を完全に隠そうとしたとき、どうしても汚点になるのが孝明天皇暗殺説だった。戦後にこの説がクローズ・アップされて以来、アカデミズムの学者の間でこの問題は厄介なテーマであり続けた。決定的な証拠はないものの、問題を真摯に見つめる限り、状況証拠は天皇謀殺の蓋然性を決して低めることがなかったからだ。
必然的にこの問題は、学者の良心を問う上での試金石となった。たとえば、どのみち実証できないことなのに、天皇は暗殺されていないことを実証したと臆面もなく主張する学者がいる。そして、従来孝明天皇の不審な死に方を認めていた学者が、なぜか不可解な転向を見せて、謀殺説を否定する側に回るという姿も見られる。この問題をめぐる一部の歴史学者の態度というのは、かなりみっともないことになっている。
問題の性質からして、謀殺の証拠となる新資料でも出てこないかぎり、歴史学者の手には余ることである。土葬された孝明天皇の玉体を調べることも現状では不可能だろう。そこで〝物語〟が必要になる。近年、新たな話の作り手として現れた落合莞爾氏が〝孝明天皇生存説〟というストーリーを出してきた。その企みについてVol.7で述べたわけだが、読者はこれが「天皇と原発」というテーマと関係あるのかと疑問に思うことだろう。もちろん関係あるから書いている。
まずは前提となる話をする。
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