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「万引きで日本一になる!」Youtuberの19歳の少年について

2015/01/18 00:06 投稿

コメント:2

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「万引き日本一になる」と壮語して、逃げ回っている19歳の少年について、今僕が書きたいことは、すでに90年代(ちょうどサカキバラ事件の頃)に社会学者の宮台真司さんがあますところなく語りつくしている。

つまり、今回の事件も、90年代の頃から起こっていた「少年犯罪」現象の「反復」に過ぎず、そこに新しい「発見」など有り得ない。

宮台真司さんも、呆れて、何も言いたくなっているのではないのか。

分析すれば、以下の通りである。

つまり、自分は「世界」の「片隅」にいて、誰も承認してくれない(自分の存在を認めてくれない)、よって、他者の承認欲しさに、「世界」が内在的に抱いている「欲望」(役割)に「過剰同調」する、という図式である。

もちろん、インターネット社会が、その「過剰同調」を増長させている点は、言うまでもない。

バカな言い方をすれば、「かまってちゃん」でしかない。

ここで気をつけなければいけない点がある。

それは、19歳の少年は「世界」に「反抗」しているように見えて、その実、「世界」が内在的に求めている「欲望」(役割)に過剰に「同調」しているに過ぎない、という点である。

自分が「世界」を操ろうとして行っている行為が、実は、「世界」から単に操られていただけ、という「倒錯」(勘違い)がそこに見られる。

以前、僕は「平凡」の対義概念は「非凡」ではない、といった。

それは、「平凡」と「非凡」の二項対立自体が、そもそも「平凡」だからである。

その二項対立の中で、「僕は特別な人間だ!」と叫んでも、あるいは逆に、「僕はつまらない人間だ」と呟いても、同じく「平凡」という評価に回収されてしまう。

この二項対立に疑いを抱かないものは、「平凡」でも「非凡」でもなく、「魯鈍」である。

言い換えれば、今回の19歳の少年は「魯鈍」である。

この「魯鈍」という観念も、行き過ぎると、「哀れ」に見えてくる。

結論としては、この19歳の少年は、自分が「哀れ」な存在として見られているのにも気づかないほど、「哀れ」な存在である、と言わざるを得ない。

しかし、自分は「世界」の「片隅」にいて、誰も承認してくれない(自分の存在を認めてくれない)、よって、他者の承認欲しさに、「世界」が内在的に抱いている「欲望」(役割)に「過剰同調」する、という図式は、何も、19歳の少年にだけ、当てはまるものではない。

Youtuber(そういえばテレビにシバターが出ていた)や、ニコニコ動画の生主(同じテレビにNERも出ていた)や、もちろん僕自身にも、共通している傾向であり、この問題は、他人事ではないのである。

最後に、れいの90年代の宮台真司さんの「少年犯罪」に対する論旨がわかる、動画を置いておく。



コメント

suteadd
No.2 (2015/01/21 21:52)
Youtubeで自分のBlogを宣伝している人がいるから来てみたら何だこりゃ(笑)
宮台真司の名前を出したら社会学的分析なんですかね・・・? そのわりに宮台の理論をまったく引用していないのは何故でしょう。「すでに~語りつくしている」という書き出しからして説得力が無い。

承認の欲求というだけなら心理学の領域でマズローが人間の欲求として挙げたのが最初でしょうし、過剰同調というのも精神医学っぽいワードですね(もしくは心理学や社会学に限らず、よく出てくるワード?)
あまりに「社会学的」「分析」の要素が皆無なので思わずコメントしてしまいました。(社会学部卒・29歳)
バグマン
No.3 (2015/02/03 14:09)
>>2
自分はこの文章に共感したので一応反論しておきます。
宮台さんの理論の引用がないとのことですが、この文章のほとんどが宮台さんの議論の要約です。そのフレームを使ってこの事件を分析しているわけです。ともなりさんのオリジナルの部分は「平凡」と「魯鈍」についての考察です。
また、90年代以降の若者を扱った社会学の多くは「成熟社会における若者の承認不足」の問題を扱っています。この文章においても同様です。そもそもマズローが論じ始めたことかもしれませんが、それとはかなり文脈がちがいます。
それから「過剰同調」は用語ではなく、「過剰に同調している」の省略ではないかと思われます。

この文章が社会学的に見えないのは、宮台さんの問題意識に原因があるでしょう。宮台さんは「成熟社会化に伴う共... 全文表示
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