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短編小説『いまはまだねむるこどもに』あとがき

2016/04/16 09:20 投稿

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これは、「あとがき」というよりも、「懺悔」に近い文章になるかもしれない。


理由は、以下を読めば分かるであろう。


この『いまはまだねむるこどもに』という短編小説は、「ある長編小説」執筆の際に、片手間として「息抜き」として執筆していた「気軽な小曲」であった。


しかし、もうこの時点で、僕には「打算的」な思惑があった、と言わざるを得ない。


まず、4月から始まるとされていた『電力自由化』をテーマにすることで、つまり、「時局」に「便乗」することで、「時局の最先端を描いている小説だよ!」という触れ込みで、プロップス(評価)を得られるのではないか、という浅薄な考えが、最初の「打算」である。

次に、その頃ちょうど、CMなどで『Happybacktowork』という「働くママ」を応援する風潮があった。『いまはまだねむるこどもに』は、ちょうど「復職も含む夫婦の問題」をも含んでいたので、これにも「便乗」し、わざわざ『Happybacktowork』の「officialサイト」まで出向き、「アイデア」の一つとしてこの小説を喧伝した。


ここまでは、笑って済ませられる。
だが、それ以降は、今思えば、笑って済ませられない。


このたった7ページあまりの小説を一言でまとめれば、『長男の死産をめぐる夫婦の新生』(ゆえに、タイトルも『いまはまだねむるこどもに』なのである)と言えるだろう。

そこに、「今まで公表されていなかったが、風見しんごさんの長男さんが死産なさっていた」という「ニュース」が、入ってきた。

当時の無神経な僕は、

「このニュースを『利用』せずにどうする」

と思い、この風見しんごさんの「ニュース」も利用した。
実態をはっきり言えば、風見しんごさんの事務所(アメブロのコメント経由にて)へ、「この小説で風見しんごさんの傷が少しでも癒されれば・・・」云々というウソの同情たっぷりのコメントと共に、この小説を喧伝した。

まことに「恥知らずの極み」である。


――そこにきて、今回の「熊本地震」である。


確かに作中、「計画停電」という設定が出てきて、「ライフラインの欠如」という側面では、この小説と時局の「熊本地震」は「類似性」を持っていたが、・・・話ここに至って、さすがにこの「ニュース」を「利用」するのは、あまりにも下劣な気がした。

と同時に、このときはじめて、これまでの僕のこの小説における「宣伝行為」のすべてが余りにも下劣に思えてきて、あるいは、これまでの僕の言動がすべて「自分へ無言の監視」として「四方八方」から返ってきた「圧迫感」も手伝って、のさすがの鉄面皮の僕も、筆も何もかも投げ捨て、その「恥知らずさ」に、両手で顔を覆わざるを得なくなったのである。

ゆえに、【4月限定】と銘打っていたが、4月15日をもって、この小説の宣伝をすべて「打ち切る」ことをTwitterにて、宣言した。

――特定の誰かに謝るわけではないが、・・・・・・申し訳ありませんでした。

(了)

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