マオ@の自然原石割のような麻雀ブロマガ

紺野あさ美というレアケースから見た岡女SPからの一般人のアイドルへの関心の入り口と中間者としての2007年のニコニコ動画youtubeへの進出と移行、紺野あさ美と某知さんと2017年指原の比較

2017/09/03 11:39 投稿

  • タグ:
  • テレビ
  • 紺野あさ美
  • 指原莉乃
  • モーニング娘。
  • ニコニコ動画
  • テレビとインターネット
解説とおぼろげな知識
 これは20006~2007年にもうこれ以上。のスズキさんに私はたぶんこれ以上テレビを見なくなるのかもしれないと思い、感想文としてハンドルネーム代打町田としてあげたものです。そのため私からみたインターネットの知識が入っているためふつうのかたから見たら理解できなくて当たり前のモノです。ですがなんとなく思ったことがあったためにあげてみます。

 まずモーニング娘。というものに興味をもつルートとしてアサヤンから、うたばんから、片岡飛鳥監督の岡女シリーズ(特にテスト版)このどれからか入っていって私の私見ですがある時期からモーオタというジャンルができてインターネットに発生したと考えています。

 その例が岡女テスト版からできた詳細な解説でした。
特に優れていた場面は例として飯田さん(ジョンソン)のテストに呼ばれた時の私服からオタク100%カットの近寄りがたいキツイサングラスをかけていたとという、今となってはネタになっている等、面白成分があるので本編を見るなりオタクサイトを探すなりどうぞ。

 そして岡女を始めとするモーニング娘。(特に四期五期まで)というものを理解しようとした死海文書というものまでオタク達は編み出していました。その流派が二つ以上あって(まとめた物は)一般サイトにあって、一つはガチのオタクがつったもの、他は笑い、プロレス、シューター、花くまゆうさく先生などハロープロジェクト以外の文化的方面も見ながら、写真集も買うしコンサートに行くという方々が作られた物でした。一部の知識を某掲示板に頼りつつも、どのあたりが話が通じるかを探りつつも、面白さを伝えていった方々でした。
 またその方々の副産物としてマジカル美勇伝解説、ゴロッキーズ解説、ハローモーニングの前回のデータベース化
(以降ゴットタン?に続く)としてありました。
私の東北勢としてはどれも深夜番組でありマイナーですが、前者一つはネットを介して流通があったためにみれました。
昔の話で申し訳有りませんが。
 感想文内で出ててきた小説という物は、その数年前に某掲示板のミラーサイトで知ったバトルロイヤルのパロディ、ハロプロメンバーの知さんがアパートの管理人になり石川さんが住人の一人で部屋中をピンクに塗り、もう一人の住人に紺野さんがいて、アニ○メイトからスレ○ヤーズの等身大パネルを無理矢理持ってきたという設定から紺野あさ美のギミックとして本文に上げてみました。

 またそういったパソコンからのスパークから、それを三次元にあげようという動きが、良い動きとしてあがっていたものてしては安倍なつみさんの卒業コンサートのサイリウム活動、良くも悪くもの加護さんファンからオタク用語DDになった某拳銃さんのハローオフィシャルのカレー日帰り旅行の一連の動きとDDからの撤退のホームビデオ活動などに表れていました。あとに書く予定でしたが、あの年代はアイドルマスター開発チームの方々と被るのですが、ある年を越えるとスパーク(発散)したい要素がでる歳になるのでしょうか?

・私のスタンスはどこにあるのか?と感想文のその後。
オタクは基本的にその対象について前方位をカバーしているからオタクであり、上にあげた方々は、ある対象についてテレビ、ラジオ、コンサート、CD、写真集全て把握しているからオタクまたはファンといえる。
 オタクという物は怖いもので、全てを把握といないと不安になる。またその存在とコミュニティに依存んする傾向がある。他排的な傾向は現代の問題であるが、ある思考レベルがあるとするなら、そのレベルごとに集まるのは妥当であり、そのレベルと個人と興味対象が散布図のように集まるのは妥当な判断だと勝手に思っている。
(またその思考能力を整理したり、レベルを上げるという行為もファンの視点の活動としてあったのが、例にあげた一般人にも通じる岡女解説というものだった。)
 だがそれのコミュニュティに依存しないものが現れたのが元祖はどーんとやっとみようでありつつも、流れとしてモーニング娘。、20008年以降のニコニコ動画というものである。 特にパン○ツレスリングというジャンルはその傾向が強いつつも、無料で各ユーザーが勝手にアップするというジャンルから、作り手というどっぷり依存する方、見てギャグとして笑うという依存しないつつも定期的にななんとなくみたいというかなりいい加減な見る側ができたのが私のニコニコ登録のベースである。そのためにテレビを見ない者として、ももクロZ、AKB48を知らないが見識のあるテレビから見たら謎の人たちとして登場したのである。youtuberはこれに属するのかはかなり謎だが。そのために存在を否定されたケースもある。それがテレビでのやりとりである。例は指原~アンダー24の感覚~を見てもらえばわかるし、実際にテレビをつければ昔と違いテレビののタレントにかなり反応を要求し、その反応応答内容を楽しむ大喜利的な箇所が多く見られるためにそうするといいと思う。
 そしてその事実から、実際にはテレビという知的レベルをもったコミュニティとしてみるとわかるが、私は2006年まではカバーして依存していたつもりだった。だが今の2017年のテレビという依存先には拒否反応が出るようになってしまった。
 それはテレビという共通のモノが誰のためのモノかが説明できるも、特定ができなくなってしまったからだ。コミュニティとして、この番組はこの方のためのモノ、違う番組はこの方のモノとして確定してしまったのである。例をあげるなら白い巨塔のようにすべての世代が共有するなにかをもった番組がなくなってしまった。後から知ったのだが双葉チャンネルという掲示板で放送開始時間に総回診を二次元のキャラがするという画像が、放送の回を伸ばすたびに増えていくというネット民とテレビの視聴者のリンクこれらは電車男まで続いていたように感じる。

・ダウンロード規制法
テレビとネットは繋がった。だがその一方で作り手はこまったのかもしれない。youtubeである。あれらには規制がかからなかったために放送後に番組がアップされた。三次元の健康番組ならと思うが、それがアイドル番組、二次元のアニメなどもながれた。海外のアニファン、アイドル番組を思考力の強化のものと捉えれば良いこととまたは手元に残しておきたいDVDの購入するものと考えれたのかもしれないが、放送後に自由にみられるはテレビの視聴率をさげ、スポンサー収益を減らした。その悪循環は続き、もともとインターネットのコミュニティ(オタク)というものは思考力の増加のために存在しているいう観点から、または対象を研究としてみる、話をする同じ土俵に立つための昔の番組を見なくては共有しなくてはいけなくて、テレビを直接見る時間が減り、テレビ局のスポンサー収益を減らすというスパイラルになった。

そういったことから、インターネットもテレビも視聴者を教育する無意識の格差が生まれたといえる。

その流れからできたのがニコニコ動画の純粋に日本と離れた2.5次元文化の襲われることのない平和国の笑いやギャグのレスリングの動画集、または、ほぼ知識を新規に取り入れた二次元のアイドルマスター勢。私はこれらに流れた。

ちなみに知っている限りでは、ニコニコ動画では流れとては初音ミクはじめのボーカロイド勢、ニコニコにて顔出しをおこなうチームニコニコ勢、カンちゃんさん始めとする料理タグ、ロードバイク、自動車車載カメラ旅行、ゲーム実況などに分かれた。

ニコニコ動画、場合によってはyoutubeはインターネットというオタクのジャンルに踏み込みつつも、思考の上昇を狙わないテレビの眺め手の中間の一般人(私のようなもの)にウケた。

だがお金を出すのはテレビのコミュニティ視聴者ではなく、テレビとインターネットの中間モノではなく、オタクのものになった。

テレビは公共の放送として思考レベルを上げないといけないという観点とインターネットのオタク、テレビをただのおもしろいものととらえただ眺めている人、誰のためのものにする必要があった。

テレビを見続けていればわかる思考レベルの話かもしれないのたが、テレビ離れの防止が「意味をみつける」というものかもしれない。それがテレビの答え。

一方でオタクの意味を見いだすネット民、もしくはドラマを1話2話みただけでストーリーがわかる百見さんの女性たちのテレビと違う思考の高さの話。

そして私や中間者だが、テレビの「意味をみつける」ということの理由と、道徳にテレビが無理矢理くっつけているということが気色が合わないという見方が最近も多い。そもそも興味がないから、視聴かお金を出さないから意見が通らない。

今、CSでは過激な性を伴った風俗の内容の番組が行われていると聞く。それが面白いかは見たことがないからわからないけど、違う気がする。もともと、素人がたまたまの面白リアクションを楽しむというゆるいギャグからアイドルタレントの肯定という過程を踏んでいた自分にとってはまさにCSは合わない。

これは現在を確認するための論文形式のモノとして書いています。ですので主張は行いません。

(だから、ただおもしろいから行うという番組があってもいいんじゃないかと最近思うんだが‥。テレビのタレントの応答を見ていると壁を感じてしまう。じゃあテレビを見ると道徳の話がでてきてつまらない。そんなことを感じる大学生から40代は多いのではないかと思う。実際にその年代は働き盛りだからテレビを見ないからという理由かもしれないが。)

・2017年からみた代打町田の感想文の価値と指原の比較
代打町田の感想文は、紺野あさ美の評価です。アイドルのファンの行動の過激さをギャグと捉え、その一方でインターネットを徘徊した私含めての見るだけの中間者の知識の固まりであるといえます。

一方現代のAKBトップに立つ指原は紺野の空想というジャンルを否定ししています。実際に紺野と指原の言葉による直接的発言の流通量を比べると明らかです。すぐに新聞のトップにでますから。そしてそこにはAKBを「会いに行けるアイドル」というコンセプトから実際に合うという空想or二次元創作否定派と、紺野に見られた空想二次創作肯定派という部類に分けられます。

AKBにのめりこむ方々をヲタクと対象にとってみると、彼らが彼らである理由を見つけようとするとそこには「時間的犠牲と金銭の犠牲」というものがでます。そしてそこから得られる知識は、インターネットや三次元のコミュニティからある程度整理され、握手会に行くというアイドルに直接会うということで存在を獲得するというものです。

紺野のファンもしくは友好的に思っている方々の視点は(まあ私なのですが)かなり「時間的犠牲と金銭の犠牲」を支払っていません。そしてのめり込む方々と違い確定を求めず、知識は面白かった部分だけでいいやというかなり無責任な立場です。

・AKBはどこに行こうとしているのか?
上の空想or二次元創作否定派の説明からAKBはヲタクのための限られた知的コミュニティとして成長してきました。しかし一方では開拓しなくては大きなな経営団体として維持していかなくてはいけないという矛盾になっています。
その矛盾がヲタクに跳ね返らなければいいのですが、知識の有無と思考レベルの高低はかならず比例するというわけではなく、また比例をある程度教育や修正をするのが役割と考え、それを実行する場所としてのAKBなら良いのですが、もし知的コミュニティとして外れてしまった、または騒ぐための新しい過激なな組織としてでてしまった場合を考えると、倫理的にまずいのです。例としてヲタ芸をするからコミュニティに参加しているという一般から離れた行為、メディアを見て人物を荒削りにしつつも固めていくという一般に見えない行為どちらも行えてヲタクといえるはずなのです。そしてそういう行為のアイドル側からみたらの誠実さを表すのが総選挙なるものなのでした。それがテレビにでるということは良いことかはわかりませんが、インターネットのヲタクのコミュニティと中間者とテレビの視聴者を結ぶための必要なものと(私としてはいらないと思いますが)発生しました。私はヲタクではないのでこれの仮定は失礼と思い、AKBについてはあとは黙ります。

・指原のブレ。
この話をするためには、矢口真里の現在の存在の価値を話をしければなりません。が私はできません。ヲタクではないので。
しかし指原は本能的もしくは商業的に第二の矢口真里になることを否定しようとしているようにみえます。
矢口さんの筋の通った人物像というのはネットで探せば出てきます。実際に悩んた方のようなので。ヲタクの研究対象になった方です。また矢口さんという常識人がいたことでネット小説という文化がかなり発達したという(私見ですが)事実があります。
 指原のヲタクの文化圏には未だにネット小説があるかは興味がないので調べません。ネット小説や仮想の話はその話が出る前の心の準備のための防波堤の網みたいなものですので今となっては有るかないか意味がないので。
 しかし指原のブレにはかなり疑問があります。本人が自分を捉えてほしい人物像というものがあるなら、出演するテレビ番組を選ぶこともできるはずですし、ネットのトピックスで知ったアダルトな作品に出た先輩のクチパクをするのかが謎であり、不倫を数多くした芸能人を「あの人、頭おかしい」と話の流れを把握していないと誤解を与えるがキャッチーな点。また、そもそもVS嵐に出た際の例の発言も指原自体が考えたのか謎なのです。テレビって脚本家が書いてそれを主軸に場合によっては通りにスピークさせるところがあるので。矢口さんと指原の類似点はそれで、アトラクションと話の言い方の違いがひっくり返っている点。その指原、矢口さんの逆の、紺野に見られた空想二次創作肯定派というお金を落とさない中間者というヲタ的行為をしない視聴者が変わった意味で文化の強化という価値を出したらという、もしモーニング娘。のネット文化がまだ存在してたら、今のAKBは叩きのめされるのかされないのか、戦争になるのではないかと思えるのです。
 モーニング娘。の積み上げた人物像の確定の話がログとしては残っているけれども、誰も発掘しないし価値がない。まぁだから論争にならないのですが。アイドルの写真に写っているというだけで、満足しているのは文化としていいのかなぁと思うのです。

以上、2000年2007年2017年各時代のテレビとネットの中間者としての知識、2007年の文化の発達と目指したものの解説、2017年アイドルから離れた者の思うことと現代の総選挙という謎の存在の肯定理由とアイドル環境とその振り返り。そのまとめを終わりたいと思います。ここまでごらんいただきありがとうございました。

一応おわり。


コメント

コメントはまだありません
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事