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割崩しの果てに……投稿//そして後継者信行(信勝)説

2018/03/23 20:58 投稿

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  • うっかり戦国時代

2018年1月1日にブロマガを開設して以来、はじめて動画の投稿をご報告できます。
長かった……。

内情を申せば、架空戦記紹介動画のほうが2作品ほど停滞しておりまして、こちらの戦国転生もの紹介も別作品の準備が遅々として進まず、ふと思い立って本作に手を出してみると、わずか二日で造り上げることができました。

いろいろ、手抜きのそしりは免れない部分もありますが、現状ではこれが精一杯かも知れません。


実は、動画内ではわたし自身の主張が前に出てしまうので触れませんでしたが、前々から「実は織田家の後継者は信長ではなく信行(信勝)だったのではないか!? という疑問がありまして、いつか動画で紹介できればいいな、と思っていたりします。

・信長が幼少期のうちに他の城を任される体で外に出された一方、信勝は父・信秀の元で育てられた。「帝王学を学ばせるため」と説明されるが、信秀は、身内を支城の城主にすることで支配権を拡げてきた男であり、その意味では信長も駒の一つに使われていると言える。

・信勝付の家臣からは柴田勝家や林秀貞といった信長の覇業を支えた有能な人材が出たが、信長の幼少期を支えた人材は「全国区」になれないまま消えている。

・信長が信秀の葬儀の際に遅れてやってきて位牌に抹香を投げつけた話は有名であるが、その葬儀の「喪主」は誰だったのか? 信長がいなくても滞りなく進んでいるのは、喪主が信勝だったからでは?

・「信長公記」では、桶狭間の合戦が史実より前倒しされ、信勝の誅殺より前の出来事に仕立てられている。信長が、信勝を誅殺するまでもなく桶狭間の戦いを演出できるような「尾張の主」であると印象づけるようにしたかった?

等々。疑い出すといろいろと気になる部分があるのです。
おそらく、わたしのオリジナルのアイデアではないと思いますが……。

まあ、そんな縁もあって織田信行(信勝)が取り上げられると何かと気になるため、今回紹介した次第です。

なので、こちらもいつまでも続きを待っております。

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