このシリーズでは、“マネジメントは人間力だ”と題して、ループス・コミュニケーションズ代表の斉藤徹と浅井氏の対談を連載でお届けする。
マネジメントは人間力だ <前編>
高度なスキルなんて要らない。必要なのは「人間らしさ」
斉藤:浅井さんとは最近コンサルティングなどいろいろとご一緒させていただいて、ループスのアドバイザーもしていただいていますし、非常に濃いお付き合いなんですけど、実は初めてお会いしたのはまだほんの1年前くらいなんですよね。
会場に入ったら何やら女性に囲まれている人がいて(笑)、誰なんだろうこの人は、とその時はスルーしたんですけど、それが浅井さんでした。幸せな働きかたや人の幸福度を模索することをテーマにしたイベント(注:2013年2月10日に実施された「ハピネスサミット」)で、僕も浅井さんもゲストスピーカーとして参加していたんですよね。初対面でビビビっと来ましたね。
浅井:うん、来たね(笑)。
斉藤:僕はどちらかというとコンセプチュアルな話をして、浅井さんはJTという古い体質の組織の中でご自身が実践してきたマネジメントを……。
浅井:上意下達のヒエラルヒー構造、支配統制で人を動かす風土ですね。今はもうJTも変わりましたけどね。
斉藤:そういった旧体質の中で浅井さんは極めて独自のやり方で、仲間を幸せにし、同時に彼らが突出した営業成績を収めた。その経験をお話しになりましたね。幸せと成果の両立を果たした、すごくレアなケースだと思います。
浅井:今、斉藤さんは図らずも「極めて独自の」という表現をされましたけれど、私がやったのは決して新しいことじゃないんです。そのときの斉藤さんのプレゼンテーションの中にもあった「三方良し」とか、お互いが協力しあって「Win-Win」の関係を築いていくとか、本来は人間関係において当たり前なはずの意識が、変質しているな、失われているなと感じていました。
そこで、人と人が協力体制を築くうえで一番ベーシックな価値観、モノの考え方、人間の本質ってどういうことなのか、私はそれだけを考え、忠実に向き合ってきた。オーソドックスな本来あるべき姿を愚直に追求したに過ぎません。レアなケースだったのかもしれないけれど、人類の長い歴史から見れば、極めて純粋な当たり前のことなんです。
斉藤:リーダーシップの原点ですね。確かにそのようなマネジメントスタイルは、はるか昔から存在しているものです。ただそれは統制型のリーダーシップに比べると、人間力を必要とする高度なリーダーシップなので、誰にでもできるものではありません。だからこそJTにおいても浅井さんが稀な存在で、注目されたのだと思いますが。
人間力が要求される高度なリーダーシップは、従来なら限られた人の役目だった。ところがそれでは済まなくなってきた。透明な時代・共感の時代になって、ブラック企業みたいなものの本性はすぐに露呈されてしまう。働く人たちの感情や意見もそう。従来なら気持ちのわだかまりを表に出すことなく、我慢して仕事をしていた。今はそれが、心の奥底に留まることなく外に出てしまう。浅井さんが実践されていたことを、みんながしないといけない時代になってきたと思うんです。
浅井:いや、高度な人間力などなくてもいいんです。必要なのは、誰もが本来持っているはずの、内在しているはずの「人間らしさ」だから。新たに何かを修得する必要などなくて、本来の状態に戻ればいいだけのこと。でも失われた状態が当たり前になっていると、どうしたら戻せるのかわからない。
ですから、まずしなければいけないのは、誰にでも普通に素直に備わっているはずのものがなぜここまで変質してしまったのか、変容させた原因はなんなのかを突き止めること、客観的に把握することなんですよ。
斉藤:ビジネスの観点からいうと大きな転機は、大量生産・大量販売を実現した「科学的管理法」でしょう。フォードが流れ作業の工場を作ったのが1913年、ちょうど100年前。そこで要求されたのは、人間が機械になることでした。心のない機械になって、とにかく効率を追求する。
浅井:チャップリンの「モダン・タイムス」の世界だね。人間が歯車のひとつになっちゃうという。
斉藤:科学的管理法というマネジメントスタイルは生産性を飛躍的に上げ、最大で5倍近い製造効率を打ち出しました。そこからマネジメントの基本的な考え方が体系化していって、その流れを加速したの「戦略経営」です。マイケル・ポーターが「競争の戦略」を書き、ジャック・ウェルチがGEでクールな経営をして、やがて現代版科学的管理法が確立した。会社の門を一歩くぐると、「ここは仕事場です。ビジネスをするところですよ。利益を上げるところですよ。目的を達成することだけを考えて行動しなさい」とアタマの切り替えを迫られる。社会規範に対する市場規範ですね。
そういう考え方は今の時代に不向きだし、浅井さんのおっしゃる「人間らしさ」とは乖離した手法と言わざるをえない。でも多くの組織でそのマネジメントスタイルがとられている。
事実に当たらなかったらなにもわからない
浅井:私は41歳から経営アカデミーというビジネススクールで、多数の企業のミドルマネージャーを指導してきました。彼らと接する中で、自分がその立場だったときに感じたこと、体験したことは、なにもJT固有の問題ではないんだと改めて実感しました。すなわち、上層部から様々な戦略が降りてきて、ミドルマネージャーがそれを棒読み状態で伝える。伝えたらそれでおしまい。成果主義、個人主義の思想で、あとは自分たちのやる気と能力の範疇でやれという。
斉藤:いわゆる予算達成ですね。
浅井:成績表のみで評価される世界です。でも成績表の数字を眺めているだけでは、なにもわからないんですよ。私がそのことに気づいたのは、地方の営業所に営業所長として赴任したときのことです。部下に指示を出しますよね。ところが現場に入ってみて、自分が伝えた通りの動きになっていないという事実に直面したんです。全員に同じように伝えたはずなのに。
上司から指示があれば部下は当然「イエス・サー」と返してきます。でも実際は、十人十色の受け取り方をしているんです。営業所から出ずにモニターや書類で成績管理だけをしていたのでは、そこに気づけない。「イエス・サー」を聞いただけで、すべての部下が理解し納得して行動していると錯覚してしまうんですね。
現場に赴いて初めて、いかに部下たちが個人なりの観念、それぞれの能力に応じたレベルで指示を受け止め、動いているのかが見えてくるんです。ですから、いくら優秀な戦術・戦略を立てようと、一人ひとりにどう伝わったか、伝達の「達」をしっかりと確認しなければ、思い通りにいくわけなどない。
加えて、そもそもマーケットは思い通りには動いてくれません。交渉相手や競合相手がいて、変化にも富んでいる。現場を見なければなにもわからない。
斉藤:現場に足を運んで、現場でなにが起きているのか、指示したことがどう遂行できているのか、事実を自分の目で確認するわけですね。
浅井:そうです。事実に当たらなかったらなにもわかりません。まずそこに気づいたことが、私のマネジメントスタイルの大きな材料になりました。
「利口になるよりバカになりなさい」母からの手紙に号泣した日
斉藤:浅井さんは営業経験がまったくないまま、営業所長に抜擢されたんでしたね。営業の分野では新人同然。それなら既存のマネジメントスタイルを踏襲するのが普通だと思いますが、なぜいきなり独自のマネジメントを思いついたんですか。
浅井:知識も経験もまったくありませんでした。当初は営業同行して取引先を訪問しても会話の内容が理解できず、部下にバカにされる始末。萎縮して、営業所にこもってしまいました。そんなときに、母からお祝いの手紙と一足の靴が届きました。暮らしを立てるために深夜遅くまで洋裁仕事の内職をして、女手ひとつで私を育ててくれた母です。貧乏暮らしの中でコツコツ貯めたお金で、営業所長に就任した私のために靴を買い、プレゼントしてくれたのです。手紙にはお祝いの言葉とともに、こんな内容が書かれていました。 「えらくなったからといって、えらそうにするんじゃないのよ。むしろ利口になるよりバカになりなさい、謙虚になるのよ。口先ばかりの人間に、人は決してついてこないですからね」。これには号泣するばかりでした。
斉藤:すごいメッセージだなあ。
浅井:母の言葉に、まずは自らが汗を出さなきゃいけない、でないと人はついてこないんだと思いました。いきなりリーダーを任された私は、リーダーらしく振る舞い部下をぐいぐい牽引しなければいけないと焦っていたのかもしれません。それは間違いでした。背伸びせず自分にできることを一生懸命やれば、その姿に部下もついてきてくれるんだ、それこそリーダーシップの原点なのではないか、と気づきました。バカになって自分にできることを一生懸命やろうと、翌日から、その靴を履き自転車を毎日何十キロも漕いで取引先回りをしました。
斉藤:母の言葉通り、ひたすらシンプルに行動したんですね。
浅井:最初の一歩を踏み出せるきっかけとなった、大きな教訓でした。私を本気で支援して愛情を注いでくれた助言だったから、真剣に受け止められたのだと思います。上司と部下の関係でも同じ。上司が自分の利のために操作をした言葉は、部下の心には響きません。
斉藤:部下は見抜きますよね。
浅井:そこでも母の手紙に気づかされたんです。私のことを真剣に想ってくれて、私の人生を一生懸命応援してくれているとわかるメッセージだったから、私の心に響いて、それに素直に従えた。だったら母がしてくれたのと同じように、自分が部下に言葉をかける時には、本気で部下のことを考えて愛情を注いで信じてやろうと。性根(しょうね)ですよね。心の根っこがないと、どんな助言をしたところで響かない。
斉藤:高度経済成長の中で、戦略経営の中で、忘れ去られてしまっていたものに気づかされた。気づかせてくれたのがほかでもない母だということが大きいですよね。
浅井:そのとおりですね。だから私は55歳の今でも、広島に住む母に朝晩2回、必ず電話をしています。どんなに忙しくても欠かしません。何十年も続いている、もはや習慣です。
斉藤:お母さんのためといいながら、浅井さん自身のためでもあるんじゃないですか。営業所長に抜擢されたときのように、今もお母さんの言葉がよいアドバイスになっているのでは。
浅井:そうですね。母は、朝4時半くらいからラジオ番組のお坊さんの説法を聞いているんですよ。早起きして必死にメモして、それを電話口で私に話してくれるんです。「今日はこんなお坊さんがこんなことを言ってたよ」と。母は、自分を磨くためというよりむしろ、私に何かを提供したくて聴いてくれているんですよ。それを僕に語ってくれる。
斉藤:お母さんは、電話を毎日もらっているからそういうことを考えるんだろうなあ。今の話は、いみじくも浅井さんのマネジメントの本質になっていますよね。自分がお母さんからしてもらったのと同じことを、部下に対して実践しているんですね。
「きっかけさえあれば人は必ず成長できる」という信念
浅井:今の姿からは想像がつかないかもしれないけれど(笑)、私は子供の頃、人前に出たり発言するのが苦手だったんです。成績も悪く、チック症もあり、なんにもものが言えない少年でした。
ところが小学5年生のとき、大きな転機となる出来事が起こります。校庭で校舎と裏山のスケッチをしていると、美術の先生が「すばらしいね」と私の絵を褒めてくれました。そして筆を握る私の手に自分の手を優しく添え、パレットから絵の具をすくい、あたかも私がひとりで描いているかのように描きさしの絵に絵の具を乗せ、メリハリのある立派な絵に仕上げてくれたんです。そのうえで再度、「浅井くんの絵は本当に素晴らしいね!」と、感激したような声で褒めてくれました。しかもそれで終わらず、その絵を立派な額に入れて校長室に飾ってくれたんです。
斉藤:すばらしい原体験ですね。
浅井:それまで先生に褒められた経験など一切なく、友だちにもバカにされてオドオドしていた自分にとって、褒められたことは非常に大きな自信になりました。いい絵だと感じたのも本当だったようですが、先生がしてくれたことは、私を励ましたいと思っての行為だったようです。実際、大いに励みになり、私は絵を描くのが大好きになりました。すると展覧会でときどき佳作くらいに入賞することも出てきて、「浅井、すごいね」なんて友だちから褒められたりして。
自信を持てるもの、夢中になれるものがひとつできた瞬間でした。周りが自分を認めてくれるとわかり、いろんなことに前向きに取り組めるようになりました。「人はきっかけがあれば必ず成長できる、変われるんだ」という私の信念は、その経験から生まれたものです。
後編に続きます。ミドルマネージャーがハッピーになるための方法とは…。お楽しみに!
(構成・文:石橋真理)
浅井浩一(あさい こういち)
1958年生まれ。大学卒業後、JT(日本たばこ産業)に就職。「勤務地域限定」の地方採用として入社。「どんなにがんばっても偉くなれない立場」から、キャリアをスタートさせる。日本一小さな工場勤務での、きめ細かなコミュニケーションを通じた働きぶりを買われ、本社勤務に。その後、営業経験がまったくない中で、全国最年少所長に抜擢され、リーダーとしての一歩を踏み出す。
「一人の落ちこぼれも作らず、チームが一丸となるマネジメント手法」により、職場再建のプロと称され、歴代最年少の支店長に大抜擢。
2001年より日本生産性本部(経営アカデミー)で多くの企業幹部を指導。2013年4月、JAICフェローに就任。現在、「人の本質に根ざしたマネジメントの実践」をメインテーマに、業種を問わず、数多くの企業、大学、ビジネススクール、各種業界団体、NPO団体、行政機関等で幅広く講演、コンサルティング、学会での提言活動等を行う。
in the looop編集部
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