日本企業からみた、シリコンバレーの意外な「非常識」
上記の写真は、数名の友人がシリコンバレー訪問中にMt.ViewにあるEvernote本社で撮ったものである。右から2番目に映っているEC Studioの山本社長 (別名インターン社長)は、後にこの時の体験をアメリカ滞在中の数ある驚き体験の中でも特に特筆すべき事として話してくれた。
この時期サンフランシスコに数ヶ月滞在していた彼は、週末の土曜日に日本からの友人と共にシリコンバレーの有名な会社の幾つかを見学しに行った。まずFacebook社を訪問した際にはマークザッカーバーグを見かけた。その後Evernote社に行き、オフィス前の看板付近で勝手に写真撮影していた。すると、オフィスの中からアメリカ人のおじさんが出て来た。注意を受けるのかと思っていたら、「今日はあまり忙しくないから、中に入ってみるか?」と言ってくれた。彼らに声をかけてくれたのは、なんと同社CEOのPhil Libinであった。とても親切にオフィスを案内してくれ、最後には記念に一緒に写真を撮ってもらった。後日、山本さんはその事を “あり得ない経験” として大変驚き、喜んでいた。
確かにこれはとても驚くべき事だと感じた。なぜならアメリカでは、それが至極 “あり得る経験” だからである。彼によると、有名な会社の社長さんが、日本からやって来た名も無い人達にわざわざ時間を割いてオフィスを案内してくれ、最終的には写真も一緒に撮ってくれた事が非常に驚きであるらしい。確かに、忙しいと時間を割く事が難しくなる事はあるが、こちらではこのようなケースは珍しくは無い。むしろ人と人の付き合いの中で、肩書きや立場はあまり介在しないケースの方が多い。ビジネスのフィールドに於いても、大企業とスタートアップとの間に大きな隔たりも無く、むしろ交流も多い。それによるメリットもある。実際に、上記のような話は、恐らく日本の消費者に対してEvernoteの知名度とイメージアップに一役買うだろう。全米から見ても特に西海岸では、人付き合いが非常にオープンである。僕自身は日常的にそのような文化と生活に慣れていた為、逆にこの経験が特別なものと感じる日本の社会や文化が気になった。
アメリカの日常生活で常識的に感じていたオープンでフラットな文化は、学生の社会的ポジション一つとってみても、日本では必ずしも浸透していないケースもある。必ずしもアメリカ的文化が全て良いというわけではないが、隔たりの少ない社会が生み出すメリットは確かにある。
日本社会における学生のポジション
btrax社では2年程前より日本からの学生インターンを受け入れている。その学生の多くが非常に優秀であるため、本人達に日本でも相当活躍しているだろうと聞くと、必ずといって良い程「学生だと相手にされないんですよ」という答えが返ってくる。これにはとても驚く。アメリカではスタートアップを中心に多くの企業にて、学生やインターンの若者が活躍をし、新しい発想で会社を引っ張って行く場面が多く見られる。逆に学生の頃から実社会で頭角を現さない者は、どんなに高学歴でも就職先を見つける事も難しくなる。
その一方で、最近は随分と変化してきているかもしれないが、日本では学生が社会で活躍出来る場は制限されているように感じる。恐らく学生の頃から正社員として採用されるケースは少ないだろうし、学生インターン生に与えられる仕事内容は限定的であろう。しかしながら、その一方で、学生に活躍の場を与えるために、”学生向けイベント” や “学生コンテスト”と銘打ったイベントが行われている。正直これには大きな違和感を感じる。話題性やメディアからの注目を得るには良いかもしれないが、学生という枠で括り、特別扱いをしているコンセプトがどうしても理解し難い。実際のビジネスのフィールドでは、プレイヤーが学生だろうがベテランであろうが、そこは実力のみの勝負になる。
以前の東京でStartup Datingに参加して感じた事でも少し触れたが、ベンチャー vs 大企業、学生 vs 社会人のような、立場や肩書きによる隔たりを生み出すセグメンテーションはオープンな交流を妨げかねない。また、それによるメリットも考えにくい。その辺はなるべくオープンにし、それぞれの個人や企業の実力で勝負出来る環境があったほうが、実力がつきやすいと思う。
アメリカの大学での経験
僕自身は日本の高校を卒業後、アメリカの大学に入った。実は恥ずかしながら日本では受け入れてくれる学校が無いレベルだったが、幸運な事にアメリカのカレッジはかなりオープンで、入試が無かった。入学する際のエントリーシートを記入し、クラス分けの為のテストを受けたのみ。授業内容もその多くが、教える方と教えられる方の隔たりが少なく、ディスカッションや生徒によるプレゼンテーションが多い。もし講師の講義内容に疑問があれば、どんどん発言できるし、それが評価にも繋がる。
実際、1年の一学期からWebやデザイン関連の授業では相当生意気な発言をしていたと記憶している。それでも期末の講師からの評価レポートには、”It was great to have you in the class”と書かれていたのが忘れられない。講師と生徒とのディスカッションを重んじるアメリカのフラットな授業のシステムが大好きになり、3学年以降の授業の多くでは先生の助手をさせてもらう事で単位ももらえた。そして、その当時よりフルタイムでWebデザイナーとしての仕事もしていた。
アメリカの企業が必要とするインターン生
社会においても、多くのアメリカの会社では組織がフラットである。会議中では、社長でもインターンでも発言する内容に対し、その人の肩書きによる周りの反応の違いは非常に少ない。”誰のアイディアか” よりも “どのようなアイディア” であるかが重要視される。むしろ場合によっては、上司のアイディアを否定し、より良い意見を提案出来るスタッフが評価される。
btrax社でも、日本の会社で経験を積んだスタッフは立場をわきまえた言動にとどめるケースが多いので、なるべくその辺は気にしないように促すようにしている。また、気になる事や改善アイディアがあれば、何時でも上司や社長に進言をできるようにし、フラットでオープンな環境づくりを目指している。実際に、日本の会社で約10年の経験があるインターン生は、インターン最後の日に我慢出来ず、”ここの会議のシステムは無駄ばかりです。僕にはもっと良いアイディアがあります。” と発言し、スタッフ一同より彼に対し賞賛の声が上がった。ちなみに、英語という言語は敬語や謙遜語等の表現がほとんどないので、フラットなコミュニケーション構築にはとても便利である。
身分や肩書きで左右される日本社会
ところで、btrax社でインターンを経験した方々の多くには、日本に帰国後も彼らの肩書きや立場に関係なく、今までのように仕事を手伝ってもらう事が多い。アメリカではフルタイムのスタッフと同じ目線で、分け隔ての無い仕事内容を任されていたが、やはり日本に戻ると、学生という事が分かっただけでも、多少なりとも会う人たちの対応に差がある様だ。もしスタッフの肩書きで無意識の うちにやり取りの内容に違いがあり、能力を最大限発揮しにくい社会環境だったとしたら、大変残念である。
ここ最近、出張等にて日本に行った際に漠然と感じている違和感の多くは、もしかしたら人付き合いと社会が普段生活しているアメリカと比べてあまりフラットでオープンではない文化により形成されている事が原因かもしれない。おそらくこの部分は日本国内だけで生活しているだけでは気づく事はあまり無いと思うが、日本人の多くの方々が無意識のうちに常識として身に付いているのであろう。
先日、日本に行った時も、とあるイベントに友人を連れて行こうとしたところ、”経営者のみ参加可能なイベントですので、その方が経営者であればOKです” と言われた。この時ばかりは正直、”なんだそれ?”と思ってしまった。経営者しか参加出来ないイベントにするメリットは果たしてあるのであろうか。プライバシー的な危惧やキャパシティー的な問題を除けば、オープンにする方がより活性化したイベントが開催できると思う。
シリコンバレーではオープンな交流が多い
一方で、最初に書いた通りアメリカに来た方々は、人々の交流のオープンさに驚く。イベントや交流会は毎晩のように開催され,著名な人々に出会う機会も多い。また、会いたいと思う人が居た場合、しっかりとした理由があり、場所とスケジュールのタイミングが合えば、ランチミーティング等をセットアップする事で会ってもらえることが多い。最初はある程度のコネクションがあったほうが有利だが、こちらのブログにて説明されている通り、Niftyの河原さんが何のあても無く、気合いだけで念願のMeetup CEOとのインタビューをセットアップ出来たような例もあり、気合いと情熱で実現する場合も多々ある。
そもそもアメリカでは、ある程度の肩書きの人でも、誰とでもオープンに交流する考え方が一般的とされている為、肩書きや立場による隔たりは少ないと思われる。後々何がどう繋がるかがわからないので、どんな立場の人でも時間の許す限り、なるべく多くの人とオープンに交流しようと思っている場合は多い。実際に、軽い気持ちで知り合った人が後々自分にとってとても重要な人物になるケースもある。
起業家精神に基づく合衆国の歴史
この国やシリコンバレー周辺のオープンかつフラットな気質は、その歴史による影響が大きいだろう。元々既存の階層社会やしきたりから離れる為に、自分達の考える理想的な国家を作り上げた背景は、まるでスタートアップを立ち上げる人々の心理に近い。実にワシントンやジェファーソン等、アメリカ建国に関わった人々は”Founders”と呼ばれている。元々”部外者”で構成されたこの国は、身分や立場が一度リセットしてスタートしたため、平等意識が強い。その歴史の中でも”金がとれるらしい”との情報だけを頼りに、がむしゃらに西を目指した開拓者が作り上げた西海岸は、ゴールドラッシュ時の一攫千金を目指す人々と、彼らを助ける投資家やサポーター等で形成されるエコシステムのDNAが現在にも流れている。特にシリコンバレーでは一発当てて成功した人が次世代の起業家をサポートする助け合いの精神が確立している。そこには立場や肩書きによる隔たりは無く、それぞれのバックグラウンドに関わらず、チャレンジをする人々に対しては、オープンに交流を行う文化がある。
近年変わりつつある日本の社会環境
上記で随分と否定的な事を書いてしまったが、最近は随分と日本の社会環境や人々の意識も急激なスピードで変わって来ていると感じる。誰でも参加しやすいユニークなテーマのイベントや交流会も増えているし、2011年頃から日本でもコワーキングスペースが急増し、オープンな環境が徐々に普及し始めている。企業や業種に関係なく交流することで、ノウハウやアイデアを共有し、互いの知識や技術、経験を提供しあうコワーキングスペースの隆盛は、社会が求めるオープンな環境創造に対する一つのカタチに思われる。また、ネットを活用したコミュニケーションは年々活発になり、フラット&オープンなコミニュケーション手段も随分と発達してきているだろう。また、ブログやソーシャルメディアを活用する事で、気軽にそれぞれの個人の考え方やアイディアをが発信できるようになった。例えば著名人もTwitterなどの新しい媒体で日常的でカジュアルな考えを配信し、他のユーザーとの会話がしやすい環境も整いつつある。
また、ソーシャルメディアを代表するTwitterやFacebookといったシリコンバレーを代表する会社の企業文化を中心に、日本の企業にもシリコンバレー的な思考や考えなどが普及してきている。その影響か、スタートアップを中心に会社のカルチャーや経営者のマインドも随分フラットなものになって来ているだろう。今後はその辺をきっかけに、より多様なタイプの人々がユニークな発想で活躍出来る場の構築も期待される。
これから求められる事
かく言う自分自身も、まだまだオープンでフラットなコミュニケーションが出来ているとは自信を持って言うことはできない。やはりどうしても相手の立場や肩書きでレスポンスを変えてしまう。発言無い様にもバイアスがかかってしまっているだろう。日本でも、ソフトバンクの孫社長のように立場は関係なくユーザーからの意見をどんどん取り入れ、”やりましょう。” の一言で物事を進める凄い人達もいる。良い意見やアイディアであれば、それが本来誰の発言かには左右されずに、客観的に物事をとらえる姿勢は非常に重要である。それが無意識に出来なくなっているケースは意外と多い。
物事の本質を見抜くためには、相手の立場や肩書き等だけで態度を変えるべきではない。どんな時でも隔たりを無くし、純粋で一直線に結果が出しやすい環境を構築していく必要がある。広いネットワークを構築したければ、まずは自らその扉を開く事。世界で戦える企業を作る一つのプロセスとして、提供する商品やサービスの他にも、このあたりの意識も再考してみる事は大切かもしれない。
筆者: Brandon K. Hill / CEO, btrax, Inc.
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