小さな楽しみを貴方に

【考えてみた】日本が隠す「自殺」を減らすために色々書いてみる 7人目

2015/09/27 23:54 投稿

コメント:14

  • タグ:
  • 自殺
  • 絶望
  • 希望
  • ニュース
  • 哲学
ばわ、ロランPです。

この記事タイトルの内容は、自殺者数の割合が世界で一番高い!と言われているこの日本にて、ならばどうすりゃ自殺者は減るんだよ!?っていう疑問を解決すべく、これから続き物として私なりにあれこれ書いていこうと思っています。
今回考えてみる話題はこちら。

心底生きることに絶望していて、自殺するしかないって人はどうすればいいか?

まずは絶望についてさっそく引用してみる。

絶望とは、希望のない様子を指す。

社会的地位の喪失、信頼すべき相手(家族や親友など)の喪失・裏切り又は自殺などに遭遇し、未来への希望を失ったとき、人は絶望に陥る。
戦争などの極限状態では絶望が起こりやすい。平時でも、強姦や児童虐待、リストラやいじめなど辛い経験に遭遇し、絶望することがある。
又、幼少期の児童虐待や育児放棄等によって、成人期に精神疾患境界性パーソナリティ障害により絶望が増強することがある。(ひどいケースでは解離性同一性障害を発症する、治療は極めて困難を極める)
絶望している際は、ひどい孤独感、世界から孤立し社会的に見捨てられたような感覚に襲われ、場合によっては自殺を考えるに至る。
自殺に至らなくても「生きているのが辛い」というのも絶望の末期と考えられる。
絶望に陥りやすいパーソナリティがあるという説がある。完璧主義的な人は、自分では乗り越えられない壁にぶつかると絶望しやすいとされるが、反対に、自尊心の低すぎる人も絶望しやすいともされる。
実存主義の哲学者セーレン・キェルケゴールは、著書『死に至る病』において、絶望の根底には自己意識があり、絶望とは死に至る病なのだと述べたうえで、絶望の対極に神による罪の赦しを挙げている。

引用した文章を見て思うのは、絶望ってのは失う事、無くす事、っていう物を総括してて、そして行き着く先が死ってところだろうか。

言っちゃなんだが私ら人間っていうか生き物はまず生きてる以上必ず死ぬ。
手に入れた形ある物はいつか崩れて失う、無くなる。ようは絶望するように出来てるわけで。
心底絶望した人ってのは、遅かれ早かれやってくる絶望を知ってしまって、心が折れちゃったわけである。
まずどうすればいいかと言われたら物理的に絶望した原因を、遠ざけるなり無くすなりする必要がある。
しかし絶望するほどの原因っていうと、これが厄介なもので既に原因には手を付けられない場合のほうが多いものだ。
例えばもう助からない、とか絶対死ぬ、そういった場合は物理的によくすることが出来ない。

どうしようもない状況に陥って、絶望してる人の肉体は生きてこそいるものの、心は真っ暗闇に落っこちてほぼ死んじゃってるわけである。

さて、こういった事象に人ってのは抗うために色々やってきたわけだ。
神っていう絶対的な存在に救いを求めようとした。
死に抗うために、死を遠ざける事を求め続けた。
死を受け入れて、死を求める行動を自ら行おうとした。

色々やってる訳だが、今一うまくいってないように感じる。
結局今のご時世でも皆が絶望に陥るわけで昔からあんまり変わってないって所だろうか。

私として上手くいってないのは、すごく簡単な理由だと思うわけだ。
絶望するその心、そこがどうもおざなりになってるような気がしてならない。
神に救われるように心を清くしようが、死を遠ざけるために体を長持ちさせようが、絶望を受け入れて心身共に殺そうが、どれも的を外しているんじゃ解決なんてしない。

心を生かすこと、それが絶望に抗う希望ってことになる。

じゃあ心を生かすにはどーすんだよ、実際問題絶望はやって来るんですけど!?
ってこの記事を読んだ人は私に半ギレで突っ込みたくもなるだろう。
私としてもこの回答はつまりこれだ!って具体的な形で提示しづらくて実に困る。
文字で書くなら以下のようになるだろうか。

人は自らの存在を認めることでそれを自尊とし
自身に信念を持つことでそれを自信とし
自らが由と思い描いた理を理由として
絶望と相対しその中の希なる光を見出す

さて、自尊と自信については5回目、理由については6回目で私の意見を述べたが、あれは私の意見であって、皆に全部が全部当てはまるとは思ってない。
で、だ。
最近真面目な記事を描きすぎて、ちょっくらご無沙汰していた御伽噺、寓話といったものを書いてなかったので、久々に描きたくなってきているわけだ。
その御伽噺、寓話では生きる事、死ぬ事ってのをテーマにしたお話にしようと思っているわけで、読んだ人には好きに感じ取ってもらえるようなものに極力するつもりだ。
それをもって絶望回の締めにするつもりである。
私としては、これが答えだ!っつって、可能性を狭めたくないのが本心。

今回の記事は本当に中途半端でしまってないが、ここら辺で締めることにする。
次回の寓話で何を描くかまだ全く考えてないので、次の記事は時間がかかりそうである。
これは具体的な方法、ってわけじゃないからさらっと書くが、生きてる上で必ず絶望ってのがやってくる以上、それを乗り越えられなきゃ幸せになんてなれない、とは断言できる。
さて、皆様は絶望に抗って希望を、幸せを見出すことが出来るだろうか?
では、また今度。


【寓話】遠い遠い彼方から 遠い遠い彼方への旅
http://ch.nicovideo.jp/imaswww/blomaga/ar882642#-

コメント

ロランP (著者)
No.12 (2015/09/29 00:25)
>>11
なるほど、通りで説得力があったんですね、ゴリラ恐るべし。
いかにして希望や愛を取り戻すか、か。
とりあえずその辺ってアイドルないし偶像が結構担ったりするんだよなぁ、と思いつつ今のアイドルはある特定向けにしか方向が向いてないので、皆に効果があるか?と言われるとそうでもないし、いざアイドルが結婚した!ってなると絶望する層が沢山いるわで大変悩ましい所ですね。
トレーシー
No.13 (2015/10/07 01:27)
戦わなくちゃ現実と、戦わなくちゃゴリラとも。
・・・とはいうものの、原義的に戦うとは敵を相手取る動詞です。
現実は・・・敵か?
ロランP (著者)
No.14 (2015/10/13 15:48)
>>13
敵、自分と相対して異を唱えてるもの。現実ってのをどう捉えるかで敵にはならないですむかなぁと。
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事