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平成二十七年三月三十日青山氏講演会メモ書き起こし

2015/03/30 19:59 投稿

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2015年3月27日(金)PM6:30 大手町サンケイプラザ4階ホール 
青山繁晴氏講演
「英麗に感謝と慰霊の真心を捧げる 語り伝える硫黄島の記憶」

・3月26日は硫黄島の戦闘が終結した日。
・硫黄島の戦闘が終わったあと、沖縄戦が本格的に始まった。
・ひめゆり学徒隊は12隊あった(現在語り継がれているのは4隊のみ)
・なによりも硫黄島と沖縄戦の話がしたい!
・自分の話はきっかけであって自分で何ができるか考えてほしい。
・ブルーリボンを編みこんだポケットチーフをしている。これは京都のある織物屋さんが
拉致被害者のために自分でできることをしようという心でやっている。
・今日は朝の五時までホール使えますから帰しません!(笑)
・拉致被害者の説明、なぜブルーリボンは青いのか。小泉政権は5人一時帰国で一兆円払うつもりだった。(情報筋)
・拉致被害者は生きて北朝鮮に取り残され、硫黄島の英霊は硫黄島に取り残されている!これは重要な共通項。
・ドイツ連邦軍特殊部隊は自衛隊特殊部隊と一緒に訓練したことがある。ドイツ人はわが軍の装備の方が上だが
しかし気持ちでは自衛隊のほうが上回っている。なぜ自衛隊を使って北朝鮮の拉致被害者を取り返しに行かないのか?
・今も自衛隊は戦前の日本軍の精神を受け継ぎ、千葉などでトカゲや昆虫を食べるような訓練を課している。
・国民を取り返すのは政治家ではない、国民です!
・(無力だという)思い込みの70年を取り返しませんか。
・取り返すためには今の自分の状況(立場)から半歩だけ踏み出してくれ。
・国連は連合国、戦後国際連合という組織ができたのではなく、連合国の組織のまま。
・右とか左ではなく、まっすぐ真ん中から事実に向き合う。
・講演レジュメ題「祖国は甦る」←祖国というのは右翼の言葉ではない。祖国は英語でいうと何か?マイホームカントリー、マイカントリー、これが右翼か?
・国を愛するという土台があってから右と左という考え方がある。
・国のあり方、国民のあり方として。
・メキシコの小学校には週間当番交代の際、国旗を持って行進するのが当たり前。(日本にはないので青山氏は呆然としていた)
・東日本大震災ではない。東北茨城長野大震災である。
・当時の首相、菅直人は避難場所の被災者の一部だけ話して黙って立ち去るだけだったが、天皇陛下はお膝が悪いのに皇后陛下は首を傾けるのが大変なのに、被災者と同じ目線で、全員と話しておられた。これが日本の古来から続く民主主義。
・多数決で決まるアメリカの民主主義ではなく日本にも昔から天皇を中心とした民主主義がある。(十七条憲法、和をもって尊しとなす)
・中韓以外のアジア諸国は日本が甦るのを期待している。
・憲法改正の国民投票(18歳からの)は早くて来年の年末。
・60年以上忘れていた領土→硫黄島。を含む小笠原諸島は世界遺産なのに硫黄島だけ省かれている。小笠原ツアーをしている人と話をして、硫黄島に近くに寄るだけのツアーもできないか考えている。
・安倍総理は一次政権の時なぜ辞任したのか?→病気は本当の理由ではない。本当に病気だったら辞任会見ですべての記者の質問に答えれるわけがない。拉致事件が原因で辞めたが、松岡農水大臣の自殺でも追い詰められていた。大臣としてではなく、友人として彼の死に参っていた。
・総理のSPは総勢30名いて常に7,8人は周りにいる。その中で青山氏と会食する時はSPを全て下がらせた。
・松岡農相自殺→青山氏と会食の予定の直前→すべての予定を排して青山氏と会食する→青山氏が予定にない硫黄島の話を
したら、そわそわしていて1時間きっかりに予定の話と違うじゃないか!と怒って出て行った。(当時内政が叩かれていたが、
外交だけは信念に従いきっちりやっていた。だから青山氏に外交の話を聞きたかった)
・安倍さんの総理再チャレンジ→町村派の長の町村氏が出馬してるのを押し切って安倍さんも出馬。その選択は正しかった。
・2013年3~4月ごろ体調が思わしくなかった。一日も休んでなかったので一日だけ休みを取るその日に硫黄島に行く。
→関係者から青山氏に激怒の電話。なぜか聞き返したらあんたの発言が原因だと。
・安倍総理と会ったときにそのことを聞いたら総理はポカンとして「何言ってるんだ。あんたが言ったんじゃないか!
私は総理を辞任したあと時間があったので硫黄島のことを調べた。あなたの言ったことは全て本当のことだった!
(硫黄島のアスファルトの下には未だに日本軍の兵士の遺骨が埋め立てられている)私は総理になって時間ができたら硫黄島に行くと決めていた!私が再登板した理由の大きな一つは硫黄島に行くことなんだ!」
・安倍総理は栗林中将(得進して大将だけど中将と呼びます)の娘さんのお子さん、新藤義孝さんと4月14日に硫黄島へ行って土下座した
英霊に誓った。このアスファルトを引き剥がして御遺骨を持って帰ると。→予算はつけ始めている。

・硫黄島はなぜ戦場になったのか?アメリカが日本軍から奪い返したグアム、サイパン、テニアンなどマリアナ諸島は日本の
東京から真南へ5100km。戦闘機では飛びきれない爆撃機でも燃料が嵩んで爆弾の量が減る。その中間地点に硫黄島があった。

・クリント・イーストウッドの戦争映画「父親たちの星条旗」硫黄島のアメリカ視点映画。まあ前にも良い映画あるよねと
青山氏は特別に関心を持たなかった。ところが、クリント・イーストウッドは映画のインタビュー(生放送)で映画はもう一つある、日本人視点の「硫黄島からの手紙」だと。これをたまたまアメリカに出張していてホテルで見ていた青山氏は激怒。
「何言ってるんだ、そんな映画つくっていいのか!」日本に帰ったその足で防衛庁に駆け込む。
青山「硫黄島に入れてくれ!」

防衛庁局長「硫黄島ツアーを有識者ジャーナリスト向けにやってるから、今回はもう締め切ってるけど入れてあげるよ」

青山氏激怒。特別扱いされたいようなテレビとか出てお金もらってる御用学者などと一緒にするな!」しかも遺骨収集は
同じ所しかやってないので、その場所は掘りつくしている。

・硫黄島防衛した日本軍人員は21000人。その中で職業軍人は1000人ほどしかおらず、ほとんど本土から徴兵されてきた民間人。生き残った人は1034人。1000余りのご遺骨は帰還したが、まだ18000人以上ものご遺骨が硫黄島に残されている。

・そんなやりとりを防衛庁としたので後は受付で面会を断られ続けた。そんな中でハリウッドの映画プロダクションに連絡して「硫黄島からの手紙」で硫黄島でロケできるのかとやりとりした。相手は日本政府に問い合わせて一日だけ硫黄島で撮影許可をもらったと返事をもらった。

青山氏再び防衛庁へ行き、どういうことなんだと局長に問いただす。
局長「恐れ多くもアメリカの国務長官(当時はライス)様のサインがあるから断れない」(書類を見せてもらう)

青山氏大激怒「日本人はどんな人でも入島拒否してるくせにアメ公には甘いのか!ふざけるな!」
局長と額を突き合わせるほどにらみ合う。

局長「もう勝手にしろ!防衛庁、自衛隊はバックアップしないが1日だけ好きな日に入島できる許可をくれてやる!」

許可の書類をもらったが、硫黄島へは自衛隊の協力がないと行けない。行けないから海上保安庁へ行くが丁重に断られる。
泳いで行こうと考えるが、硫黄島の周りは海流が激しいから無理。手づまりになった。
・丁度そんなやりとりを全く知らないニュースアンカーの記者が「青山さん、硫黄島へいきませんか?」
関西テレビ→フジテレビ→ジェット飛行機持ってる!
そしてついに2006年12月9日アンカーの取材で硫黄島へ…

・飛行機で羽田から飛び立ち、陸が見えないところまで来ると突然下から青山氏の体を何かが突き抜けていった。
それも万単位のなにかが「帰せ!戻せ!」と聞こえてきた。硫黄島に着いて飛行機からタラップに降りようとしたが降りられなかった。足が動かなかった。アンカーのスタッフが「青山さんどうしたんですか、
さっきも飛行機内で号泣していたし…」青山氏はそこで初めて自分があの時泣いていたと気がついた。
・この数ヶ月間なにものかに突き動かされるように硫黄島への上陸にこだわっていたのかわかった。英霊に後押しされていたんだとその時初めて気がついた。

・現地取材中、トーチカ跡に入って写真を撮った。デジタルカメラだったが、顔の左半分が崩れ胸に大穴が空いている男が映っていた。階級章は付いていなかったが位が高そうな雰囲気がした。青山氏はこの人は栗林中将だと直感した。
中将の横に赤いジャンパースカートを着た女の子が立っていた。閣下の娘さん(新藤義孝氏の母親)だとあとで調べてわかった。
・硫黄島で壕にも入っていった。戦前から栗林中将は駐在武官としてアメリカにもいたから親しい人物がいる。そこらの筋からアメリカ軍が火炎放射器を使うことを見越して壕を毛細血管のように網の目に掘っていた。
・壕の中は気温が70度にもなる。そんな中で碌に掘る器具もないので全て兵士の手で掘った。入口は狭いが中は180cmくらいの高さまであった。入口は狭いので匍匐前進して手は真っ黒。後ろを振り向くと自衛官2人防衛庁職員1人がついてきていた。
・硫黄島防衛に際し、栗林中将は軍に二つの決めごとを課した。
1、バンザイ突撃をしてはならない
2、自決していけない
この措置に兵士は激怒した。この二つは日本軍人にとって極限の戦闘状況での救いである。この二つの厳命をしたことで
忠実な日本兵士が反乱を企てたという。
・栗林中将は島にいる将兵は二等兵にいたるまで会って説得した。この島は我々を駆逐したあとアメリカ軍が爆撃機の発着場として日本本土を空襲するために使う。我々が一日でも長くアメリカ軍の攻撃を遅らせれば、日本にいる女子供が死から免れる。その中から新しい日本人、我々の意思を継ぐ日本人を救うことにもなるんだと。
その話のあと、兵士の反乱の気配はピタッと止まった。
・そして日本軍の抵抗で硫黄島は5日で落ちると計算していたアメリカ軍を数か月留まらせ、数万の損害を出した。網の目のような壕を手で掘り続け、抵抗した。何故か?
生まれてもいない日本人、我々のために戦ったんだ!日本人の未来のために戦ったんだ!
・翻って今の日本はどんな国になったか?英霊に対し顔向けできる国になったか?
・アメリカ軍上陸の海岸ブラッドビーチに行った。真黒な海岸で青山さんの後ろに自衛官2人がいて、私たちも幽霊を見たことありますがそういう意味だったんですね!と言っていた。

・硫黄島取材後、硫黄島の生き残りの方のお宅に訪問して6時間お話をした。今は亡くなられたが金井さんという方と壕での戦いのことをお聞きした。金井さんに壕の中のドラム缶は立っているか?と聞かれた。おそらく自衛隊員が立たせたのだろうが、立っています。とお答えした。
70度もの高温の中でドラム缶にためた雨水は熱水になる。しかし戦闘の最中は飲み水と
して飲んでいたので気がつかなかったが同僚の下唇が腫れて膨れ上がってるのを見て初めて気がつく。壕内で吹き飛んだ同僚の死肉が水の中に浮かんでも、のどが渇くので飲んだ。あれは甘露の味がしたと金井さんは語った。

・硫黄島はアメリカで奇跡の島と讃えられている。毎年3月26日に行われている日米合同慰霊式典にはアメリカの元兵士が子孫まで連れてきているのに、私達はなぜ手弁当なんだと金井さんは語った。
アメリカどころか日本人にまで悪者扱いされている日本軍!滑走路も当時アメリカが急ごしらえで日本兵の死体ごと埋め立てて使っていたものを未だに半分使っている。私達は日本のために戦った兵士のご遺骨を滑走路上で毎日毎日足蹴にしているんだと青山氏が語ると、金井氏はその通りだと深くうなづいた。
青山氏が帰る時にタクシーの中からもう家に入っただろうと思って振り向くと金井氏は直立不動の姿勢のまま海軍の敬礼をしていた。

・長野県の松代にある栗林中将の菩提寺には栗林中将が家族にあてて書いた手紙が保存されている。私(青山)の名前を出せば見せてくれますよといい、その手紙には中将は末の娘の心配を書きつづってあった。その娘さんのお子さんである新藤義孝氏にトーチカで撮った中将と女の子の霊が映った写真を見せた。新藤さんは数十秒間じいっと写真を見つめていた。

・そんな生々しい戦場の跡が残る硫黄島をひめゆりのような見学ではなく、本当の「修学」旅行ができる島にしたい。
・安倍政権は26年度に予算の見通しをつけて機械ではなく、手で全て掘り返さなければならない。数百億円、数十年単位の時間とお金がかかる。これは安倍政権の出来うる限りの任期で終わる話ではない。
この事業を続けるのは日本国民の力が必要だ。

(すでに時間は21時近くまで迫ったが時間を感じさせることなく青山さんは熱弁を振るった。ステージに上がったり降りたり歩き回りながら熱心に講演してくれた。時間なのでここで講演は終了です。)





コメント

tafu
No.1 (2015/03/31 01:28)
お疲れ様でした。炎絡P良い仕事してますね^^
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