皆さんこんばんは。
マンガワン投稿トーナメントの予選は早くも残すところ3日となりました。
あっという間です。
進捗チャレンジ企画も第1ステージのゴールが目前に迫り、色んな意味で第一の佳境を迎えています。
宣伝のほうもラストスパートなので、ちょっとしつこいですが悔いの残らないよう頑張っていきたいと思います。
こちらのリンクツイートから投稿トーナメントに参加中の「ハンターアンドアクマガール」の閲覧と投票するために必要なマンガワンのアプリのダウンロードができます。
このブログで楽しんでいただけたら応援してくれると幸いです。
https://twitter.com/5th_someday/status/1355519545373458437?s=20
では、内容に入って行きましょう!
というわけで、今日はぼくのネット創作の経験から皆さんの参考にしてもらえそうなことを話す記事にしました。
漫画のことだけでなく創作全般でなにか役に立つ話ができないかなぁと思って考えたところ、一番先に思いついたのがこれです。
やはりネット創作者としてのぼくと言えば苦痛に耐え忍びながら大長編の動画を何年もかけて完結させることができたというのが大きな特徴だと思うので、そのあたりの経験について思ったことを話してきます。
ちょっと説教臭い内容なので嫌な気分にさせてしまったら申し訳ありません。
絶対にぼくの意見が正しい!というわけではなく、あくまでやってみて感じたことや自分の場合こうだったよという話ですので、あまり深刻にとらえる必要はありませんからね…
・そもそも
大前提なのですが、ネット創作はやりたくなくなったらさっさと辞めた方がいいです。
一度そうなったらどうあがいても苦痛のほうが大きくなります。
センスがあれば自然と上手くいって楽しくなるはずだし、上手くいかないということはもしかしたら…という厳しい現実もあります。
そんな側面もあるのでつらくてもう続かない、どうしたらいいのか…という人に根性論を叩き込んで無理矢理ネット創作の世界に縛り付けるのは酷な話です。
ぼくは自分の言葉に責任なんか持てないので、弱ってる人を軽率に鼓舞して泥沼に引きずり込むくらいならいっそとどめを刺してやる方が優しさなのかもしれないと思っています。
それでも辞めたくないし、辞めることはできないし、つらいんだよなぁという人のためにヒントをあげられたらいいなという気持ちで書いていきます。
では、実際に創作を長くやっていて思ったことを具体的に解説していきます。
・他人の評価に依存しない
これが一番大事だと思います。
他人というのはコメント欄で反応してくれる人や同じジャンルにいる創作仲間などのことです。
ネット創作というのは誰でも少なからずそういった人たちに認められたい、褒められたいという欲があって成り立つものです。
欲は大事だし、コメントや同好の志の言葉を楽しみにすること自体がネット創作の醍醐味みたいなところがあるので否定すべきものではありません。
しかしいつの間にか自分の中で創作と交流の立場が逆転して、コメントやいいねを貰うために創作するという状態に陥ってしまうことがあります。
それが依存状態で、決壊前の危険水位だと思います。
頑張って作ったのに全然コメントつかない、あの人の絵にはリプしてるのに自分のにはしてくれなかった、など。
反応に依存するあまり無反応がつらくなり、耐え兼ねて病みツイートまでし出すと余計周りにとって触れにくい存在になってしまい反応してもらえなくなります。
これが他人の反応に左右されている状態です。
そうならないために大事なのは自分の反応を大切にすることだと思います。
○○さんの推しキャラを描いたら反応貰えるかな?とか、フォロワーに××という作品をやってる人が多いからその二次創作をやろうとか、周りを見て自分の創作を決めるのはウケなかったときが不毛すぎるのでぼくはいいとは思えません。
むしろ自分自身を観客だと思って、自分が一番見たいものを書いて自分を喜ばせることのほうが健全だと思います。
周りの反応がなくたって自分がそれを見て楽しめていたら救いは残るし、もしそれを良いと言ってくれる人が見つかったらその人とは自分が好きなものを書くだけで素直に好きを共有できるということですからね。
ただそれも拗らせすぎるとぼくのように自分の創作物の限界オタクとかいうめちゃくちゃキショい存在に成り果ててしまうので、自分自身にも依存し過ぎないことを心掛けてください。
・数字に依存しない
これもネット創作の本質なので、否定はしないけど依存は危険だよという話です。
そもそもぼくは「創作に数字なんか関係ない」と「数字の伴わない創作に意味はない」の両方の極論で言ったら、どちらかと言えば数字が伴わなきゃ意味ないよねという方に近い考えです。
実際数字が伸びないのは萎え要素で、数字が伸びるのはめちゃくちゃ気持ちいいです。
数字が伸びるということは良いものを提供できている基準でもあるはずなので、気にするのは大切なことです。
ただし、数字を伸ばすことに固執しすぎて数字のための小細工をし始めたら泥沼の入り口だなぁと思っています。
数字を伸ばすための努力や工夫ならいいと思います。最終的に創作のスキルに加算されますから。
ただ小細工は違います。有名作者に媚を売ってリツイートしてもらう関係になるとか、閲覧数を伸ばすための工作に躍起になるとか、実力以上の結果を出すための本質的ではない行動を本質並みの熱量でやったら危険水位だと思います。
数字依存の何が危険かと言うと、伸びたっていつか必ず落ちるということです。人はいずれ飽きるのでこれは仕方ないことです。特にバズって得た数字なんかはこの傾向が顕著なんじゃないでしょうか。
どっぷり依存しきった状態で数字の下り坂に入ったら耐えられるはずがないと思うので、本質のように入れ込むのはマズいというわけです。
クオリティは落ちるどころか日々成長しているはずなのに閲覧数が日に日に減っていく…という現象が起きたときに病まないためにも、数字は落ちるもので数ある指標のひとつに過ぎないと思う方が健全です。
数字依存者の末路みたいな現象としてたまに見かけるのが「みんな二次だとRTいいねしてくれるのにオリジナルには全然してくれない」と病みツイートをする作者です。
これは本当に二次創作の作者としてそうなったら終わりだと思います。
二次創作は原作ファンが見てくれるから数字が盛れるし、オリジナルはそういう層がいないから数字が落ちるのが当たり前です。
数字に溺れるあまり自分が原作に暗黙の了解で下駄をはかせてもらっているということすらわからなくなったら、もう何のために書いてるのかわからないよね…という話です。
説教臭くて申し訳ないです。
でもそんな気持ちが沸き起こってきたときは、自分が崖っぷちで一歩進むか踏みとどまるかの瀬戸際にいるかもしれないと思い出してもらいたいです。
楽しくネット創作をするためにも…
ちなみにぼく自身もこの感情を抱いたこと自体はあります。
前は二次創作をやっていて今はオリジナルに挑戦しようとしている真っ最中なので、実際に公開してみたときは「やっぱオリじゃもともとの視聴者でも食いつき悪いよなぁ…」と感じたものです。
思うのは仕方ないけど、数字なんて伸びたっていつか落ちるのが当然ですから卑屈にならずに頑張りましょう。それが言いたかったんです。
これも伸びなかったとしても自分が納得できる出来ならいいので、自分を楽しませることを第一にすればいいと思います。
・過度に行儀よくし過ぎない
これは賛否両論だと思うので、そういう意見の人もいるんだなと思って聞いてください。
ネット創作って路上市的な雰囲気があって、読者、視聴者はお客様として扱われているじゃないですか。
どういうことかと言うと、作者は「いつもありがとうございます!励みになります!」みたいな感じでへりくだることが多くて、ぼくとしてはそれもストレスのもとじゃないのか…?と思うことがあるんです。
こういった関係性を構築することは、最終的に利益を目標としているなら当然の接客態度なので問題ないと思います。
本を売るとか、YouTubeの広告費だとか、ファンが楽しむことが自分の利益にもなるという形式を作ってお金を得ようという目標があるのなら媚を売るのは当然のことです。
お金でなくても自分の利益になるのであれば礼儀正しくしたほうがいいですよね。
今のぼくが昔より行儀よくしているのも、間違いなくそういう側面があります。
トーナメントに投票してもらえたら自分も幸せになれるのですから、自分を幸せにしてくれる人たちが少しでも幸せな気分で応援してくれるような接し方を心掛けるのは下品でもなんでもない良い心掛けだと思います。
ところがあくまで個人の趣味の範囲でしかないのに「接客態度」までプロのそれを要求されるような(あるいは勝手に想定して振舞うような)場合だとストレスが多そうです。
お金を払っているわけでもない人をお客様扱いして自分はへりくだらなくちゃいけない。たとえ嫌なことを言われても丁寧に感謝しなくちゃいけない…となると、感情のアドバンテージ計算が常にマイナスを叩きだします。
これは嫌われたくない、ファンを放したくないという前述の数字依存、他人依存のあまり陥ってしまう負のスパイラル的な状態だと思います。
行儀の良い自分を演じることはめちゃくちゃ疲れるし、そういう人を見ると「あくまで楽しむための趣味なんだし、少し肩の力抜いてもいいのになぁ」と思ってしまいます。
重ね重ね言いますが、それを自分の意志でやっているならぼくは悪いとは思わないんです。
何かに追い詰められて強迫観念的にそういう態度を取るようになると創作がつらくなる…ということです。
そんなことを言ってるぼくは肩の力を抜くを通り越して、ひとりに叩かれれば全方位レーザーで叩き返し、機嫌を損ねたら味方のつもりで何か言った人にも牙を剥く蛮族のスタイルを取っていたのであまり人のやり方はとやかく言えません。
ただ視聴者や他の作者にひたすら媚を売るスタイルだったら絶対にどこかで潰れていたはずで、そういった人たちをガン無視して好きなものを書き続けた日々や、悪口だろうが言いたいことを言って好き放題していた日々が最終的に完結まで持たせてくれたのは間違いなんです。
そんなわけであまり過去の振る舞いを過ちだったとも言いたくないんですよね…
・嫌になったら辞めていい
最初に戻りますが、そんなこんな言っても結論はこれです。
嫌な思いしてまでやらなくちゃいけない趣味なんてひとつもなくて、飽きたり嫌になったりしたら投げ出してしまえばいいんです。
でも世の中にはぼくのように自分の心や生活を犠牲にしても創作は辞められないというくらいアイデンティティになってしまっている人もたくさんいて、みんな簡単に捨てられないから苦しんでいるんだと思います。
捨てたら捨てたで一生自分のことを書くことから逃げたヤツと思っていかなくちゃいけないわけですからね…
しかもそれだけ強い思いがあるからと言って必ず実力や才能が伴うとは限らないのが残酷なところです。
創作趣味は常に劣等感や嫉妬との戦いです。
そんな世界で生きていくしかない人の参考になればと思ってこの記事を書きました。
・まとめ
振り返ってみるとそんなに役に立ちそうなことは言っていません。
ぼくの場合は自分を楽しませることを第一に考えて、他人との交流や数字の増減にあまり気を取られず、媚を売らずにしんどい時は好き勝手に振舞ったことが長続きした理由なのではないかと思った。というだけの話です。
ぶっちゃけたことを言うとある程度運とセンスがあったからどうにかなっただけという側面もあるはずなので、残酷な言い方になりますが全員がこれで上手くいくかはわかりません。
でも最後には自分を楽しませたやつの勝ちだというのは本当です。
何も見返りを得ず周りの全てが敵に見えるくらい荒んでいても自分の書きたいものを好きなだけ書いてやりたい放題していたぼくは、書きたくないものを書いて手堅く売れている商業作家よりも確実に幸せだったと思います。
今だって時々見返して「この動画おもしれぇ~!!!」ってはしゃげる大事なレガシーだけは残ったわけですからね…
というわけで、ぼくが創作を長く続けられた理由を振り返って考察してみました。
何かの役に立ててもらえたら幸いです。
最後にもう一度宣伝になりますが、この記事を楽しんでいただけたら以下のリンクから投稿トーナメントに参加中の「ハンターアンドアクマガール」を読んでいただいて、マンガワンのアプリをダウンロードして投票して頂けるととてもありがたいです。
閲覧はこちらのツイートのリンク先から!
https://twitter.com/5th_someday/status/1355519545373458437?s=20
残り3日の予選期間、最後まで頑張って毎日更新をしていくのでどうかよろしくお願いします!
コメント

まず自分のために書く、本当に大事なことだと思います。賛同。

クオリティより完成させて出すことが大事という話、よく聞きますが実際にそうだなぁと思います。
ぼくも途中で投げたものや書いたけど誰にも見せなかったものが山のようにあるので、気持ちがわかる気がします。
一番大事なことが何かは人によるかもしれないですが、出して完結させるのが一番ハードル高いのは間違いないですね…

エロは特にそうだと思います!
きれいな絵で人気キャラの当たり障りのないシチュエーションを描いたエロ絵よりも、粗削りでもその人の性癖が詰まってるエロ絵のほうがぼくは抜けるので、そういう姿勢のエロ創作者にはいち消費者として敬意を払っています!
最初は「自分が面白いと思ったものを作りたい」だったのが「他人が面白いと思うようにしないと…」となるのはある
勿論、商業作品とかだと金銭を発生させる以上は「読者が読みたくなるモノを」ってのは当たり前ですが、ネット創作は「楽しむため」ですから評価やら反応やらは副産物なんだよなという
まぁ「元から反応をもらうために描くぜ!」という目的もあるから絶対とはいいませんが
自分も小説書こうとして最後まで書き上げたが投稿できなかった人間なんで、どんな媒体の創作物でも「最後まで仕上げて見せる」ってのができる人は凄いと思います