結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2012年10月16日 Vol.029
結城クイズ
以下の3つの共通点は何か。
1. やは肌のあつき血汐に觸れも見でさびしからずや道を説く君
2. テディベア
3. ダイナマイト
はじめに - 京都大学の林晋先生にお会いして
結城浩です。みなさんいかがお過ごしですか。
先日、京都大学の林晋先生ご夫妻とお会いする機会がありました。 結城のWeb日記でも簡単に書きましたが、もう少し詳しくお話しします。
◆結城浩の日記 - 京都大学の林晋先生にお会いしました!
http://www.hyuki.com/d/201210.html#i20121009080000
上の日記にも書いたとおり、京都大学の林晋先生は八杉先生との共訳(翻訳・解説)で 岩波文庫から『不完全性定理』を出版なさっています。
◆『ゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)』ゲーデル著、林晋+八杉満利子(解説・翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003394410/hyuki-22/
『不完全性定理』ではゲーデルの論文がまるまる翻訳してありますので、 結城が『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』を書いているとき、 参考にさせていただきました。
(書名が長いので、 以下では『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』を「ゲーデル巻」と 呼びますね)
ゲーデル巻の第10章は、ゲーデルの論文をなぞるように進んでいきます。 そんな第10章を「ややこしい!」とおっしゃる読者さんは多いのですが (実際、そのお気持ちはよくわかります)、 ゲーデルの論文のほうがずっとずっと「ややこしい!」のです。 というのは、ゲーデルの論文では数式の表記方法が特殊で、 しかも略語のもとが英語ではないからです。 数学ガールでは英語をベースにしてプログラム的な表記をしていますので、 ずっと読みやすいんですよ。 まあ、それはともかくとして、 林先生の全訳が岩波文庫で出版されたのはたいへん助かりました。
茉崎ミユキさん作画のコミック版ゲーデル巻を出版後、 林先生とメールのやりとりをするようになりました。 先生は結城あてのメールで、何回も、 「京都に来る機会があったら必ず連絡してくださいね。食事しましょう!」 とあたたかく誘ってくださっていました。
先日、たまたま関西方面に行く機会があったので、 思い切って林先生と連絡をとってみたところ、 すぐに話がまとまって今回の会食につながったというわけです。 思い切って連絡とってよかったなあ。ようやく、 「ゲーデル巻が書けたのは、林先生の『不完全性定理』のおかげです」 と、直接お礼をいうことができました。
林先生は、結城のゲーデル巻をお読みになり、 確かに『不完全性定理』を参照したということを見抜いておられました。 『不完全性定理』はゲーデル論文の翻訳なのですが、 それよりもずっと多いページを、 数学基礎論の歴史とヒルベルトについて割いています。 そこに書かれているヒルベルト論がゲーデル巻に 活かされていると先生は喜んでくださいました。 「結城さんに読んでもらえてよかった」と先生に言われ、 結城はたいへん幸せになりました。
「ここは違っているぞ、けしからん」と怒られたらどうしよう…などと 密かに思っておりましたが、林先生は終始にこやかに微笑んで、 結城の活動を励ましてくださったのです。よかった…。
聞き上手の先生との会食で、 結城はたくさん自分の話をしました。
結城は自分のことを、インタプリタであり、 仲介者であり、注解者であると思っています。 「読む価値があるけれど難しいもの」があちらにあり、 「それを読みたくてたまらないけれど読めない人」がこちらにあるとする。 その途中をつなぐ役目です。
結城自身は特に何かを生み出すわけではない。 でも、がんばって難しいものに挑戦して、 それをかみ砕いてわかりやすく読者に提示する。 そのような役割を自分は担っている。そのように思っている。
…という話を林先生にしました。 先生はそのような活動の重要性をたくさん語り、 結城の活動を大いに励ましてくださいました。 たいへんありがたく、うれしいことです。
林先生は現在「思想史」をテーマとしてご研究をなさっているということで、 その詳細は結城の素養が足りないためまとめることはできませんが、 刺激的な話をたくさんうかがうことができました。
結城はその場で、 普段から気になっている「素朴な疑問」を林先生におたずねしました。 不正確になるといけないので先生のお答えはここには書きませんが、 結城が先生に尋ねた質問をいくつか列挙しておきます。
「哲学って何ですか」
「哲学の研究は何を目指しているのですか」
「哲学の研究の善し悪しを定める評価基準は何ですか」
上のように問うた背後には、 有名な「ソーカル事件」のことがありました。
◆ソーカル事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
たとえば、数学の場合。
結城は「数学の論文」がどのような成り立ちになっているかはわかります。 その論文を自分が読めなくても、 「この論文の中では定理が証明されているのだろう」 とわかりますし、 「理解できる数学者が論理的に追えば、論文の正しさを判定できるだろう」 ということもわかります。 たくさんの論文が組み合わされて、 大きな数学的体系を作り出している様子も想像できます。
でも、哲学の場合は?
結城は「哲学の論文」がどのような成り立ちになっているか、さっぱりわかりません。 (まあ、きちんと読んだこともないのですが…) 数学の定理のように証明が書いてあるわけではないだろう。 でも、きっと、何らかの意味での論証は含まれているだろう。 書いた本人以外が哲学の論文を読んで「これは正しい」や「間違っている」と 言えるものなんだろうか。 いやいや、そもそも「正しい」という評価基準は適切なんだろうか。 哲学の論文が複数あったとして、それらは組み合わされて何かを作るのだろうか。 …そんなことを、結城はもやもやっと考えていたのです。
林先生に上のような素朴な質問をしたところ、 先生はていねいに説明してくださいました。 先生のお答えを聞いて、自分なりには少し理解が進んだように思います。 残念ながら、ここにまとめて書けるほどは理解できていませんが。
しかし、 数学や自然科学とは異なる種類の「知」は確かに存在するのだ、 ということは理解できました。
もっとしっかり理解するためには、 自分で本を書いてみないとわからないかも…
はっ。
『哲学ガール』を書けばいいのか!
まあ、それは冗談として、そろそろメルマガを始めましょう。 今回のメインコンテンツは「数学文章作法」です!
目次
- 結城クイズ
- はじめに - 京都大学の林晋先生にお会いして
- 数学文章作法 - 第5章「問いと答え」
- 結城クイズの答え
- 次回予告 - 数学文章作法「目次と索引」
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