結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年12月18日 Vol.351
はじめに
結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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正十二面体の話。
正多面体の中では、正十二面体(各面が正五角形のもの)が好きです。
先日「Dodecahedral Family.」というタイトルで画像を作りました。
Dodecahedral Familyというのは「正十二面体家族」という意味で付けたタイトルです。この画像を作るときに「カルガモの親子」のようなものをイメージしていました。大きな正十二面体の後を、正十二面体の雛がちょこちょこついてくるようすですね。
この画像は、QEPrize 3D, Brushstroke, Pixlr という三つのiPhoneアプリを使って作りました。
◆QE Prize 3D
http://qeprize.org/createthetrophyapp/
◆Brushstroke
http://www.codeorgana.com/brushstroke.html
◆Pixlr
https://pixlr.com/mobile
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Web連載で新キャラ登場の話。
ちょうどひと月前のこと。子供に「今回のWeb連載には『ノナちゃん』という新キャラが出たんだよ」という話をしていました。ついでにWeb連載の解説をして「今回は第241回で、第250回までの10週で1シーズンになっているんだよ」と言ったところ、子供が何か考え始めました。
「第241回なんて、たくさん書いたんだね。お父さんすごい!」
……という反応が来るかと思ってひそかにわくわくしていたところ、子供の反応はこうでした。
「241は素数だね」
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iPhoneで文章を書く話。
よく感じることなんですが、ソファでくつろぎながら文章を考えているときには、パソコンよりもスマートフォンやタブレットの方がずっと「しっくり」きます。
一つの理由は、画面と目との距離にあります。iPhoneで書くと、目のすぐそばに画面があるために、物理的に言葉に近づいて書いているような気持ちになるのです(もちろん、視力の問題もありますけれど)。
もう一つの理由は、両手を使うか片手を使うかの違い。パソコンでキーボード入力するときには両手を上げることになるので「お仕事として書いている感覚」が強くなります。でもiPhoneでフリック入力しているときには片手。それだと「気軽に書いている感覚」に近いですね。
フリック入力しているときの感覚をもう少し掘り下げると、鉛筆やボールペンを持って「手書きで書いている感覚」にも近いように感じます。これはスピードの問題。
キーボードでタッチタイピングしていると、とにかく速いんですよ。そうすると手書き感は薄れていき、極端なことを言えば脳から直接言葉を出力しているみたいに感じます。文章が頭に思いついたとたん画面に現れている感覚です。
それに対して、フリック入力だといったん手を介して書く感覚です。一つ一つの言葉を積み上げていく感じ。タイピングでは文章を出力しているけれど、フリック入力では一文字一文字、せいぜい一単語一単語を重ねていく。
フリック入力では、心の中に一文が組み上がった後にそれが書き出されていきます。その結果、一文を心の中にキープしている時間が長くなります。タイピングでは、思ったとたんに出力されているから、心の中にキープしている時間が短いのです。フリック入力では心の中で文章を温めている時間が長い……とまで言うと言いすぎですけれどね。
フリック入力は「手書きで書いている感覚」に近いけれど、でもほんとの手書きだと時間がかかりすぎますし、漢字を思い出すのに時間が掛かるので、いまさら手書きはしたくありません。ということで、ソファでリラックスしながら書いていくのに、フリック入力はよくフィットしていると思います。
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新しい本を準備する話。
先日から「こんな本を書きたいなあ」と考えていた材料がだいぶ貯まってきました。そこで、少しずつ形を作っていこうと思います。特に〆切はないので、長期的に考えたい本のプロジェクトを起ち上げようというのです。
「こんな本」といっても、まだタイトルも決まっていません。タイトルがなければそのプロジェクトを呼ぶことができません。そこでコードネームをつけることにします。ほら、プロジェクトに「ひみつのコードネーム」があると何だかカッコいいでしょ?
先日の『C言語プログラミングレッスン入門編 第3版』執筆のときには「ライラック」というコードネームを付けていました。今度の本は「メトロ」にしようと思います。コードネームですから、特に意味はありません。「都市」の本を書くわけでもないし、「東京メトロ」の本を書くのでもありません。単なる名前。
真面目な話、結城が「執筆する本のプロジェクト」をセットアップするときには、コードネームを決めることが多いです。コードネームを軸にして自分のワークフローを組み立てるのです。たとえば、コードネーム由来の「メトロ(metro)」というコマンドを端末から打ち込むと、執筆作業を行っているディレクトリに移動するようにしておきます。「メトロの仕事をしよう」と思ったらすぐに作業できるようにしたいからです。いわば、プロジェクトの開始呪文です。それを唱えると、ファイル一式が置いてある仕事部屋にテレポートするようなものですね。
プロジェクトには名前が不可欠です。開始呪文だけではなく、
- 作業するフォルダ名
- Scrapboxのプロジェクト名
- Slackのチャンネル名
- Evernoteのノートブック名
- Dynalistのドキュメント名
- gitのリポジトリ名
- 生成するPDFのファイル名
といったたくさんの名前をシステマティックに付けることで「これはこのプロジェクトのためのものである」という意識が明確になるからです。コードネームは、そのようなシステマティックなネーミングの基盤になってくれます。
最近の結城は、複数のツールを意識して渡り歩いています。そのためにもプロジェクトの名前が決まっていることは大事になります。もちろん現実的にはURLを使って機械的にジャンプすることが多いのですが、名前によって「いま自分は何のプロジェクトをやっているのか」を意識することは大事です。それは仕事に集中する役目も果たすからです。
さて、そのメトロ本に関する素材を、まずはScrapboxにどんどこ突っ込みました。この本に関してはまだ自分でもよくわかっていません。そういうときにはScrapboxは便利ですね。自分の手元にある情報をとりあえず入れて、ぐるぐるかき混ぜていく感覚があります。あちこち眺めてリンク付けをしているうちに、情報が自然に化学反応を起こしてくれるみたい。そんなこんなで200ページほどになりました。しばらく熟成させてから、また眺めることにしましょう。
メトロ本、どんなふうに成長していくかなあ。楽しみ、楽しみ!
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算数の問題と文章の話。
たとえば、こんな算数の問題があったとします。
色紙を30枚持っていました。
友達に9枚あげました。
あとで妹から4枚もらいました。
色紙はいま何枚ありますか。
30枚から9枚あげて、4枚もらったんだから、30-9+4で答えは25枚。とそれでまったくおかしくはありません。でも、自分の頭を「推敲モード」に切り換えると、気になることはたくさんあります。
「色紙を30枚持っていました」って、誰が持ってたの? 主語がないよ?
「友達に9枚あげました」って、色紙をあげたんだよね? 30枚の中からあげたんだよね?
「あとで妹から4枚もらいました」って、誰がもらったの? 最初に30枚持っていた人がもらったの? それとも友達がもらったの?
「色紙はいま何枚ありますか」って、誰のところに? 最初の人? 友達? 妹?
つまり、やや無理矢理ではありますが、問題中のすべての文に疑問符を付けることができます。そしてその疑問符はすべて「問題文で暗黙のうちに伝えられている情報」に対して付けられていることがわかります。
生徒は、色紙をやりとりするという経験を持っている。そして、情景を想像することで、問題文中の暗黙情報が補完できる。そういう前提がこの問題にはあるように感じました。でもそれは、算数の能力を見てるのでしょうか。
文章に、言葉を補ってみましょう。
太郎くんは、色紙を30枚持っていました。
太郎くんは、その30枚の色紙のうち9枚を友達にあげました。
太郎くんは、あとで妹から色紙を4枚もらいました。
いま、太郎くんのところに色紙は何枚ありますか。
この文章はずいぶん冗長で、通常はここまで情報を補った書き方はしません。でも、読み手が補完すべき情報はずいぶん減ったように思います。
算数の問題をこんなふうに冗長に書け、という主張ではありません。シンプルに書かれた算数の問題を読むには、常識や補完能力も必要になるんだなあというお話です。
* * *
では、今回の結城メルマガを始めましょう。
どうぞごゆっくりお読みください。
目次
- 自分の言葉で説明するとは - 学ぶときの心がけ
- 数学史はお好きですか
- 人前で話すために原稿を準備する - 文章を書く心がけ
- アダプター - 再発見の発想法
自分の言葉で説明するとは - 学ぶときの心がけ
質問
プレゼンのような場で、先生に何かを説明するとします。
そのときに先生が「教科書の言葉を借りてくるのではなく、自分の言葉で説明してください」と言います。ここでいう「自分の言葉」というのは、何を指すと思いますか。
回答
ご質問ありがとうございます。
「自分の言葉で説明する」を言い換えるなら、
教科書には説明の文章が載っています。
でも、それを言葉として丸暗記して答えるのではありません。
内容をよく理解し、あなたが理解したことを、
意味を考えつつ自分の力で言葉に変換して答える
のようになると思います。
「自分の言葉で説明する」というのは指導する立場の人がふつうに使う表現です。そのときの先生の意図としてはあなたに「理解すること」と「その理解を言葉にすること」をちゃんとしてほしいということになります。理解が追いついていないのに、言葉だけを暗記して「立て板に水」のようなプレゼンをしても意味はないからです。
「自分の言葉で説明する」ことができる人の特徴をいくつか書きましょう。
- 説明する内容を変えずに、言い回しを変えることができる。
- 説明するときに、長いバージョンと短いバージョンが作れる。言い換えると「もう少し詳しく」と言われても対応できるし、「要するにどういうことか」と言われても対応できる。
- 説明した内容に関して「どうしてそうなの」や「それはどういう意味」と聞かれても答えられる。
いま列挙したようなことができるのはひとえに「内容を理解している」からですね。
「自分の言葉で説明する」というのは「その内容を自分がどのように理解しているか、それを言葉を使って明確に示す」のとほぼ同じ意味でしょう。
以上で、あなたの質問への回答になります。
ところで、あなたに関してやや心配なことがあります。先生の「教科書の言葉を借りてくるのではなく、自分の言葉で説明してください」という指示はそれほど難しいものではありません。でも、あなたはこの指示の意味がわからなかったのでしょうか。この指示の意味がわからないとすると、私の回答もあなたに伝わってない可能性が高そうです。
それとも、先生の指示の意味がまったくわからないのではなく「『自分の言葉で説明する』というのは、たぶんこういうことだろうな」という見当は付いているのでしょうか。見当は付いているけれど、念のために質問したというなら、安心です。
あなたの質問の文章を読む限りは、あなたの疑問、あなたが質問してきた最重要ポイントがわかりませんでした。非難するわけではありませんが、最重要ポイントがわからなかったのは、自分の理解の度合いを書いて下さらなかったからだと感じました。
「自分としては○○のような意味なのかなと思いましたが、それでいいのでしょうか」のような形だったら、もう少しフォーカスを絞ったお返事ができたかもしれません。
その内容を自分がどのように理解しているか、それを言葉を使って明確に示す。
「そういうところ」が、まさに、先生が気になさっているポイントなのだと思いますよ。
ご質問ありがとうございました。
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