結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2018年11月20日 Vol.347
はじめに
結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
先週からWeb連載「数学ガールの秘密ノート」の新シーズンが始まりました。
今シーズンは特別です。何と七年ぶりに新しいキャラクタが登場したからです。
数学が苦手らしい「ノナちゃん」という新キャラが、これからどのような動きを見せてくれるのか、とっても楽しみです。
後ほど「本を書く心がけ」のコーナーでは、ネタバレなしで新キャラ登場の舞台裏のお話をしたいと思います。
◆Web連載「数学ガールの秘密ノート」第241回「無限のキャンバス」
https://bit.ly/girlnote241
* * *
「やってみせる」話。
こんな研究が紹介されていました(動画付き)。
◆UCバークレー、動画内のアクロバットな動きから、その動きをキャラクタが習得するdeep learningを用いた手法を発表
https://twitter.com/shiropen2/status/1049796411749875712
人間がアクロバットの動きをすると、それを習得してキャラクタが動くらしいです。たいへんおもしろいですねえ。この程度なら「人間の動きを見て学習する」ことが、コンピュータにもできるという話になりますよね。
コンピュータはプログラムしたことしかできないのですが、プログラマが明示的に動作をプログラミングしなくても「こんなふうに動いてね」と例を見せることで学習できるといえます。
つまり、コンピュータに対して人間が「やってみせる」という話です。
3Dモデルの各部位を直接制御して思い通りのポーズを取らせようとしたことのある人は「明示的に伝える」ことの恐ろしいまでの困難さを理解できると思います。ポーズを取らせるだけではなく、動かすならなおさらです。そこには職人芸のような技術が必要でした。それが「やってみせる」ことでコンピュータが認識できるなら、ものすごい可能性を感じますね。
同じ方が紹介している別の研究でこういうものもありました(動画付き)。
◆動画の他言語への吹替をした場合に、その吹替言語に合わせた口の動きも同時に合成する機械学習を用いた技術「ENACT」登場
https://twitter.com/shiropen2/status/1063424579123572736
音声の吹き替え(アテレコ)をしたときの「口の動き」をその言語に合わせるというものらしいですね。これもまた「明示的に伝える」のではなく「やってみせる」話といえます。
制約や限界はあるにせよ、「明示的に伝える」のではなく「やってみせる」ことでコンピュータがそれを真似できる時代なのですね。
* * *
「年齢 mod 20」の話。
私たちは年齢を、成熟の度合い、経験の多寡、元気や勢いの程度の指標として考えることがよくあります。
でも、年齢は増える一方ですから状況によっては誤った指標になりがちです。その結果「この年齢なのにこの振る舞いはおかしい」と考えたり「こんな年齢なんだからこれは無理」と思ってしまうこともあります。
しかしながら、現代は多様な活動が求められる時代です。もう少し別の指標があってもいいんじゃないでしょうか。ということで考えたのは、
年齢を20で割った余り
という指標です。数学やコンピュータに詳しい人なら「年齢 mod 20」といえばわかるでしょう。 0歳から19歳までは普通の年齢と同じで0,1,2,と増えていく。でも20歳になったら0に戻る。20で割った余りですからそうなりますね。21歳は1で、22歳は2、とまた増えていきます。39歳は19で、40歳になったらまた0に戻ります。
要するに、20年ごとに0クリアされてしまう指標といえます。
20年も経てば活動する環境は変わりますし、本人の能力も大きく変化します。ですから20年ごとに新たな気持ちになる。20年ごとに謙虚な気持ちになる。必要があれば新たなチャレンジもする。でもずっと0ではなくて、1,2,3,…,19と成長していく。そんなイメージです。
年齢を20で割った余りを考えると、25歳の人は5で、38歳の人は18になります。70歳の人は10です。
ちなみに私は今年15です。あなたはいくつ?
* * *
ではそんなところで、今回の結城メルマガを始めましょう。
どうぞごゆっくりお読みください。
目次
- 新しいことを学ぶときに意識すること - 学ぶときの心がけ
- どうしたら恋ができますか
- モデルとビュー - 再発見の発想法
- 数学ガールに新キャラ登場 - 本を書く心がけ
新しいことを学ぶときに意識すること - 学ぶときの心がけ
質問
自分にとって新しい領域に足を踏み入れるとき、(数学では特に)知らない記号が突然出てきて焦ってしまうことがあります。
結城先生は新しいことを学ぼうとするときにどんなことを意識されてますか。
回答
ご質問ありがとうございます。
自分にとって新しい領域に足を踏み入れるのは勇気が必要ですし、ちょっとこわいものですよね。
結城は、新しいことを学ぼうとするときに「信頼できる複数の情報源を確保する」ことを意識しています。自分にとって新しいことを学ぶというのは、自分はほぼ確実に間違うということを意味します。自分がまちがったときに、それを確かめたり正したりする基準を確保するのは大事でしょう。
結城は、いま少しずつ圏論を学ぼうとしています。たぶん、しょっちゅう間違うでしょう。自分で勝手に考えてはまちがうので、確かめるための手段が必要です。なので、正しいことが書かれていると思われる本を選んで読んでいます(最近さぼっていますが、まあそれは別の話)。それからわからないことがあったら、詳しい人に直接質問したり、詳しい人がたくさんいる場に問いかけたりします。
新しいことを学ぶとき「これが正しいな」と思ったら、「なぜかというと」を繰り返して自問します。数学の場合、その自問の繰り返しは、最後には「なぜなら、この言葉の定義がそうだから」に至るはずです。
新しいことを学ぶときに大事なことを列挙すると次のようになります。
- 自分は必ず間違うはずと思い続けることが大事
- 自分でわかったふりをしないことが大事
- 確かめるための信頼できる情報源を複数確保することが大事
逆に、学ぶときにやってはいけないことを列挙すると次のようになります。
- 自分は絶対間違いないと根拠なく思ってはいけない
- わかったふりをしてはいけない
- 信頼できる情報源を無視したり、信頼できない情報源をあてにしてはいけない
もちろんこれらは「基本的にはそうしたい」ということであって、いつもいつもできるわけではありませんが。
ですから、誰かに誤り(あるいは怪しい点)を指摘されることは大歓迎です。さまざまな理由により対処がしにくいことがあるかもしれないけれど、自分の考えが正しいかどうか、怪しいところがあるかどうかを把握していることは大事だからです。なので指摘する人には深く感謝しています。
あなたのご質問の中で「知らない記号が突然出てきて焦る」という話がありました。確かに焦りますし、そういうことはままあります。数学の記号や表記法は、しばしば本質的で重要な部分だったりするから特にそうですね。
でも学ぶ上で「知らない記号が出てくること」自体は別に問題ではありません。学ぶ上で問題なのは「知らない記号が出てきたときにそれを解決する方法がないこと」です。要するに、わからないことがあったときに質問する人がいないということですから。
個別の「知らない記号」や「自分がその記号を知らないこと」を問題にするのではなく「知らない記号を解決する自分以外の手段を持たないこと」の方が問題といえます。参考書、教科書、教師、同僚、コミュニティ。何でもいいのですが、問題点を投げることができる場所がなければ、学びを継続していくのは難しいでしょう。
以上で、お答えになっているでしょうか。ご質問ありがとうございました。
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