結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年11月28日 Vol.296
はじめに
おはようございます。結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
* * *
知っている人にはすぐわかるクイズの話。
「あれがカッパ?」
「そうだね。これがエプシロン」
この会話がなされた「場所」を、 「アルファベット3文字」で答えてください。
知ってる人にはすぐわかりますが、 知らない人にはわからないので、 あまり長時間考えないでくださいね。
答えは後ほど。
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うたう声の話。
先日、とあるお店で買い物をしました。
そのお店では、レジの人はみな「うたう」んですよ。
歌をうたうというわけではないですね。 独特の音程で品物を読み上げるということです。
ニンジン〇〇え〜ん
キャベツ〇〇え〜ん
トマト二点で○○え〜ん
のように。しかも、ある特定の個人がうたうのではなく、 レジの人がみんな、同じ音程でうたうんです。
そんな話をツイートしていたら、@uni1000yama1000 さんから、 「そろばんの読上算の名残かなぁ」というコメントをいただきました。
なるほど! 確かに、耳をすましてよく聞きますと、 そのような雰囲気はありますね。 最初に「ご破算で願いましては〜」と言ってもおかしくありません。
複数のレジが並んでいるので、さながらコーラスか、 教会の交読文のような風情があります(大げさにいえば)。 その店で働き始めた人は、 きっとその「うたいかた」を練習するのでしょう。
ところで、19世紀フランスの哲学者アランの小文に、 「うたう叫び声」というものがあります。 そこには日常での「うたう声」について書かれています。 以下、ちくま哲学の森6『詩と真実』所収、 アラン「芸術に関する101章より」(高橋正二訳)から引用:
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朝になると、往来のほうで、
物売りのうたう叫び声を、あなたは聞く。
その叫び声を耳にすると、
いま何時ごろになったかということが、
あなたにはわかる。
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結城は、この書き出しがとても好きです。 何でもない、当たり前のことを書いているのに、 この文章にはすっと引き込まれるような魅力があるからです。 別の箇所からもう少し引用しますね。
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遠方へ伝える言葉は、おのずから、音楽的になる。
遠方へ伝える言葉は日常の言葉のアクセントから、
旋律を借用する。
しかし、この旋律は、よりよく理解されるように、
より遠くまでとどくように、
純粋化され、単純化される。
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いいなあ! こういう文章、大好きです。 この文章自体が、うたうように書かれているみたい。 アランのこの文章を初めて読んだのは、 結城が大学生のころでした。私が書く本のあちこちには、 この文章の香りがほんのわずか残っているかもしれません。
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「孤独な人は手紙を書く」とミルカさんが言った。
「孤独な数学者は論文を書く。
未来の誰かに伝えるために、論文という名の手紙を書く」
『数学ガール/フェルマーの最終定理』
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うたう声が、そこにある。
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最大値の話。
哲学者ベンサムは「最大多数の最大幸福」や「最大幸福原理」を論じたそうです。 社会の幸福は個人の幸福の総和であり、 幸福を最大にするような行為が好ましいといった論です。
以下、それを耳にして思ったこと(ベンサムとは関係ありません)。
実数xが 1 < x < 100 の範囲にあるとします。 つまりxは1より大きく、100より小さいとしましょう。 このときxの最大値は存在しません。
100という最大値があるじゃないか、と勘違いしそうですが、 xは100より小さいというのですから、 xは100という値をとることはないのです。
xは99になるし、99.9にもなるし、99.99にもなるし……と、 いくらでも大きくなれるのですが、100にはなれません。 いくらでも大きくなれるということは、 最大値は存在しないといえるのです。
こんなことを考えるのは、 Web連載の第131回と第132回で、 ちょうどそういう話題を扱っていたからです。 「いくらでも大きくなれる」というのは、 必ずしも「無限大になってしまう」というわけではないのですね。
* * *
注文の話。
カフェで注文をします。
毎日のように同じ店で同じ注文を繰り返していると、 売り手の側が最終的に必要な情報はおおよそわかってきます。 たとえば、
・基本的な注文
・飲み物のサイズ
・ホット/アイスの区別
・砂糖とミルクの要不要
・ポイントカードの有無
・支払いの方法
などのことです。店頭では、売り手と私(買い手)の対話を通して、 これらの情報を伝えることになります。
店「いらっしゃいませ。ご注文は?」
私「コーヒーで」
店「大きさはどうしましょう」
私「スモールで」
店「ホットでよろしいですか」
私「アイスにしてください」
店「ミルクはお使いですか」
私「いえ、いりません」
店「ポイントカードをお持ちでしょうか」
私「いいえ」
店「了解しました。お支払いは」
私「現金でお願いします」
毎日のようにこういった対話がなされることになりますね。 あるとき、相手に必要な情報をぜんぶまとめて言ったらどうなるかな? と考えたことがあります。すると……
店「いらっしゃいませ。ご注文は?」
私「アイスコーヒーのスモールで、ミルクは不要。
ポイントカードはありません。支払いは現金で」
店「了解いたしました……えっと、ミルクはご不要でしたよね。
恐れ入ります。大きさはスモールでよろしかったですか?」
こんな対話になってしまいました。 こちらの都合で情報を圧縮して相手に渡しても、 相手がその準備が出来ていなければうまく情報は伝わりません。
対話は双方向。片方が勝手に最適化しても、 やりとりのプロトコルは最適化されるとは限らないのですね。 むしろ、売り手の想定外の情報がやってくることで、 やりとりに余計な時間が掛かる場合もありました。
必要な情報を前もって押さえておき、 相手からの問いの順番に乗り、 一つずつ答えていった方がスムーズに行くようです。
日常のちょっとしたことですが、 こういうところにも「コミュニケーションのあり方」が見え隠れするなあ、 と感じた次第です。
自分がいて、相手がいる。それでこそ対話。 自分だけの都合でコミュニケーションを整えるのは難しいのですね。
* * *
では、クイズの解答です。
冒頭に出題したクイズの正解は「SFC」でした。
SFCというのは慶應大学の湘南藤沢キャンパスの略称で、 ここには、カッパ、エプシロン、イオタ、オミクロンという名前の棟があります。 その他にも、アルファとか、オメガとか、シグマとか…… 施設にはギリシア文字にちなんだ名前が多くつけられているようです。
◆慶應大学の湘南藤沢キャンパス
https://www.sfc.keio.ac.jp/about_sfc/campus_map.html
結城は以前、 パターン・ランゲージなどの研究活動をなさっている 井庭崇先生の研究室を訪問しました。 そのとき、キャンパス内で迷った結城は研究室までたどり着けず、 通りかかった学生さんと冒頭のクイズのような会話をしたことがありました。 結城は、
「あれがカッパになるんですか?」
と親切な学生さんに尋ねつつ、 我ながらユーモラスなセリフだなあと思ったのです。
建物が四棟並んでいて、 カッパ、エプシロン、イオタ、オミクロンという名前がついています。 なんて不規則な名前を付けるんだろうといぶかしがっていますと、 その学生さんは「慶應(KEIO)なんですよ」と教えてくれました。
κ カッパ
ε エプシロン
ι イオタ
ο オミクロン
なんと! すぐ気がつかないなんて、私はにぶいですねえ。
* * *
それではそろそろ、 今回の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
- はじめに
- 何のために、そうするの? - 教えるときの心がけ
- 「読み手の都合」を優先する - 数学ガールの執筆メモ
- 言葉と思考のどちらを追っているか - 教えるときの心がけ
- おわりに
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(ID:16875576)
はじめまして。私も言葉ではなく思考を追うタイプで、文章のやり取りをするときに相手の意味を曲解してしまうことが多いです。そこで、「言葉と思考のどちらを追っているか」について質問です。言葉と思考のどちらを追っているかを区別するために、結城先生が意識されていること、意識するタイミングなどあれば教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。