結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2016年10月18日 Vol.238
はじめに
おはようございます。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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新刊の話。
編集部から、 『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』の責了の連絡がありました。 これで編集部の手からも本書は離れ、あとは印刷所のお仕事になります。 結城のところでテキストファイルだったものが、 編集部のところで版面となり、 印刷所のところで物理的な本になるわけですね。
ということで予定通り、
・サイン本は最速で27日(木)に、
・サイン本&通常本は28日(金)以降に、
書店の店頭にならぶことになります。
流通のタイムラグや書店さんの方針がありますので、 そこから先は私にもよくわかりませんが、 ともかくぎりぎり10月中には発売となりますね。 応援に感謝です!
サイン本が並ぶ書店さんや、 メッセージカードが同梱されるチェーン店さんの情報も、 発売日が近くなりましたらアナウンスしたいと思います!
◆『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』
http://note8.hyuki.net/
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結びの話。
「ロマンティック数学ナイト」という数学イベントがあります。 先日(2016年10月17日)、 朝日新聞の天声人語がこの数学イベントを取り上げていました。 こういう数学イベントが詳しく取り上げられるというのは、 とてもよいことだと思いますね。
一点だけ残念なことがあって、それは天声人語子の結びの言葉。 「ただわが身をふりかえると、 空間図形や微分積分にはひどく泣かされてきた。 素数や数式の魅力を一晩全身に浴びても、 どこかロマンに浸り切れないのが恨めしかった。」
これは天声人語子の正直な感想なのでしょうし、また 「自分も泣かされたなあ」と読者の共感を得るのには役立つのでしょう。 でも、数学読み物を書いている身としては、この結びは残念ですね。 もっと若い世代、次の世代へのメッセージとなるような、 そのような結びであったならよかったのに、と思ってしまいました。
文章の最初と最後はとても大切です。 文章の最初では、読者をしっかりとつかまなければいけません。 そして文章の最後では、読者に適切な読後感を送らなければ。 途中の議論や話の展開の詳細は忘れてしまっても、 文章の最後、すなわち「結び」が残す印象は大切なのです。
文章の「結び」は人との別れの挨拶に似ています。 にこにこ握手して、手をふって別れるのか。 さびしい顔をして、涙で別れるのか。 何が正解というわけではありませんが、 記憶に残る一シーンを作り出すのが「結び」なのです。
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顔文字の話。
Twitterなどで「顔文字」がよく使われます。顔文字は、 自分の気持ちを表現したり無味乾燥になりがちな文章に潤いを与えたりする、 とても大事な要素です。特に最近は、 ASCII以外の文字を使ったかわいい顔文字もたくさん生まれています。
あるとき「目と口」の文字だけ指定すれば、 いろんな表情の組み合わせはプログラムで書けるな、 とふと思いつきました。
それでさっそく、こんなプログラムを書いてみました。
こんなちょっとしたプログラムでも動かすと楽しいものですね。 ソースは以下にあります。
◆顔文字生成するRubyスクリプト(face.rb)
https://gist.github.com/hyuki0000/6c4e1e4ca09a23d65196446d23751671
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差別と謝罪の話。
先日、こんなWeb記事を読みました。
◆「それ差別ですよ」といわれたときに謝る方法 - feminism matters
http://yk264.hatenablog.com/entry/2016/10/11/103619
ここの意見のすべてに賛成するわけではありませんが、 私自身の考えを改めされた部分が大きいのでご紹介。
ここには「それ差別ですよ」と言われたときに、 どんな謝罪が無意味であるか、 どんな謝罪であるべきかについて書かれています。
理解する。行動する。感謝する。 条件をつけない。「そんな意図ではなかった」は無意味。 などが書かれています。
私が個人的になるほどと思ったのは、 「相手を不快にさせたことが問題なのではない」というポイントです。
「あなたのその発言は差別ですよ」と言われたときに、 「あなたを不快にさせてしまってごめんなさい」というのは、 差別発言に対する謝罪としては無意味という話。 差別を指摘した人の個人的な感情が問題なのではない、 その反応では、何を指摘されているのかを理解していない、と。
結城が差別を指摘されたら、 「そういう意図ではありませんでした。 あなたが不快に思ったらごめんなさい」 という謝罪、いかにもやってしまいそうです。
ところで、元記事からは離れるのですが、 「それは差別だ」と言って少数者を守ろうとする発言と、 「それは差別だ」と言って相手の口を封じようとする発言との間に、 明確な境界線は存在するのだろうかという疑問が浮かびました。
すると、Kawaiさん(@anohana)から、 こんなツイートをもらいました。
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Kilo Kawai @anohana<br /> @hyuki その場の目的に関係のない、
身に備わった属性で判断され社会的に不利益を被ること、
またそれを助長すること、が差別なので、線引きが難しい場合は、
問題となった属性を持つ集団が社会的継続的に不利益を受けているか、
その発言は不利益を固定化するか、等個別具体的に考えると良いです。
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なるほど! たいへんわかりやすい。
Kawaiさんのこのツイート、たった1ツイートなのに情報量は多く、 しかもわかりやすい。一度読むだけですっと理解できました。 (実際に自分が当事者になったときに、うまく謝罪できるといいのだけれど)
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過労死の話。
仕事しすぎで過労死寸前の人は、 本人の判断力がまったく当てにならない可能性があります。 徹夜や休みなしが続いている人の判断力は信用できません。 周りの人が動くしかないと断言してもいいです。 配偶者、家族、親しい友人がその力を発揮するときかもしれません。
特に危険なのが、責任感の強い真面目な人。 普段から真面目で、働き者で、人の信頼に応えようとする人は特に危険です。 周りの人は、その本人に恨まれる覚悟で対処すべきときもあります。
疲れていて、身体も心もボロボロになっていても、 責任感によってにっちもさっちもいかない人は多いです。 そんな人に、ふと、魔が差したなら、とてもこわい事態になるでしょう。 仕事に忙殺されている人の配偶者・ご家族・親しい友人は早め早めの対処を…
結城自身にもそういう時期がありました。 わたしは、妻に、助けられました。
周りの人の個人的な力に頼らなければならない状況はまちがっています。 社会的な問題として扱うことも大切です。 でも、とりあえず、自分の身近な人、 大切な人の様子には注意を向けているべきだと思います。 (たとえ本人が大丈夫大丈夫と言ってても) 関心を向けていたほうがいいです。
死は、不可逆であり、 決して取り返しがつかないのですから。
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牛丼クーポンの話。
先日からSoftbankが金曜日に使える「クーポン」 を配布するというニュースが話題になっています。 第一弾が吉野家の牛丼が無料になるというもの。 蓋を開けてみると金曜日の吉野家には行列ができたようです。
「牛丼一杯無料になってうれしいの?」とか、 「二時間並んで牛丼を無料にしたいのだろうか、時給いくら?」 という声を聞きましたし、結城自身も同じことを考えました。
でも、ふと、思い返しました。それだけ行列が出来たということは、 キャンペーンに対して応じた人が多かったということですよね。 実際の営業・宣伝効果まではわかりませんが、 少なくとも誰も喜ばないキャンペーンではなかったことがわかります。
言い換えるなら「そんな企画、うれしいの?」という考えた人には、 このクーポン配布という企画は通せなかったことになります (私もそうですね。企画会議に出席していたら「そんな企画、うれしいの?」 としたり顔で言いそうです)。
そのように考えると、キャンペーンを仕掛けた人は、 「そんなの、うれしいの?」という人とは「違う世界」 が見えていたことになります。
しばらく後でこのキャンペーンのCMを見ました。 すると、その宣伝の中で白戸家の面々は、 「牛丼、欲しい?」「ぜんぜん」と言い合っています (結局金曜日になると牛丼に行くというオチがつく)。
◆ソフトバンク CM 白戸家「信じるな」篇(30秒)
https://youtu.be/y3bmjXCTpDU
つまり、ちゃんと宣伝側では「そんな企画、うれしいの?」 という声まで考えていたことになりますね。
結城自身は牛丼無料だからといって行くことは(たぶん) ないと思いますが、自分の見えていない世界がたくさんあるということは、 いつも考えていたいと思っています。さもないと、 「私がこう考えるから世界はこうなのだ」 というわなに陥ってしまうからです。
しかし、牛丼無料か……
(結城はソフトバンクユーザなので、クーポン来てました)
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執筆の話。
『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』が一段落しているあいだに、 今年の重要な仕事の一つである『数学ガール6』執筆を進めます。
現在は途中の章を飛ばして第10章(最終章)をあれこれひねっているところです。 どういう状況になっているかというと、 すでに分量としては一章分の長さをはるかに超えてはいます。 しかし、章としての体裁はなしていない。
素材はたっぷり用意されていて調理を待っているのだけれど、 まだ本質的な要素が何か欠けているために、調理を開始できない感じ。 せいぜい素材を洗ったり、下ゆでをするくらい。
章というのは複雑な構築物なので、 全体像がわからないとなかなか組み上げることはできません。 資材が集まっても建物にはならない。
そんな状態で何をしているかというと、 「自分の理解を深める」という作業をしています。 そこに並んでいる素材や資材をひとつひとつ眺めながら、 これはどんなものなのだろう。全体の中でどう位置づけるものだろう。 と考えている状態ですね。
順番もわからないし、要不要もよくわからない。 とりあえず、ひとつひとつをチェックしている状態になります。 ミルカさんに解説をお願いして、それを結城が書き留めています。 その解説の大半は後日ぜんぶ削除することになるのですけれど。 工事現場の足場のようなものですから。
そうやって歩き回っているうちに、 何かひらめかないかなあ…と思っているのです。
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文章変換の話。
こんなツイートを見かけました(@vib_0117さん)。
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中学の夏休み、ノルウェイの森の比喩表現全部取っ払ったら、
だいたい3分の1の分量になってとても読みやすいです、
という自由研究をやって国語の先生に提出したら
無茶苦茶怒られた
(後でわかったことだけどそいつハルキストだった)
ちなみに実際は1/3どころか1/7くらいになった記憶ある。
https://twitter.com/vib_0117/status/786639617101475844
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この方は国語の先生に怒られたようですけれど、 誰かが書いた文章を何らかの指針を持って書き直すというのは、 文章の練習にとてもよいと思います。 この方の場合には「比喩表現を取っ払う」という指針だったわけですが、 それに限らず「自分だったらこういう書き方をする」というのもいいですよ。
結城は以前、村上春樹の『レキシントンの幽霊』を全文タイプして、 自分の文章に置き換えてみたことがあります。 もちろん著作権上の問題があるので公開はしていません。
そもそもタイプする時点ですでに勉強になりますね。 勉強になるといっても、 村上春樹のような書き方をするための勉強ではありません。 ふだん自分がもっともじっくり文章に接するのは、 自分の文章を書くときです。でも人の文章をタイプすると、 他の人の文章の書き方をじっくり味わうことになります。 それが勉強になるのです。
結城個人の考えですが、その「勉強」というのは、 自分の文章の書き方を改めて意識する点にあると思います。 句読点の打ち方、語彙、論理の運び方、接続詞の使い方、 どこまでを明示的に書き、どこからは読者にゆだねるかという間合い…… そのような細かいものをタイピングするだけでかなり意識できるのです。
同じような作業は村上春樹の『辺境・近境』や、 筒井康隆の『旅のラゴス』でもやりました。 どの場合も、私なりの発見がありました。 タイプしたり、書き直したりしたからといって、 文章がすぐにうまくなるわけではありません。 しかし、新たな刺激を受けることにはまちがいありません。
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対話の話。
先日「うだま夫婦のLINE」というブログを見ました。
◆うだま夫婦のLINE
http://line.udama.jp
このブログの特徴は、夫婦の話がLINE風に対話形式になっているところです。 画像も何もなく、ただ二人の対話が続いていきます。
それだけなのに、けっこうおもしろいのはなぜだろう、 と思いました。夫婦の会話の息吹みたいなものまで伝わってくるみたい。 掛け合い漫才と似ているけれど、それとも少し違う。
おもしろい理由の一つは、 夫婦間のハイコンテキスト度合いにあるのかも、 とも思いました。 結城は自分の家内とメッセージのやりとりをするとき、 あいさつも何もなく用件をさくさくと進めます。 その距離感とスピード感を心地よく感じるのかもしれません。
たとえば、夫婦のLINEに状況説明の絵を付けたらもっとおもしろくなるか、 といったら、そうでもないと思います。 状況説明はわかりやすくなるけれど、 ぽんぽんと進むスピード感は失われそうです。
必要最小限の情報交換で、 それでも意味のあるやりとりが展開される。 そのあたりにおもしろさがあるのかな…と思っています。
いや、結城は自分の書き物において対話が重要な要素だと思っているので、 いろいろと研究したいのですよね。
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著書一覧の話。
結城は自分の「著書一覧」というPDFを管理しています。 その名の通り、結城が書いた本の一覧ですね。
今月末に『数学ガールの秘密ノート/やさしい統計』が出るので、 結城浩の著書一覧を更新しました。この新刊が「46冊目」となります。 読者さんの応援には心から感謝です。
いま「46冊目」と書きましたが、実は本のカウントはいささか難しいです。 同じタイトルでも「改訂版」や「新版」や「増補改訂版」 などの別があるからです。翻訳はどうするのとか、電子書籍版は?とか、 本のカウントには条件設定が必要になります。
先ほどの「46冊目」というのは紙の本で、日本語版だけのカウントです。 ただし「改訂版」や「新版」や「増補改訂版」のように、 ISBNが別に付けられた本については別の本としてカウントしています。 通常の増刷ではISBNは変わりませんので同じ本としてカウント。
言い換えると、 日本語の紙の本で「結城浩の本」といえるものはISBNで46個分ある、 といえます。 そう言い換えたから何かおもしろいことが起きるわけではないですが。
もう少しまとめて、 結城浩は何種類くらいの本を書いてきたかをカウントしてみます(いえ、 暇なわけじゃなくて、23年間の仕事の規模感をつかもうとしてるだけです)。
本の種類でいうと、C言語エッセンス、C言語レッスン2冊、CGI本2冊、 Java言語レッスン2冊、Perl言語レッスン、デザパタ本2冊、Perlクイズ、 暗号技術入門、Wiki、プログラマの数学、Javaリファクタリング、 数学ガール5冊、秘密ノート8冊、数学文章作法2冊。 ということで、約14種類になります (数学ガールと秘密ノートはごっそりまとめました)。
処女作は1993年の『C言語プログラミングのエッセンス』。 今年で23年目(素数)。いろんな本を書かせていただきました。 読者さんのおかげで、とっても楽しくて幸せな23年でした! これからもいろんな本を書いていきたいと思っていますので、 応援よろしくです!
◆結城浩の著書一覧(PDF)
http://www.hyuki.com/pub/pubs.pdf
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では、今週の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
- はじめに
- 「君の名は。」でふと思ったこと(少しネタバレあり)
- サイン本無料プレゼント企画 - 本を書く心がけ
- 再読に耐える本 - 本を書く心がけ
- おわりに
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Vol.237 結城浩/新サービスmine(マイン)で考えたこと/再発見の発想法/書籍のタイトル/
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Vol.239 結城浩/本との出会いと楽しみの演出/《私のために書かれたものだ》と感じてもらうには/