教養論その18「教養と言語の関係」(1,848字)
教養のことを突き詰めて考えていると、やがて「アナロジー」に突き当たった。
アナロジーを用いるには、「物事の構造を読み解く力」が求められる。だから、アナロジーを突き詰めていけば、やがて物事の構造を読み解けるようになり、物事の構造を読み解けるようになれば、本質を見抜くことができるようになる。そうなると、教養も深まる。なぜなら、教養というのは物事の本質を見抜く力に他ならないからだ。
そのため、アナロジーのことを深く考えることにしたのだが、するとそこで、面白いことに気づかされた。それは、言語というものは、一種のアナロジーだということである。例えば「火」というものは、何かめらめらと燃えているものを指し示す。だから、「恋心」や「騒動」などといった、「めらめらと燃えている」ものにも、アナロジーとして用いることができるのだ。
そういうふうに、あらゆる言語はアナロジーとしての要素を有している。だから、言語能
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