今回も、「教養としての言語」について見ていきたい。

「言語」というのは、教養を考えるとき、切っても切れない要素となる。というのも、「言語」そのものは、教養における一つのリトマス試験紙になるからだ。
どういうことかというと、言語というものを重要視し、それを学ぶことに積極的な人は、ある意味、教養のある人だといえる。それに対して、教養のない人というのは、言語というのを軽視している。だから、それについて学ぶことを怠るようになるのだ。

これは、いわゆる勉強ができるできないに関係ない。語彙が豊富か貧困かにも関係ない。
勉強ができず、語彙が貧困な人の中にも、話し方の上手な人がいる。言葉を操るのに長けている人がいる。
その逆に、勉強ができて、語彙が豊富な人の中にも、話すのが下手な人というのはたくさんいる。特に、語彙が豊富なばっかりに、逆にそれに振り回されてしまって、言葉が覚束なくなる人が少なくない。言葉を「使う」の