今回は、そのことについて書いてみたい。
佐村河内さんの会見で面白かったのは、居並ぶ記者が「本当は聞こえるのではないか?」という予見に基づき、質問をしていたことだ。――というより、無理矢理にでもそういう物語に当てはめようとしていた。そういうバイアスが、あの記者会見場に充満していたのである。
なぜそういうバイアスがかかっていたかというと、その方が「面白い」からだ。その方が物語として分かりやすいし、シンプルだからである。
つまり、佐村河内さんがどこまでも嘘つきで、今この場でもまだ嘘をつき続けている――というシンプルで分かりやすい物語に、記者会見そのものを収斂させようとしていたのだ。
しかし、事実はそうそう面白くはない。佐村河内さんの耳は本当に聞こえていなかった。
そういうあまり面白くない物語こそが、ほとんどの場合「事実」なのである
コメント
コメントを書く(ID:11107039)
私としても,ハックルさんが例に挙げた医者が”「通常そういうケースは考えられない……が、例外はいくらでもあります」”と発言すれば,「空気が読めない人だ」,「白けるなぁ」といった感想を感じてしまうことがあります.
そして,Twitterなどで公平な観点からの発言やこの報道の仕方はバイアスが掛かっているという発言も見て,はっと気付かされます.
意識しなければ「物語圧力」に流されてしまっている自分に嫌気が差します.