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過ちはいつも「善意」から(2,374字)

2014/03/11 06:00 投稿

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「善意」というのは危険である。むしろ「最も危険」といえるかもしれない。
なぜなら、そこに「善意」が存在するとき、人はどこまでも「悪行」を暴走させることができるからだ。

例えば、DVというのは基本的に「善意」に基づいている。
家族に暴力を振るう人は、それを「家族のため」と心から思っている。「これはお前の為なんだ!」と泣きながら子供を撲殺する親もいるくらいだ。端から見るとギャグにしか見えないが、本人は至って本気なのである。

戦争だって、ほとんど善意から引き起こされる。「敵国の滅亡は全人類にとっての益」という善意の後押しがないと、人は積極的に人殺しなどできない。
「盗人にも三分の理」という言葉があるが、泥棒だって基本的に善意でやっている。「オレオレ詐欺」などはその最たるもので、彼らのほとんどが、自らの行為を「世直し」だと思っている。不当に優遇された老人世代から富を預かり、それを虐げられた若者たちに再分配す

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