ラノベ企画について進展があった。
ニコニコ静画さんとご一緒して、絵師さんを一般公募、オーディションすることになったのだ。

詳細はこちらに乗っているが、特徴はなんといっても平日の9時-5時に定時出社してもらって描くということだ。これは、けっこうハードルが高いと思う。
そこで今回は、なぜこういう高いハードルを設けたかということについて書きたい。

まず、はじめに結論からいえば、これはぼくの「もの作りへの考え方」から来ている。
ぼくは、もの作りにおいて大切なのは、他の全てのことがそうであるように、まずはなんといっても「環境」だと考えている。ものを作るには、ものを作るための環境が整備されていることが大切なのだ。

そして、人間がものを作るのに最適な時間帯は「日中」だというのが、ぼくの考え方だ。

人間は、もう1万年も昼行性の生き物としてやってきた。だから、昼間に働くのに適した性質というものが、DNAのレベルで染みついている。これは、たかだが100年やそこらで変わるようなものではない。
ここ100年で、たまたまエネルギー革命が起こり、夜中に活動することのハードルが下がった。それで、物珍しさから夜中に活動する人――いわゆる夜型人間というのが数多く現れ、中でも会社員ではないクリエイターは、夜に働く方が集中できるという風説が広まった。

ぼくが今でも覚えているのは、マンガ「ドラえもん」の「夜を売ります」という話で、辺りを暗くする電球をドラえもんが出した時、受験生が「それを買いたい」と申し出たことだ。
その受験生は、まず部屋の天井に暗くする電球を設置した。そのうえで、デスクのライトをつけその灯りで勉強したのだ。曰く、「暗い方が勉強に集中できる」とのことであった。周りが明るいと、勉強が捗らないらしい。

こうした考え方(気分)は、世の多くのクリエイターが首肯できるところだろうと思う。
かくいうぼくも、若い頃はそうした考えの持ち主で、クリエイト活動は昼ではなく夜にやるものだと考えていた。
実際、放送作家をしていた頃は、いつも夕方から朝にかけて仕事をすることが多くて、寝るのは決まって夜が白々と明けてからだった。


しかし、その活動をしていて、ぼくは結局放送作家として芽が出なかった。たいした作品も残せず、クリエイターとして大成できなかった。

その後、今度は小説家を目指して原稿を書き始める。この時は、諸般の事情から昼行性に移行し、原稿はいつも午後の1時から6時の間に書いていた。また、それ以外の時間はクリエイト活動をせず、就寝も夜中の12時くらいと早くなった。

すると、クリエイト活動においてこれまでにない成果をあげられるようになったのである。小説の筆はどんどんと進み、自分がどんどんクリエイティブになっていくのが分かった。
そればかりではない、生活のリズムも安定して、どんどんと健康にもなっていった。それは、体はもちろん心もだ。とにかく、放送作家時代とは違って、やることなすこと調子良くなっていったのだ。

そうした経験を通じ、