石原莞爾と東條英機:その53(2,039字)
気のいいオッサンの荒木貞夫は1931年、満州事変の真っ只中で、永田鉄山らの後押しもあって陸相に就任する。しかし1932年から若手将校たちが荒木の元に参集するようになり、やがて「皇道派」を形成する。いい気になった荒木は盟友真崎甚三郎とともに自らを利する独裁的な人事を行う。
しかしこれが皇道派以外の反感を買い、やがて「統制派」の形成を促す。そもそも統制派という派閥はなかったのだが、皇道派があまりにも専横的なので、それを良く思わない者たちが一致団結したのだ。
しかもこの頃から若手将校たちが暴走し始め、荒木の手にも負えなくなった。さらに陸相としての能力にも国会や国民から疑問を持たれるようになり、急速に求心力を失っていった。
そうして1934年に、とうとう病気を理由に陸相を辞任する。表向きの理由は病気だが、周囲からの批判にとうとう耐えられなくなったのだ。
引退を決意した荒木は、陸相の後釜に真崎甚三郎
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