石原莞爾と東條英機:その52(1,800字)
荒木貞夫は陸軍を「天皇の軍」という意味で「皇軍」と呼び、その在り方=「道」を道徳に説いていた。だから、荒木の元に参集した若手将校たちは「皇道派」と呼ばれた。
その皇道派の行動理念は昭和恐慌、あるいは世界恐慌を機に始まった経済の混乱に対する「義憤」にある。彼らは猛烈に怒っていた。何に怒っていたかといえば、政治家と財界人である。政治家と財界人が私腹を肥やすから、多くの庶民が困窮し、貧乏のどん底に喘いでいるという構図を固く信じていた。
若手将校たちは必ず前線の部隊に配属される。するとそこには軍隊に入りたての二等兵たちがいる。二等兵はたいてい農家をはじめとする田舎の次男か三男である。彼らは、不況で失業率が高まり、他に仕事がないから仕方なく陸軍に入隊したのだ。
若手将校たちはそんな田舎者の次男三男を直接指導する。年は近いが自分たちはキャリア組の出世コースで彼らは最底辺の二等兵だから階級が三つも四つも
この記事の続きを読む
ポイントで購入して読む
※ご購入後のキャンセルはできません。 支払い時期と提供時期はこちら
- ログインしてください
購入に関するご注意
- ニコニコの動作環境を満たした端末でご視聴ください。
- ニコニコチャンネル利用規約に同意の上ご購入ください。
コメント
コメントを書く(ID:15875505)
お久しぶりです。ニコ動のシステムエラー中にどのような心情だったのか教えて頂けると幸いです。
(著者)
>>1
水曜日のQ&Aでお答えします。